2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

新米をいただく

2015年10月18日 | ひとりごと
新米が出来たのでということでいつもの男子会。
ありがたいことにいつもこの時期になるとお誘いをいただく。
もちろん新米だけでなく、手料理でもてなしていただく。

上毛電鉄は自転車をそのまま乗せてくれるのでちょっと遠方に出かけるにはとても便利。
先週は電車を乗り継ぐ旅をしていたのでこののんびりした電車の時間も気にならない。

新屋という無人駅でおりちょっと寄り道、かつて祖母が住んでいた御霊神社近くの集落を回る。
少し記憶はあるもの新しい家が立ち並び変化を感じる。
小学生のころ青大将を見た狭い道ももう無い。



もう何年になるだろう。同じJIAのメンバーとして建築の設計に携わってきた仲間である。
近況の話題、そしてこれからのこと。話が弾んだ。

お祝い

2015年10月17日 | ひとりごと
群馬中小企業家同友会前橋支部の親しい会員が事務所の新体制発足を祝って集まってくれた。
この会はすでに会員を横堀所長に引き継いでいるので横堀所長の就任祝いである。
単なる役員と違っていずれ株式まで引き受ける立場である。
経営の全責任を引き受けるということは実際にその立場にならないとわからないことが多すぎる。
まだまだ自分が円滑な引継ぎのために奔走しなくてはならないが事業の継続の方針が立ったことはもちろん自分にとっても慶事である。久しぶりに同友会の話題で楽しい夜を過ごすことが出来た。




それぞれの展示

2015年10月15日 | ひとりごと
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は呉港桟橋のすぐ前にある。戦前戦後を通して軍港として長い歴史を持ち、造船も瀬戸内一帯は盛んな土地柄である。
旧海軍 軍艦大和も呉で建造された。その地域独特のプライドがこのような施設を作ったのだろう。



旧海軍 軍艦大和は武蔵、信濃とともに世界最大の戦艦として起工したが皮肉なことに完成した時には日本海軍の空母6隻からなる機動部隊の艦載機による真珠湾攻撃、陸上攻撃機によるマレー沖海戦によって、制海権を航空兵力が握るような時代になっていた。大和は完成時には時代遅れの船になってしまった。そしてわずか4年足らずで水上特攻により海没する。
これをどのようにとらえるか。目玉の模型を見るにつけ、複雑な思いである。




広島平和記念資料館は1955年の丹下健三の設計により完成したとある。
コルビジェのピロティとの類似性はぬぐえないが原爆ドームと原爆死没者慰霊碑 を貫く軸線が一層強調されるものになっている。
展示物については予備知識として既にあり、正視に耐えられるか自信がなかった。
しかし建築を見る旅とはいえ展示物をきちんと見ようと決心し現地に向かった。



まず広島に10月10日夜になってから入ったので夜景を見ることになった。町の灯りが灯るとはいえ都市の猥雑な光景が消え施設が照明に浮かび上がる。
広い公園の中は静かな夜を迎えていた。
翌日、昼間公園に入る。端正な建築群が展開する。ただしピロティにより空中に浮かんだかのような建築は重量感を感じさせない。世界平和記念聖堂とは対照的だ。



展示は本物とレプリカが入り混じるのには疑問を感じる。建築の修復にも通じる課題だ。そして情緒的すぎる。
まず日米の戦争責任があいまいにされている。原子爆弾がなぜ広島に投下されなくてはならなかったのか。市民の大量虐殺が戦争犯罪に問われないのか。

同じ市民でも原爆の被害者、海軍と深くかかわって生業として生きてきた市民。二つの展示施設のそれぞれの交わることのない視点があった。




厳島神社

2015年10月15日 | ひとりごと
厳島神社は数ある神社のなかでも平安末期の動乱の舞台となったことでも知られ、海に浮かぶ大鳥居とともに世界文化遺産にも登録されている。
穏やかな瀬戸内とはいえ台風で何度も被害にあっているが現在に至っている。



幾度も増改築を重ね現在の形になっている。回廊によってつながれた独特の景観は他に類を見ないものだ。
神道と仏教が入り混じった姿は伊勢神宮の現在の姿や出雲大社などとはまた別のものだが、日本独特の宗教観が良く表れている神社でもある。



午後3時過ぎに到着。まだ潮が引いていたので回廊の下は砂浜のままで海藻がそのまま見えたりお世辞にも美しいとは言い難い。
TV番組の撮影の巧妙さを改めて感じる。しかし日没近くとなると潮が満ちてきて景色が一変する。
海に暮らす人にとっては当たり前のことなのであろう。


村野藤吾を観る

2015年10月14日 | ひとりごと
渡辺翁記念会館とカトリック幟町教会 世界平和記念聖堂の見学の機会を得る。
いまさらという気持ちともう一度見たいという複雑な気持ちではあったが双方ともすごい。
村野の力もさることながらこれを支えた職人の腕に嫉妬を覚える。



