石蕗を 手間暇かけて 料理たり
中村 梅士 Baishi
いろは島で何十年かぶりに石蕗に出会い、たくさん買
い込んだ。
それですぐに食べられるわけではない。
丁寧に皮をむき、塩水に漬けて一晩アク抜きをするの
である。
皮を剥いた指はアクで黒くなる。
遠い記憶をたどって、最初は圧力釜で煮付けたが、柔
らかくなりすぎて石蕗の歯ごたえがなくなった。
山ほど作ったので、まだ残っている。
雑煮を作ったが、良い出汁にはなった。
昨日は、下ごしらえと思って鶏皮と炒めていたが、赤
酒やワイン、日本酒、出汁醤油を入れていたので、その
まま、時間をかけた炒め料理として仕上げてしまった。
良い艶が出て、適度に甘く、歯ごたえもあって、実に
旨い石蕗料理ができた。
素材への愛着が料理の喜びである。
さて、今日は老母を伴って、今年最後の花見に出かけ
る。
花吹雪が見頃であろう。
しかし、心楽しむ時間ではない。
価値観の異なる異文化だからかもしれない。
しかし、親不孝のカルマはこの世のうちに多少なりと
も刈り取っておきたい。
親の苦労に対して、出世で報いることはできなかった。
大衆的ではなかったが、リーダーにはなれなかった。
この世的な実績や出世は大切であることが分かった。
競争を汚らわしく感じ、嫌ってはいけなかった。
そのような魂の傾向性も、教育によって補強すること
ができる。
そうした教育の芯柱が武道教育であろう。
現代ではスポーツに拡張しても良いかもしれない。
しかし、現代スポーツ教育ではいけない。
スポーツマンシップ教育でなければならないからだ。
青年にとって、武道やスポーツは大切だ。
心身を鍛えることは自信の基礎となる。
上達の喜びや競争のおもしろさを知り、仲間やライバ
ルとの友情を育むことは、この世を戦うためには欠かせ
ない基礎であり、リーダーシップを養う基礎となる。
勝負強さは、負けることによって培われる。
勝負強さがなければ、仕事はおもしろくないし、幸福
の科学においてもチャンスを得ることができない。
幸福の科学総裁夫妻は剣道で鍛錬し、幸福実現党の釈
党首は弓道で鍛錬している。
日本の武道は、世界で最も優れたスポーツマンシップ
教育の資質を備えた教育方法である。
武道と西洋スポーツを組み合わせると良いのではない
か。
大切なことは、競技技術ではなく、その前提にある、
礼節という人格的資質である。
教育人材の資質は、武道ないしスポーツで鍛錬されて
いることが必須の条件というべきである。
できれば、一競技ではなく、数種類の競技に親しんで
いることが好ましい。
教育学部自体が文武両道でなければならない。
教育革命は国家百年の計である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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