散る花や 今咲く花に 日は温み
中村 梅士 Baishi
昨日、近場の一泊旅行から帰還して、一安堵している。
海の中道公園は大賑わいだった。
いい花見ができた。
ところが、携帯電話や時計、眼鏡、三島由紀夫の『葉
隠入門』、お気に入りの草履を入れていた手提げ袋を遺
失するという事件に意気消沈した。
何という粗忽!
くたびれて家に戻ると、気になって仕方なく、捜索の
問い合わせをした。
すると、JR遺失物係でヒットした。
何という奇跡!
福岡はまだ平和らしい。
疲れていたが、保管駅まで出かけて受け取ることがで
きた。
電車の中のスマホ族には不愉快だったが、恩赦にした。
それにしても、スマホ族の異様な光景はゾンビの群れ
のように感じられることである。
公共の場に閉塞した死体がゾンビのように歩いている。
現代の病は、公共の倫理を欠損したところにある。
ハーバーマスの「開かれた公共」という考え方もある
が、実際には、開かれた公共など実感されないことであ
るし、むしろ、閉塞された公共という病理の方が重要で
ある。
そうした閉塞感は、マスコミの支配と公務員社会主義
の弊害の現れでもあろう。
スマホによる利便性を高めるベンチャービジネスや国
家政策が産業革命でもあるかのように扇動されている。
しかし、ゾンビの群れを作りだし、公共性を閉塞し、
国民がセルフコントロールできない奴隷に落とし込んで
いるように思う。
奴隷の手鎖のようなスマホを手放すべきである。
スマホ的利便性は、善意で舗装された悪魔の道である。
悪魔は電子化されて忍び込む!
公共性の倫理を回復するべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party