群馬の平野は麦秋を迎えた。同題名の映画では奈良県だったが。小津安二郎の名作は中上流家庭を描いた映画といってもよいがきちんとした言葉使い、服装など現代日本の生活が失った秩序がある。その品性に今更ながら憧れる。
JIA群馬クラブで「登録建築家」について話し合う機会を持つ。何気なく使っているこの言葉の意味を改めて多方面から話し合う。
そもそも建築士という名称を建設省が独占したために建築家という言葉を使っている原因がある。逆説的に言えば本来の「建築士」に建築家は戻るべきなのではないだろうか。
建築家という言葉は職業を表しにはやや不思議な言葉だ。ただし本来西欧のキリスト教的階級社会の倫理観を根底にしていることを単に技術力だけを評価しているいわば技術者資格である現行の建築士制度では包含できないのであろう。
JIAの理念に沿って長年仕事をしてきた。これは堅苦しいしい話のようでもあるが施工会社やハウスメーカーのような利益追求のための組織(資本主義経済下ではごく当然のこととして)と個人が立ち向かうにはそうではなくクライアント、大きくは公共のために働くための立ち位置を確保するにはUIA,JIAの基準に即した行動が実は武器になることを長年の経験で掴んだ。自分お後継者もそれを理解している。
自律性、専門能力、責任、献身性を維持することが自分の自己実現への道筋であった。