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流出雑記 

2014/7/9

2014年07月09日 | Weblog

晴れ

早朝奈良の仕事、残りあと4日。
5時半に目が覚めるくせはついたけれど、休みを挟んだりして寝る時間が2時過ぎると、ポーズ中泥のように眠い。
目覚ましテレビ、点けたらワールドカップのニュースの終わりがけで、どういう試合展開なのかわからなかったが、とにかくブラジルサポーターが愕然としているようすが映っていた。
巨大台風が近付いている。朝のニュースの沖縄、街路樹が風に折られて、葉のついた折れた幹がさらに風に飛ばされていたり、家が横倒しになってばらけていたりしていた。
明後日くらい休講になる気がする。

7月7日の朝、妹の陣痛が始まったから病院にいくと母から連絡があった。それ以来気になって仕方なく、7日はずっと新長田のダンスボックスにいたけれど、合間合間に携帯を見ては産まれたの連絡を待っていた。15時頃一度母にメールしてみると、陣痛が弱いので一旦家に帰されたということがわかった。
予定日の7日をまたいで、8日の朝また母にメールすると、もうでそう 昼過ぎくらいかなと返信があった。そのときの もうでそう がどんな状況だったのかわからないけれど、私のイメージではもう分娩室で、今にもという像が描かれていた。昼過ぎということは遅くとも15時には産まれているはずと待った。でも待っても待っても連絡はなく、2件目の仕事を終えて夕方、輸入食品店でナンプラーを買って、6時頃帰宅し、台風の前にやっておこうと洗濯機をまわし、掃除機をかけしていたら夜になってしまった。
さすがにもしかしたら何かあったのだろうかと不安も過る。携帯のアラームをセットしようとしたときに写真が届いた。結局産まれたのはもう9日になる手前の時刻だった。

今日の奈良の仕事を終えてから病院に行くことにしていたので、いつもより殊更仕事が早く終わることを念じた。

橿原神宮の駅までの道にあるデイケア施設の前を通るのはいつもちょうど昼時で、昨日は流しそうめんをしていたけれど、今日もまた流しそうめんをしている。
いつもの駅のパン屋で柚子こしょう塩バターパンを買う。
妹に何かほしいものはあるか聞いたら、ちょっとしたお菓子とジュースだった。道中にコンビニしかないので、好きそうなものを何種類か買って、病院に向かった。
駅を降りて川を渡り、いい雰囲気の商店街を抜けてしばらくいくと大きな総合病院がある。妹は3階の産科の病室。ノックをして入ると白黒のギンガムチェックのマタニティーワンピースを着た妹が白いタオルに包まれた赤ちゃんを抱いていた。ふたり部屋だったけれど片方は空いていた。赤ちゃんは口を一文字に閉じて赤い顔をしていて、妹は元気そうにしているが、丸二日掛かりの不眠不休で顔がちょっとやつれて隈ができていた。

難産だったらしい。お腹の中で思ったよりも大きく育っていて、さらにあかちゃんが間違えた方向から出ようとしていたらしく、もう産まれると言われてから出産までに12時間かかり、体力が尽きて痛みで失神するかも知れませんと告げられた妹の旦那と母は妹の叫びを聞きながら数時間待っていたそうだ。
あまりの痛さに帝王切開に切り替える人もいるらしいけれど、耐え抜いた妹はいろんな人に褒められたという。

抱かせてもらった。重さも身長も猫に近い。髪もしっかり生えている。この世に出て来て肺呼吸をはじめてまだ12時間とは思えない。時々目をあけるけれど、寝ているのか起きているのかわからないような状態でいて、時々火のついたように泣く。理由がわからないけれどものすごい声量で泣くのは、赤ちゃんからすると急にわけのわからない場所に出て来たわけだから、このままでは死ぬ~という不安の訴えなのだと助産婦さんから聞いたらしい。手が何か掴もうとしているように動いたりするので妹が夢見てるのかもという。まだ何も見たことのない人はどんな夢をみるのだろう。

名前は生まれる前から決まっていて、それに似合う男の子だった。今のところ父親似に見えるけれど、まだ顔が浮腫んでいるので、数日経つと顔が変わってくるらしい。

どれくらい大変だったかを聞くと、痛みは想像を絶し、切られるとか縫われるとかそういうのは大した事なく、とにかく陣痛が辛かったという。テレビ台の横にガーゼに乗せた乾燥中のへその緒が置いてあった。まだ生で焼く前のホルモンみたいだった。

赤ちゃんの呼吸を感知して、ちいさな音が出る計器がついていて、その音を聞きながら赤ちゃんが静まっているうちに妹といちごのブールドネージュとジャガビーを一緒に食べた。