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国民がつくる国民のための国づくり…北斗市

2008年09月06日 17時47分09秒 | Weblog
総理大臣の突然な辞任に対しては、マスコミも、関係政党の確たる方々の殆どの人が、無責任辞任、投げ出し辞任などと、洪水のような批判の声をあげています。
振り返ってみますと、このようなマスコミも、各政党の確たる人々も、以前は声を揃えて福田総理に「辞めろ、辞めろ」の大合唱をしていたように思えるのですが…

日本の風習が責任者や権力者に対して、辞める事が最高の責任の取り方だと言う文化を創りつつあるような気がしてなりません。政治家や権力者が「そんなに辞めろ、辞めろと言うのなら辞めてやろう」と言う気持ちにさせられるのも無理からぬ事であり、その主体者は、マスコミや確たる人々の口車に乗せられた、我々有権者であったのかも知れません。

マスコミ論評は、評論家も野党も、政府与党が、官僚機構を改革できない事を盛んに批判しています。社会保険庁問題も、天下り問題も、無駄遣い行政も、つき詰めれば官僚主体の国家となっているからです。しかし総理や大臣が次々に代わっても、日本の政治が多く変わらないのは、まさに優秀な官僚が国を司っているからなのでしょう。

戦後政治においては、官僚が国づくりをし易い環境をつくってきました。
国民は、剛健政治家が権力を特化させ、不幸な戦争を招いてしまったと言う、自戒の念が根強く潜在し、戦争とは無縁の官僚政治を容認して来たように思われます。そのような国民コンセンサスの上に立って、官僚機構は国の隅々まで組織を張り巡らせたのでしょう。

その官僚機構が現在は、様々な弊害を併発するようになった事は誰もが承知しています。
その官僚国家を改革するには、野党も与党も、そして何よりもマスコミも一致協力しなければ為し遂げられません。マスコミや野党における権力者批判の多くは、その個人的なスキャンダルや政治資金の管理問題などが殆どあり、国家国民のために取り組む姿勢などを評価する視点が皆無に等しいのです。
見る方も難解な国家論よりも、スキャンダルの方が面白いからでしょうか。

国葬でその死を悼んだ昔の大政治家は、国費で自宅の近くまでバイパス道路を建設し、愛妾のところから国会に登庁したと言います。当時の新聞を読むとその政治家の政策批判はあっても、個人批判が殆ど見当たりません。国家国民のための政治を行なう政治家を、寛大に容認した当時のマスコミと国民の寛容性に学ぶべき事が多くありそうです。

政治とは政治家や役人が行なうのでしょうが、その主権者は、我々国民一人一人である事を再認識しなければなりません。政治を司どる政治家や役人を育てるのもの、その主権者である私達国民なのです。
地味な政治、劇場型政治など、形に翻弄される事なく冷静に政治を見て参りましょう。

写真は大混乱の国会議事堂の写真ですが、ライトアップされた噴水が何か物悲しそうに見えてしまいます。
政治状況と関係なく、ファース本部では、昨日も今日も明日も粛々と省エネ実験を…
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