坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

中道政治

2011年07月27日 | 坊主の家計簿
 facebook作業日記。
 目が疲れた。。。しかしながら「ややこしいのぉ。。。」と闘い続けた戦士には休息が必要である。ので、呑んでます。
 
 何やらfacebookには『facebookページ』というのがあるらしく、これがホームページ的使い方が出来るらしい。また、それ用のアプリなんぞも沢山あるらしい。とりあえず実験を兼ねて、諸々作ったりする。これで寺のホームページを作ればエエわけやね。

 facebookの細かい個人情報登録なんぞもする。宗教や政治なんぞもあったりする。これらを全て正直に書き込むと見事なまでの思想調査が出来たりする。本名出し、住所出し、電話番号出し、宗教出し、政治思想出しなんぞとやって行けば、facebookはもの凄い個人情報を集約する。国家以上である。仮に世界中の人達全てがfacebookの会員になったならば、facebookは全世界の人の宗教や政治思想までも把握した国家以上のものになる。スゲー、というか、ある意味、怖い。

 んが、まあ、「あなたの宗教はなんですか?」は、別に私的には問題はない(笑)ちゃんと『宗教』の所に『ラスタファリズム』と書いておいたし。。。え~。。。ウソですが。

 政治思想。ここは空白でも良かったのだが、とりあえず『共産党』にしようかと思ったのだが、イマイチだったので少し考える。せっかくなので中道にしておいた。
 中道政治。すなわち『エエ格好しい』である。

 「お前の思想は何やねん!」
 「私はロッカーなので引き蘢ってます」

 というやつである。ん?
 
 まあ、煩い中道って、エエ格好しいやんな。あ、『エエ格好しい』はバリバリの大阪弁か。標準語では「格好つけ」とかになるのかな?別名「大人ぶるクソ野郎」か。
 最初は政治思想の所に『えらばず、きわらず、みすてず』と書いたのだが、今日は実験しつつの作業だったので、政治思想の所に『えらばず、きわらず、みすてず』と書いてもリンクが出てこない。まあ、そのうちに『えらばず、きわらず、みすてず』のfacebookページを作ればエエのだが、今日はそこまで出来ないし。実験、実験。
 
 でも、まあ、最近、極端をきらう様になって来たのは確かである。別に最近だけでもないか。ここ10年ぐらいかな?もっとか。

 今日も、昼間のワイドショーを御飯食べつつ少しだけ見てたのだが、何やら今年は節電の夏であり、お惣菜がよく売れているらしい。しかも揚げ物系が。理由は簡単で「暑いから」。
 パパ、少しキレる。「アホかこら!働いている中での料理作りなら解るが、『暑いから』いうて台所に立つのがイヤなら専業主婦(主夫)なんぞ辞めてしまえ!」と。番組では35℃ぐらいでネを上げてやがった。まあ、あの人は赤ちゃんを背中におんぶしながらだったので、より大変だろうし、かつ、赤ちゃんも危ないのだが。
 それでも、専業主婦(主夫)が「暑いから料理を作るのがイヤ」なら、労働者としてどうなのだ?「暑いからこの仕事イヤ」なら、「帰れ!お前に働く資格はない。顔を洗って出直して来い!」ではないのか?だいたい、フライヤーの前で一日中働いてみやがれ。それが労働者ではないのか。
 「家事を労働として認めろ!」ならば、労働者としてちゃんと働け。
 んが、まあ、私は『素麺でも一度に茹でて冷凍しといたらエエやん派』だったりするのだが、かなりアマアマだったりするのだが、当然、こんな発言があったらキレる。んが、うちのママはパートに行っているので、その条件には当てはまらないのだが。
 
 と、まあ、女性解放の人が聞いたら激怒しそうな事ぐらいは平気で行ったりする。つーか、やはり女人禁制の山を支えている人達を無視しての解放論理は絶対にオカシイと確信している。

 また、私は「原発は辞めようぜ」なんだが、最近『反原発カルト』とレッテルを貼っている人達の動きには「アホか」である。
 今日も昼飯食べつつのワイドショーの中で「今年はセミが少ない」とやっていた。気象の関係らしい。
 しかしながら、そのセミが少ない事を「放射性物質のせいだ!」なんぞと梅雨明け前後ぐらいからやっていた。え~。。。今の段階ではまだ放射性物質は地表にあるのではないのか?だから「ひまわりなんぞ植えても『キレイ』という以外に意味がないですよ」ではないのか?セミの幼虫は地中に居てるのやろ。数年後ならともかく、今年ってなんやねん。
 また、『御用学者』とかなんとか。御用学者に対する言葉って「アカ」ぐらいしか思いつかないのだが。「あんなアカのいう事なんて放っといたらエエねん」なんぞと。何を言っても「あいつはアカやから」とか。んなもんやろ。
 今は圧倒的に脱原発路線の流れである。しかも、一部ではかなり過激化している。原発に反対する人を「あいつはアカやから」レベルに悪化している部分も見受けられる。そういう人に対しては当然、「アホか」である。

