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流出雑記 

梅雨台風 

2012年06月21日 | Weblog

取り立てて書かなくてもいいようなことを書く、というか打つ、こともやってなければやらなくていいことになっていく。日々を文字にする積極性をもって過ごさなければ、記せるかたちをとらないまま過ぎていく。それでも一向に構わないし誰も困らないけど。

どれくらいの規模の台風がどのあたりに来ているのかよく知らないまま、予定通り朝仕事に出た。久々に午前中、しかも神戸方面での仕事だったので、気合いを入れて早起きし、雨なので1本早い電車に乗れるよう家を出た。

地下鉄からJRに乗り換え、新快速に乗って京都を出てしばらく経った頃携帯が鳴った。仕事先からの着信。電車の中で取り辛く、次の停車駅、高槻に着くあたりでドアの前に移動してかけ直した。この時間帯に連絡があるということはと思っていたが、やはり警報が出て休講だった。そのまま高槻で降りて京都に引き返す。京都も雨は降っているが、たいしたことはなかったので、警報の出ている神戸がどれほどのものか想像しにくいが、とにかく、神戸の仕事は昼までだったので、仕事が終わったらサンドイッチでも食べて近くのファッション美術館に行って、展示が面白ければ覗き、その後併設の図書館でギャルソンのショウのビデオを見ようと予定していた一日の導線は急遽京都へのUターン矢印に変更。9時半前、まだ地下街も閉まっている詰まらない京都駅に舞い戻る。10時過ぎれば伊勢丹も開店するけど、久しぶりの早起きで頭に薄く霧がかかったようにぼーっとしていたので、そのまま帰ることにした。松ヶ崎まで戻って外に出ると、行きしなより雨風が強くなっている。帰り道のスーパーで買い物を済ませて帰宅。ディオレサンスを家の中に移動させる。雨にあたると病気が広がりやすいのと、風が怖いので。お隣で満開になっているピンクの手鞠紫陽花をふたつ切ってくださった。毎年もらっている。紫陽花は茎のところを火で焙って炭化させて水に浸すと水が揚がる、というのを数年前働いた花屋で習ったのでそうする。誰がこんな方法を考えついたのか、不思議でならない。

時間があったのでスコーンを焼いた。クルミ入り。材料全部ナイロン袋に入れて揉む、最も洗い物が少なくて済むクックパッド主婦の知恵。

昼過ぎ少し眠り目覚めて宿題のテキスト作りと声の録音をして、夕飯の支度。もらいものの丸ナス2個をどうするか。今日1個使って明日もう1個を別の料理に使う。だったら今日は迷わず田楽、と真半分に切る。あとは冷蔵庫にあった胸肉と少し残っていたキャベツとキムチを全部フードプロセッサーで混ぜ合わせ、つくねみたいなものにする。あとは小松菜と揚げの汁物。気がつくと小松菜か水菜をよく揚げと煮浸しにしている。ナスはこの翌日ナスラザニアになった。大急ぎで作った目分量ミートソースとホワイトソースが好評だった。次回再現するにはつまり、急げばいいということか。

と、和洋折衷、毎日いろんな味のものを、いろんな調味料を使って調理し食べているが、その度に思い出すのが今月の最初に観た『ニーチェの馬』という映画の食事風景だ。ニーチェが鞭打たないでくれと言ったその馬を飼っている貧しい親子の生活を撮った映画。起きて、井戸で水を汲み、着替え、働き、食べ、着替え、眠る。

娘が台所の大きな鍋でジャガイモを2つ、丸ごと茹で、それをそのまま皿に盛って父親に「食事よ」と声をかける。ふたりは木のテーブルに向かい合って座り、お祈りも無く、ジャガイモを食べ始める。片手が不自由な父親は熱々のイモの皮を片手で剥き、そのついでに潰しながらぼろぼろにしたものを口に運ぶ。娘は両手で坦々と食べる。テーブルの上には塩らしきものが置いてある以外に味をつけるものはなく、ふたりとも無言のまま食べ進め、食べる音だけがしている。半分くらい食べ残したまま食事を終える。ふたりの生活6日間を撮った映画だったが、食事はどの日もこのジャガイモだった。3日目あたりで今日はマッシュポテトにならないかと思ったが、ならなかった。卵と油とビネガーがあったらマヨネーズが作れる、あるいは油があるなら揚げればフライドポテトになるが、この家には塩とイモ以外何もないらしかった。食事はたのしみでもなく生きる為の栄養摂取という積極性をも欠いて、たんなる習慣のように口に運ばれる。そんななのにそのイモがなぜかおいしそうに見えて、映画を見たその日の晩ご飯は、ジャガイモを丸ごと蒸した。

この映画はちょっと忘れられないものになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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