我が家より京都の北の方、電車を降りると川と石橋、紅葉を待つ緑、旅行者の気分になる風情。
駅から少し歩いて、山際の階段を上がったところにある広い庭付きの日本家屋が画家アトリエだった。 ここは今日初めて来る仕事場。
玄関に通されると、古い日本家屋の一階独特のひんやりした空気に迎えられ、きりっとする。
二階の部屋がアトリエになっていて、窓から入る日差しと円筒形の石油ストーブに温められていた。
聞き覚えのあるクラシックが流れている。
イーゼルと大小様々なキャンバスが並んでいる。
油彩に入る前に何枚か画用紙にクロッキーをさせてほしいので好きなポーズをとってもらえますか、と画家は柔らかい言葉で話す。
普通どこに仕事に行っても、ポーズ時間はタイマーで測るが、画家はしばらく描いてまちまちのタイミングで休憩を入れる。しかも休憩の方が長い。
固定ポーズに入っても、ポーズがずれないように手や足の位置をテープなどで印しておくのだが、それもしたことないと言う。
少々動いてくるのはかまわないらしい。そいうことは相当人物を描いてきた人にしか言えない。 ポーズの狂いに描いているものが狂わされないということだからだ。
画家はポーズ中、何かを取る為に少し椅子を立つ時、ちょっと鉛筆取りますね、と声をかけてくれる。些細なことだがそういうモデルへの配慮を端々に感じる。
休憩中はもう亡くなった画家の師匠の話しや、画家が私と同じ年の頃に奥さんを連れてフランス留学し、絵の勉強をした時の話しを聞いた。
26歳なら、今から望んだものになれる。僕も師匠にそう言われた、だからこそ僕は26歳からもう一度絵の基礎をやり直したよ、と言っていた。
音楽がずっと流れていた。
ずっとヴィヴァルディの四季、それも春の第一楽章がリピートされている。
なぜかこれが一番落ち着くそうで、もう22年間絵を描くときはこれらしい。
春はアトリエの空気の成分のようだった。
二階の窓から見える大きな木は胡桃の木だと教えてくれた。
売っている胡桃はほとんどアメリカ産で、国産の胡桃なんて聞いたことがない。
帰りに落ちた胡桃を見せてもらった。
アメリカ産のものよりふたまわりほど小さく、殻の表面の凹凸も少ない。
殻がものすごく固いが、味はとても濃厚だそう。次に来る時に割っておくと約束してくれた。
帰り際に、旦那さんにおいしいものを作ってあげてこれで、と小皿を差し出された。
300年前の中国のものだという。画家が趣味で収集した古い陶器のひとつ。コレクションの中で一番古かったのは縄文土器の破片だった。
最初冗談かなと思ったが、そんなに価値のあるものではないけれど、古いものがひとつ家にあるのはいいよと、本当にくださった。
割れたところが金で接着されてる。金継ぎという補修だそうで画家が自分の手で直したという。
割れない様に仕事着に包んで持って帰った。
12月でモデルを始めて7年になるが、方々で仕事をし、いろんな人々を経由してこの画家との出会いに結びついた。
安定もボーナスもないこの仕事を辞められない理由は、やはりそれでもいいと思える出会いがあるからだ。
この仕事がどうしても「時の花」であることは承知の上、だからこそ今これをやっているのだとも思う。
最近髪を伸ばしているのも、黒髪を美しいまま伸ばせる時期に限りがあるなと思ったから。
自分が今どういう姿であれば良いのか、時間の流れに沿いながら凡そのあたりを付けイメージを血流に巡らせる。それはやがて表皮になる。
駅から少し歩いて、山際の階段を上がったところにある広い庭付きの日本家屋が画家アトリエだった。 ここは今日初めて来る仕事場。
玄関に通されると、古い日本家屋の一階独特のひんやりした空気に迎えられ、きりっとする。
二階の部屋がアトリエになっていて、窓から入る日差しと円筒形の石油ストーブに温められていた。
聞き覚えのあるクラシックが流れている。
イーゼルと大小様々なキャンバスが並んでいる。
油彩に入る前に何枚か画用紙にクロッキーをさせてほしいので好きなポーズをとってもらえますか、と画家は柔らかい言葉で話す。
普通どこに仕事に行っても、ポーズ時間はタイマーで測るが、画家はしばらく描いてまちまちのタイミングで休憩を入れる。しかも休憩の方が長い。
固定ポーズに入っても、ポーズがずれないように手や足の位置をテープなどで印しておくのだが、それもしたことないと言う。
少々動いてくるのはかまわないらしい。そいうことは相当人物を描いてきた人にしか言えない。 ポーズの狂いに描いているものが狂わされないということだからだ。
画家はポーズ中、何かを取る為に少し椅子を立つ時、ちょっと鉛筆取りますね、と声をかけてくれる。些細なことだがそういうモデルへの配慮を端々に感じる。
休憩中はもう亡くなった画家の師匠の話しや、画家が私と同じ年の頃に奥さんを連れてフランス留学し、絵の勉強をした時の話しを聞いた。
26歳なら、今から望んだものになれる。僕も師匠にそう言われた、だからこそ僕は26歳からもう一度絵の基礎をやり直したよ、と言っていた。
音楽がずっと流れていた。
ずっとヴィヴァルディの四季、それも春の第一楽章がリピートされている。
なぜかこれが一番落ち着くそうで、もう22年間絵を描くときはこれらしい。
春はアトリエの空気の成分のようだった。
二階の窓から見える大きな木は胡桃の木だと教えてくれた。
売っている胡桃はほとんどアメリカ産で、国産の胡桃なんて聞いたことがない。
帰りに落ちた胡桃を見せてもらった。
アメリカ産のものよりふたまわりほど小さく、殻の表面の凹凸も少ない。
殻がものすごく固いが、味はとても濃厚だそう。次に来る時に割っておくと約束してくれた。
帰り際に、旦那さんにおいしいものを作ってあげてこれで、と小皿を差し出された。
300年前の中国のものだという。画家が趣味で収集した古い陶器のひとつ。コレクションの中で一番古かったのは縄文土器の破片だった。
最初冗談かなと思ったが、そんなに価値のあるものではないけれど、古いものがひとつ家にあるのはいいよと、本当にくださった。
割れたところが金で接着されてる。金継ぎという補修だそうで画家が自分の手で直したという。
割れない様に仕事着に包んで持って帰った。
12月でモデルを始めて7年になるが、方々で仕事をし、いろんな人々を経由してこの画家との出会いに結びついた。
安定もボーナスもないこの仕事を辞められない理由は、やはりそれでもいいと思える出会いがあるからだ。
この仕事がどうしても「時の花」であることは承知の上、だからこそ今これをやっているのだとも思う。
最近髪を伸ばしているのも、黒髪を美しいまま伸ばせる時期に限りがあるなと思ったから。
自分が今どういう姿であれば良いのか、時間の流れに沿いながら凡そのあたりを付けイメージを血流に巡らせる。それはやがて表皮になる。
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