 あ、脱原発過激派にとって、不都合な真実。

【原発ゼロにすると大気汚染の増加で何人ぐらい死ぬのか?】
 http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51842863.html

 まあ、反原発過激派にとっては意味のない説である。
 
【しかし電力会社は新しい火力発電所をどんどん作っているわけではなく、老朽化して使っていなかった火力発電所をどんどん復活させることにより、電力不足をしのいでいます。経産省も環境アセスメントの免除など、環境基準を大幅に緩めて、老朽化した火力発電所の稼働や増設を助けています[3]。実際のところ、放出される大気汚染物質はこれよりかなり多くなるでしょう。おそらく3000人以上の死者が毎年出る程度ですね。】(上記リンクより)

 らしい。
 これが「原発を停めても電力は大丈夫だ!」の裏側である。
 再生可能エネルギーが原発の分まで賄える、つまり再生可能エネルギーのリスク計算をキチンとして、再生可能エネルギーの中で原発や火力に変わり得る安定したエネルギーである地熱発電や、あるいは、「トータルでペイね」のバイオ系を使った発電なんぞと、火力発電で賄える様になるまでどれだけの時間がかかるのか知らないが、現状では毎年3000人以上らしい。

 「そんな話はウソだ!原発推進派の御用学者か、工作員だ!」
 
 という意見や、あるいは

 「今回の原発事故でどれだけの人が死亡すると思っているのだ!」
 
 でも構わないが、まあ、批判になっているのか、どうかは知らない。
 現状では原発事故で放射能で亡くなられた方は居てないらしい。不確定な怪しい情報もあったが、まあ、解らない。将来に渡っては、国がどこまで本気でやるかだろう。
 何やら

【生涯被曝100ミリシーベルトを答申へ 食品安全委】
 http://www.asahi.com/national/update/0726/TKY201107260158.html?ref=goo

 らしいが、んなもん、放射能に弱い人も強い人も居てるやんけ。個別の健康管理の徹底しかないやろ。目安は目安なんだろうが、同時に福島県民だけでなく、日本に住んでいる全ての人を対象にすべきではないのか?そして、誰一人として犠牲者を出さない。放射能由来でなくとも甲状腺ガンや白血病なんぞの発病率も低下させ、ますます長寿国になるとか。え~。。。健康保険料が高くなるのだろうが。

 あ、話が。

 日本は『原発がある様な国』である。

【原発ゼロにすると大気汚染の増加で何人ぐらい死ぬのか?】

 という記事を読みつつ思ったのだが、では、「原発を廃止する様な国になったら、自殺者はどれだけ減るのだろうか?」と、ふと思った。
 思っただけなので当然データーはない。facebookで忙しい。
 
 まあ、原発を廃止する動機にもよるのだろうが、また、原発を廃止してどういう国を目指そうとしているのか?という問題でもあるのだが、「無理やって」と。「テキトーな事しか出来ひん、失敗ばっかりしている私らに、原発を管理するのは無理やって」なんぞと。
 イタリアで原発廃止した時のジョークで「あれだけ勤勉な日本人が原発を管理出来なかったのだから、私たちに出来るはずがない」というのがあった。
 エエ感じである。
 「日本高度成長期を推進して来た人達が無理やった事を、私たちに出来るはずがない」とか(笑)

 原発って管理と緊張のシンボルではないかと。失敗や間違いが許されないシンボルではないかと。そういう『原発』を許して来た社会ではなかったのかと。
 原発廃止により毎年3000人以上の犠牲者増加らしいが、単に「原子力発電を辞めます」だけでなく、思想そのものが問われているのでは?なんぞと思ったりする。

 当然、
 「なんで私の大切な人が放射能の影響で死ななければならないの?原発を推進して来たのは誰?」
 でも、あるいは
 「なんで私の大切な人が公害の影響で死ななければならないの?原発を停めたのは誰?」
 であっても、キチンと向き合わなければならない。
 どんな大義の為であっても、その影響で人が亡くなるのだから、「仕方がない」とは言ってはいけない。