経営に携わった友人たちと語った。この30年、目まぐるしい変化があった。常識が常識でなくなった。これからの変化には到底ついていけないだろうと。
もはや保守という集団は機能しなくなる。昔は良かったなどと言うのは既得権益にしがみつく自己中心主義に過ぎないのだ。憲法改定が懐古趣味であるならば到底意味をなさない。公私混同して美しい日本を汚した張本人は誰だ。天皇陛下退位を間近に控え暗鬱なる思いである。
昨晩は酩酊状態でなんとかブログを書き込む。会場は同級生の伝手で草津温泉の大阪屋。太子駅の復元を見ながら六合村から草津温泉に入る。
湯畑の周りは大勢の観光客で賑わう。夜も照明に照らされ草津温泉ならではの光景、ただし旅館のイルミネーションがやや雰囲気を阻害している。明るければよいというものでもあるまい。
中学校時代の同級生、すでに70歳間近である。それでも話をしていると一気に50年の時を遡る。聞けばそれぞれ大変な思いを乗り越えている模様。同じ建設関連分野の3名が同室。ハウスメーカー、ゼネコン、設計とそれぞれ分野は多少違うがしみじみと沢山の話題あり。
今年は紅葉には少し早かったようだ。青葉山まで登ると紅葉の山になる。白根火山ルートが閉鎖で開ければ渋峠まで直ぐなのだが近年何かと物騒な地域だ。ここで解散しそれぞれ帰路につく。
中学校時代のクラス会があり草津温泉の大阪屋に投宿。
先ほど解散。草津の湯畑を夜見るのもひさしぶり。近年周辺整備が進み観光客も遅い時間まで外で楽しんでいる。
65歳の一区切りを経てそれぞれ落ちついた模様。物故者も多いクラス。何はともあれ懐かしい顔ぶれに会えてよかった。
先ほど解散。草津の湯畑を夜見るのもひさしぶり。近年周辺整備が進み観光客も遅い時間まで外で楽しんでいる。
65歳の一区切りを経てそれぞれ落ちついた模様。物故者も多いクラス。何はともあれ懐かしい顔ぶれに会えてよかった。
5年近く続いている「住宅省エネルギー技術講習会」の講師を務める。今年度が最後とか。2020年には法的に義務が発生する住宅省エネルギー基準。
夏冬の冷暖房エネルギー抑制を狙った基準だが設計の自由度が下がることも意味する。構造計算は来るかもしれない天災への準備だが省エネルギーは毎日の生活の結果だ。
講師ということでテキストを事前に熟読する。改めて煩雑だなというのが印象。乗り越えていかなくてはならない課題だ。
事前に長い間講習会を実施させてきた国土交通省も本気だということだろう。とかく地域の小さな工務店には技術力の余裕が少ない。年配の大工さんにしてみては腕のふるいどころでもない。ただ現実がそれを求めている。なんとか現場も乗り越えてほしいものだ。
ひとまず仕事から4日間離脱。週末は草津でクラス会。本気でロードバイクで行こうかと思ってはみたが夏はすっかりさぼってしまったので足が持つかどうか。
それより左手首が変な痛み。ショートカットキー以外にさして使いみちがないのだがどうしたことだろう。
一昨年は大前から鳥居峠に向かって田代でロードバイクを倒し特急草津で帰る羽目に。
せいぜい万座・鹿沢口まで輪行し草津まで登り、帰路は前橋まで自走がせいぜいかな。手首次第といったところ。ロードバイクでクラス会に乗り付け驚かそうという魂胆だが邪念が入るとろくなことがないから気をつけよう。
ILCE-7M2+FE 50mm F2.8 Macro
ミノルタSRT101のころMC MACRO ROKKOR-QF 1:3.5 f=50mmを購入した。1970年ころ雑誌「ニューハウス」のコンペ募集があり提出した図面を保存したかったこと。仕事で描いた着色パースの記録を撮りたかったこと。つまり建築に関わる仕事の機材として欲しかった。最初に買ったレンズがMC ROKKOR-HG 1:2.8 f=35mmだったので遠近感がどうしても強調されるので自然に見えるレンズが欲しかったことなのもその理由だ。標準レンズの50mmが兼ねられるという目論見もあった。
ミノルタアルファ7700iに変わってマウントの不整合で出番がなかったところミラーレスのレンズ交換式デジタルカメラにはアダプターを介して使用できることがわかった。ミノルタの流れを汲むSONYにしたのも自然の流れだ。新旧レンズを使い分けながら遊んでいる。
ILCE-7M2+MC ROKKOR-PF 1:1.4 f=58mm
マクロ撮影のように焦点を合わせつポイントが機械任せにできないことが多く結局マニュアルフォーカスに変えることも多い。
とはいえ最新のレンズの発色、コントラスト、解像力はものすごい。ノスタルジーで旧レンズを使う気にはなりにくい。
ただしMC ROKKOR-PF 1:1.4 f=58mmのように開放付近の柔らかいボケ味は魅力的ではある。新旧レンズを交換しての撮影の幅が広がり一層撮影にのめり込む。
ILCE-7M2+FE 24-105mm F4 G OSS
ILCE-7M2+FE 24-105mm F4 G OSS
