大晦日は寝てる間に年が明け、すべての風物詩番組を見ないまま布団の中で迎えた新年だった。
1日。去年は大雪の正月だった福井に今年は少しも雪がない。むしろ温かい。義母といろいろ工夫しながらおせちを盛りつけたり、洗い物をしたり、クッキーのアイシングを教わったりする。この家は息子ばかりなのでこういうふうに台所で一緒に何かすることが義母にはなかったのだ。食事の用意片付けひとつとっても家族が多い家の水仕事の膨大さを垣間みる。それも一部分。牛にせよ豚にせよいい肉ばかり食べさせてもらう。実家のある足羽山は寺社仏閣が多くポータルが豊作で、在宅ハックできるポータルが4つもあった。雪がないから歩くことができ、寺社をめぐり初詣、山頂付近にある茶屋で温かいきびだんごを食べる。素朴な風味。イングレスは去年の間にレベル8をとりあえずの目標としていたけれど今年に入ってようやく7。
2日。福井から猫を預けている京都の実家に戻ると妹1とそのミニチュアのような息子1歳のぴよ、妹2、父母。ぴよは猫達に初めて遭遇し大興奮だったらしいけれど加減を知らないふれあいに身の危険を感じた猫達は既に押入れに引きこもっていた。妹2は2日が誕生日だったので祝う。私は3ヶ日おせちでも全然構わないけれど、若人はもう別のものが食べたいとピザやら寿司やら並んでいる。正月はどこの家でも終始テレビなのだろう。テレビと生活が密着しているのが、厳選していない半ばどうでもいいものが自分のいる空間に勝手に止めどなく流れてくるのがしんどい。その場の視聴覚を占める割合が大き過ぎる。正月は疲労する。
3日。両実家から持ち帰った餅と煮しめと白みそでお雑煮。最寄りスーパーは2件とも閉まっていた。少し初売りを見に街へ。ごった返す寺町、新京極、藤井大丸。セールでもそんなに高いものは買えない。商店街をすれ違う人、エレベーターに満載の人と行き違いながら皆ほとんどの時間を働いて賃金を得ているのだなと思う。ブランドを後ろ盾にするお洒落は粋じゃないとそう思い込んでいる屈折した価値観によって、勝手に一生袖を通さないと決めている一般的にそこそこいい服ブランドがいくつかある。お洒落かどうかはそれがいい服かどうかは二の次で、端から見れば奇妙なこだわりと適当さを基礎とした皮フ化を達成しているかどうかが焦点になる。
どうしても必要になる色柄や形状がある。そういうときに服が必要になる。八芒星の柄を古着の中から探し当て、セーターを一着買った。そういうものを探しに行くことが服を見る面白さだとはっきりわかった。だからあるシーズンのコンセプトに貫かれたラインナップや大量に同じものがあるファストファッションより、雑多に集められた製造年月日出所不詳の物量の中を掘り返すのがどうも性に合っている。八芒星はオクタグラムというらしい。その柄に惹かれたことに何か意味があるのか。ググって必然に結びつけることもできるでしょうけれど、実際ちょっと見てみたけれど、そういうことに深入りしない。夜はチキンカレーを食べた。