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流出雑記 

2012/12/3

2012年12月07日 | Weblog

頭痛持ちでないからバファリンなどを普段飲まないし持ち歩いてもいない。生理痛もほとんどないくらい軽いが、稀に凌ぎようのないビッグウェーブがやってくる。それが先日稽古中にやってきた。立っても横たわっても無視できない鈍痛。数分おきに稽古場~トイレ間を往復し、稽古場に居合わせた女子があったかも知れませんと鎮痛剤を探してくれた。しばらくして彼女はカバンの中を探るが見当たらない模様だった。なかったですという言葉を耳が待ち、大丈夫ありがとうという返答を舌の奥に用意していると、あ、ありました、カバンの底からイブ2錠発見される。飲んでしばらくすると、鈍痛の波は嘘のように引いていったが、薬に慣れないため鎮静作用がよく効くのか、意識ももうろうとなり、今度はまぶたが降りてくるのに抗う努力が必要だった。

着付けを習いはじめてしばらく経ち、袋帯まで手順は覚えた。
憧れの着物は鈴木清順の映画の大楠道代だと思っていたが、先日見た黒澤明のまあだだよの内田百間の奥さんが紺の紬に半巾を貝の口に結んでいた普段着がなんだかとても素敵だった。
祖母がよく着ていたざっくりした絣に葡萄茶に近い赤の織り帯を締めたい。八掛が赤いのは古いと言われても好きだ。
大島紬に紅型の帯。それに蘇芳か金茶の帯締め。ちらっと見える襦袢、帯揚げ、半襟、羽織、羽織紐至るまで細部に組合せの余地がある着物は洋服より断然おもしろいと感じる。日常ではもはやハレ着としての役割となってしまっているが、ほんとうにおもしろいのはフォーマルできちんと着なければいけない着物じゃない着物。フォーマルで着る場合のタオルやらをやたら巻き付けて「きちんとした」姿に補正しなければならないことや格を気にして着るより、着物はひたすら自分の要請で自分のために着たい。着ると、日常的に着物を着ていた人たちが衣服からどのように佇まいを作られてきたかということを検証できる。この衣服では開脚やバレエのバットマンのような足を蹴り上げる動きが発想されなかったのは必然だし、草履を履けば足の運び方はやや前のめりになりすり足になる。やはり民族の踊りの基本的な型、重心の取り方は日常動作から生み出されたものということを追って体験できる。大野一雄さんが生活を大事にしなさいというのは、踊りとそれがどういう場合でも密接だということを指しているのだろうかと思い返したり。洋服で生きて来た自分にとって、着物に作られる体はどのように感じられるものなのか、また洋服に作られた体はどんなものなのか。洋服から着物になるとまず制限ができる。制限という言葉を使ってしまうのはどうしても稼働域が狭まるし自転車に乗れないなどの出来ない事が出てくるため。いきなり原点回帰というようにフィットするわけではないらしい。ただ馴染み方には親密さを覚える。帯がお腹にあるととても安心する感じがある。
古着の着物やに行けば山と積まれた紬や小紋。大正、昭和の女たちの脱け殻、と感じるのは、着物が皆同じ形だからだろう。店に置けないほど在庫があると店の人。着物はほどく事を前提に縫われていることが洋服との大きな違いである。袖の角が丸くなった仕立ての物でも丸く裁断しているのでなく縫い止めてあるだけでほどけば長方形の布地になる。仕立て直す、あるいは次の使いようを考えられた形になっている。半襟を付け替えたり、着る人がある程度手をかける必要もある。手間がいる。着物は現在のとにかく安価で売りさばかれる使い捨て状態の衣服と真逆の思想が形になったものだと言える。そんなことを考えながら冬場はもはや手放せなくなっている肌に近しいヒートテックを着て着物の山の中にいる。


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