2日休んで3日仕事の予定。金曜日は省エネ技術講習会。土曜日からはクラス会で草津。いろいろ忙しい。あっという間に10月も半ば。早い。
仕事であれこれあるが記事にはできないから結局書くことも少ない。
夜、書斎の整理と画像整理、ときどき「深夜食堂」。雨具は広げたまま。靴を修理のために荷造り。湿度が高かったので撮影機材は防湿庫で乾燥。カメラ本体もよく見ると擦り傷が増えてきた。ウレタンのグリップ類も加水分解を始めたらしく少し粘る感触。それでもエルゴノミクス的なデザイではないILCE-7M2、つまりソニー:アルファ7Ⅱは少しフィルムカメラ的、ライカあたりを意識しているのかもしれないが様になっている。塗装の下が真鍮なら申し分ないのだが。
ILCE-7M2+FE 50mm F2.8 Macro
35mmフィルムクラスのイメージセンサーをニコンやキャノンがミラーレス機に採用を始めた。ラチチュードに余裕がありそうなのがイメージセンサーの大きさ。実用的な解像度の本機はなかなか使い倒せそうもないほどだ。フランジバックの余裕からオールドレンズの母艦として導入を決めたのだが最新のデジタルレンズにひとまずなれると全手動のシステムも又楽しい。実際マクロ撮影では焦点を合わせたいところにはマニュアル操作に限る。新型に一巡すると又古いレンズで遊んでみたくなった。
開放付近の予期せぬ表情はコントロールされきれないオールドレンズの面白さだ。
まだ里まで降りてこない紅葉を待ち遠しくて長野の山まで見に出かける。里では稲刈り、高度が上がるたびに少しずつ紅葉。いよいよ秋の真打登場。
週末は中学校時代のクラス会。草津温泉に集合。こちらの紅葉も楽しみだ。そろそろ本格的にリタイヤを始める時期。どんな話題になることやら。
今日から前橋まつり。祭り囃子を聞きながら仕事。町内行事というのは一度抜けると入りにくくなるもの。大勢いた同級生も今や町内では自分のみ。
勤め人暮らしが長かったから町内の同年輩に人たちとはほとんど交流が絶えてしまった。
建築の世界ではさかんに「まちづくり」及びそのためのコーディネーター、ファシリテーターの役目を担うべきだと話題になるが自分の性格からすると面倒くさいが先に立ってどうも無理だ。
前橋祭りは戦後「商工祭」と称して始まったイベント。神事ではない。そもそもアメリカ軍の空襲で市中心部の神輿や山車は消失してしまってかつて渋川の山車を借りてきたことも有ったと聞く。とはいえ多くの人でがあり七夕以来久しぶりの賑わい。理屈はともかく良しとしよう。
アマゾンプライムビデオで「釣りバカ日誌」を見ていたせいでもないが、仕事を終えると疲労感。ちょっと横になるとウトウト。老人感満載。
よくtvなので夏の疲れが出る時期というがそういうことなのだろうか。運動不足でお腹が金魚。体内時計が夜型にセットされたままで早朝サイクリングもすっかりサボったまま。体力を回復させないことには冬が乗り切れないと気が早い思いと焦りがある。
今日も10年ほど前のクライアントからメンテの相談。facebookで趣味の画像ばかり投稿しているものだからすっかり遊び呆けていると思われていたらしい。
現実は職場の留守番をきっちりこなしむしろ忙しい。経営者としての気苦労から開放されたことは良いことだが。若い所員と一緒に仕事をしているとどんどん力をつけていっているのが感じられ楽しい。これを見守るのも楽しみの一つだ。
もはやZEHなど一般の人でも知っている語彙になった。2020には省エネ性能は耐震性能などと同じように法規制の対象になる。
いままでは断熱や機密の仕様が規定されていたのに対し、主に実際に消費されるであろうエネルギー量が指針になり、その評価には建物の断熱性能とともに設備機器の消費エネルギーまで評価の対象となる。基準値は都内に住む親子子供4人家族の家庭の消費エネルギーを想定しているとかでもちろん寒暖の差の激しい日本列島だから地域によって補正される。
今朝のTVで太陽光発電の売電価格が下る話題を伝えていた。再生エネルギーというのはまだまだ発展途上であるし、対費用効果が非常に優れているとも言えない。
しかし原子力発電の根本的な危険性、及び化石燃料のCO2排出の問題を考えれば真剣に考え無くてはならない分野のはずだ。
それと並行してまずエネルギーを使わない方向付けも必要だ。ただ現実的には旺盛な都内での建設工事のあおりで地方の建設物価も引きづられて高騰を続けている。
地方の慎ましく暮らしている市民には省エネや再生エネルギーまでさえも手が届きにくくなっている。
結果、逆に設計力が試されていると言えよう。2020年の法規制を前に地場の住宅産業向けの講習会もいよいよ終わる。地道な技能者がしっかり仕事ができるような環境をなんとか続けていきたいものだ。
事業を譲ったといってもまだ仕事場には出ているので新年度になるというとまた新たな気持になる。準備期間を経て引退したのだがまだまだ縁が切れない。
今日も20年以上も前の仕事のメンテナンスの相談で来訪者。時間のたつのは早いものだ。