昭和10年の作とすると佐藤功一の群馬県庁、群馬会館とつい比較してしまう。
タイルは昭和5年の欧州旅行のあとであることからストックホルム市庁舎やハンブルグのチリハウスなどの影響を感じる。



人研仕上げにより仕上げられた壁画や装飾各所に見られる鷲のモチーフの装飾は丹下健三などがコルビジェの強い影響を感じるのに対しロシア構成主義やドイツのシュペーアやシンケルの影響を感じる。
やはり日本近代建築の本流とは距離を置いている。



世界平和記念聖堂は晩年の八ヶ岳美術館にも通じるテクスチャが魅力的である。
大きな建築であるにかかわらず空間の豊かさと隅々までコントロールされた細部を作り出したエネルギーに不気味ささえ感じる。


残るということ

2015年10月12日 | ひとりごと
研修旅行の画像を整理。古い建築をいくつか見て廻った。
同時代に出来た多くの建築の中で生き残ってきたのには様々な理由があろう。



どんな理由であれ残っているだけで存在価値がある。
自分たちが作っている建築のそうあって欲しい。


秋の研修旅行

2015年10月09日 | ひとりごと
研修旅行、今日は渡辺翁記念館、錦帯橋、厳島神社を見学。それぞれ久しぶり。夕方広島市に着き原爆ドーム付近を散策。明日はきちんと見学する。あわただしかったので、何を見て、何を感じたか少し整理に時間がかかりそう。でも実際に見ないと始まらないことはわかった。仕事の合間を縫っての強行軍。実りのあるものにしなくては。

おみやげ

2015年10月08日 | ひとりごと
読売旅行の主催のミステリーバスツアー(1泊)に両親が参加。

85歳になって行き先のわからないバス旅行に申し込もうという好奇心にただただ敬服。
まさに若さとは気持ちの持ち方という見本。見習わなくては。

ということで明日から職場の研修旅行。
こちらは超過密ダイヤの弾丸ツアーになる見込み。
出先では前橋工科大学の卒業生で出身地元でがんばっているTさんが現地で待っているとのこと。
再会が楽しみ。

建築は頭で考えるよりまず空間を体験し、理解することが大切。ずっと以前に見た建築の再訪もある。
若い所員の感想が興味あるところ。寝坊したら一大事。前科があるので気をつけねば。

もうじき前橋祭り

2015年10月07日 | ひとりごと
祭りの準備が進む。
もっとももともと「商工祭」といって神社のお祭りでもなかったのだが。
ミス前橋がオープンカーに乗ってパレードなどという時代もあった。

最近は「ダンベイ踊り」だのマーチングバンドなど音量だけはにぎやかだ。
もと麻屋デパートのあった辺りでも仮設のステージが作られていた。
少し肌寒いとはいっても気持ちの良い季節。
残念ながらお祭りのときは出張で不在。にぎやかなお祭りであって欲しい。


居酒屋のお品書きを眺めるのが好きだったという。

2015年10月06日 | 訃報
居酒屋「きさく」の飲み友達であり、ご自宅設計依頼の顧客でもあった中島敏之さんが10月3日、肺腺癌で亡くなった。享年62歳。自分より前橋一中で一学年下で当時のこともおぼろげながら思い出すことが出来る。

いつのころだったろう。居酒屋「きさく」で再会した。俳句の同人誌仲間とよく集まっていた。この店の忘年会に同席したことも。そんな縁もありご自宅の設計の仕事の依頼を受けた。
当時は前橋インターチェンジの近くのアパートにお住まいでよく打ち合わせに通った。幼かったお子さんもそれぞれ高校生、」中学生に立派に成長している。
一昨年、退職を期に未完成だったお住まいの外構工事のため訪問。すっかり落ち着いた良いお住まいになっていた。
そのときはどうして今日の日を考えることが出来たであろう。

俳句はわずか17文字の極小の文字数ながら、心象風景を良く映し出す。
まったくの門外漢ではあるがこの俳句を批評するということは語彙一つ一つの深い知識と洞察力が必要であることはわかる。
教職のかたわらライフワークとしてずっと俳句と向かい合ってきたとのこと。
ご自宅設計の際に異様に多い蔵書に驚いたものだが、まさに人生そのものであったのだと改めて思った。

今日の葬儀では以前の勤め先の学校長、俳人の水野真由美、友人の佐藤進の三人が弔辞を読み上げた。
早い旅立ちを惜しむと共に共に過ごした時間の思い出を率直に述べ、見送りの言葉とされた。
奥様の挨拶もいつもの奥様であり、それが一層喪失感の深さを共感させた。


さわやかな朝だったのだけど

2015年10月04日 | ひとりごと
近所の猫は「いいね」。すっかりご近所さんになっている。午後から風や雲が出るもののまずは快適な秋日和。

仕事で職場により昼食は「ヤギカフェ」
偶然一昨年設計させていただいた藤岡の建築主が昼食中。
聞けば「備忘録」から探し当てたとのこと。
ブログの思わぬ力を実感。

早朝、訃報有り。同年輩となると気持ちが一層暗くなる。