figromage

流出雑記 

七夕事件

2008年07月08日 | Weblog
昨夜、仕事の打合せに行くダーリンを見送り、夕飯の洗い物を済ませて8時半頃、お中元のお礼を言おうと母に電話をかけた。
母が出て、お中元届いたありがとうを言う前に、妙に冷静な声で、

今、大津の病院から連絡があり、事故でA(真ん中の妹)が救急搬送されてすぐに来てほしいと連絡があったので行ってくる
といきなり大きく予想外なことを口にした。

病院から詳しい説明はなく、どういう状態なのかわからないと言う。

前にも妹は事故をしたがその時は自分で電話をかけてきた。
滋賀県から帰宅途中のバイクだ。

病院からかかってくるということは動けないのだろうかと既にパニックで泣きながら私も行くと言ったが、病院からすぐ連絡するから待っててと母。
一先ず電話を切った。

しばらく唸りながら部屋の中をうろつきやっぱり待ってられないので大津に行くことにした。

母はあの子は運がいいから大丈夫、きっと連れて帰れるから車で行くと言った。
大した怪我でなく今夜は3人で実家に帰る、よかったよかったといいながら。
次の朝、いつものように私は仕事に行き、明日で最終日の奈良芸短でのポーズを務める ことになるはずだと信じて化粧ポーチと傘をカバンに突っ込み家を出た。

地下鉄は人も疎ら。
どうでもいい駅はとばしてくれ急いでいると苛々するが、乗ってるしかない。
ふと鏡をみるとマスカラの落ちた悲惨な顔。そんな顔でいくとそんな事態になりそうな気がして、普段しないが電車の中で化粧を直す。
顔が整うと心境も若干落ち着いたが、ついこの間、私の誕生日に妹にあけてもらったピアスが目にとまり、まただらだら涙が出てきて元の木阿弥。

何でもない怪我かも知れない意識不明かも知れない骨が折れてるかも知れない顔を怪我したかも知れない死んでいたらどうしよう
いろんなシチュエーションがひたすら脳裏を駆け巡る。

京都駅からJRにダッシュで乗り換え大津からまたダッシュで病院に向かい、電話から一時間後くらいに搬送先の赤十字病院に着く。

正面入り口は閉まっている。夜の救急病院にくるのは初めてだった。
警備の人に聞いて病院の中へ。
敷地内に入り受付に行こうとすると、ガラス越しの廊下に妹と母と見知らぬ男性が見えた。

歩いてる

あちらも私に気付き、来るとは思っていなかったという顔で見ている。
中に入り傍に行くと途端に安堵が全身を巡り、目から放流。
疲れきった顔の妹もおねいちゃんごめんと泣いた。
骨は折れておらず、外傷は打ち身とすり傷くらいで済んだが首を痛めたらしい。
一先ず48時間は安静にということだった。

道沿いの本屋のガレージに入ろうと左折した車にぶつかり横倒しになった。
相手は後ろにいた妹のバイクに気付かすウインカーを出すのも遅かったらしい。50歳くらいの男性。

三人で実家に帰る。生きててよかったーといいながら。
11時半頃帰宅。
晩ご飯がまだだった母たちは黒砂糖と醤油で炊いた母作茶色いかぼちゃと素麺を食べた。

この事件は幸い、七夕にお星さまにならなくてよかった という笑い話になったのだった。