2022 備忘録

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雪の鉄旅

2018年02月06日 | ひとりごと
会津紀行 鉄旅 2018-02-04~05



会津地方は阿賀野川流域に有り、同じ福島県でもむしろ日本海側気候に近く越後山脈、奥羽山脈、下野産地、飯豊産地に囲まれた地域にある。
群馬県とは尾瀬を介して会津沼田街道で結ばれていた。利根地方の人のなまりの中にはあきらかに東北地方のものを感じることが有った。

現在、会津地方に鉄道で入るには新潟県側から磐越西線、栃木県側から野岩鉄道経由、または東北新幹線郡山経由の3つがある。時間帯によってどれが最短になるかわからない処が興味深い。今回の旅行では両毛線、東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道、会津鉄道を経由する4時間20分195kmのルートを選んだ。帰路は郡山周りとし、371.4kmである。

前橋発小山行 もはや両毛線の顔となった211系。おもしろくもなんともない電車。単線区間の駅で交換する電車が意外と多い。つまり運転密度が意外と高いようだ。栃木までは同じような景色が続く。但し普段は自動車で行動した地域。視点が変わると又違った表情がある。桐生からの赤城山はなかなか良い。



栃木をけごん5号特急東武日光行で出発。 東武鉄道の特急は意外と地味な印象。車齢も古いのでいかしかたのないところか。新幹線を見慣れた目からは意外とナローボディーの車体は特急らしく見えなくもない。かつての国鉄の特急のように。



下今市で東武鬼怒川線に乗り換える。新藤原行きは6050型。 野岩鉄道、会津鉄道相互乗り入れ用の車輌。ボックス席というのは電車というより列車らしい。男体山など雪化粧の日光の山々がキラキラ光っていた。
終点の新藤原ではSL大樹に行き会う。観光気分が盛り上がる。AIZUマウントエクスプレス1号会津若松行が待っていた。気動車に変わる。AT-750とAT-600の混結。エンジン音がJRのキハ100系にくらべると静か。そしてなかなか豪華な内装。前面から進行方向がよく見える。非電化区間は架線がなく空がスッキリ見える。一層ローカル線であることを感じさせる。











ようやく湯野上温泉駅に到着。なんと茅葺きの駅舎。SL時代であれば火災を恐れて出来なかったであろう。切符と一緒に甘酒の売っている。冷たい空気に甘酒がうまい。待合室に囲炉裏の火がおきてる。別世界に降り立った。











翌朝は雪。あたりが霞む。風も少しありただ冷たい。これが雪国なのだろう。湯野上温泉発 会津若松行 たった一両の普通列車。
会津若松に着く。車体側面は賑やか。鉄道会社の様々な努力が伺われる。新潟色青・赤の混結。まだまだキハ40が頑張っている。



この駅の特徴は1番、2番ホームが頭端式ホームであることだ。つまり会津若松が東京方面からの行き止まりであることを表している。まさに会津若松がこの地方の中心であったことを物語るものだろう。裏口のように3番、4番、5番ホームが通過型になっておりこれらが日光や新潟方面につながっている。そして扇型の機関庫が残っているが今は気動車が休んでいる。

会津若松からJR信越・磐越西線快速「あがの」新潟行で喜多方へ。ビフォーアフターの仕事で阿賀野市に出張の際に何度か乗ったことのある車両。飯山線や小海線、八高線でも仲間が走っている。 JRの標準的な車輌。乗務員も事務的で愛想がない。旧国鉄と私鉄の差はまだある。ふたたび会津若松に戻る。新潟色青。これも新津でよく見た色。新潟が近い。











会津若松を郡山までJR磐越西線。雪景色が一層白くなる。気温も下がる。磐梯山がすぐそこに見える。雄大な景色だ。やがて雪がどんどん少なくなり郡山に着く頃にはすっかり地面が見えるようになる。そして新幹線ホームへ。直前で列車変更したので「つばさ」には乗れず「やまびこ」。E2系は上越新幹線でおなじみの車輌。だんだん現実に引き戻される。乗客も観光客より仕事帰りと思われる人たちが多数。大宮でさらにE4系に乗り換える。普段通り。高崎からの両毛線も211系。すっかりいつも通り。あっという間の休日が終わった。























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