坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

人間を冒涜してはならぬ

2011年07月11日 | 坊主の家計簿
 暑かった。。。今日の大阪は何度あってんや?つーか(『っちゅうか』は暑くて打ち込むのが面倒なのでしばし辞め)、暑さは『体感』なので、気温だけでなくその日の調子も含めての話なんだが。
 
 仕事を終えて帰宅。余りにも暑かったので、「電力が足りないというのは嘘である。」と、クーラーをつける。。。え~、この話が嘘です。帰宅するとママがクーラーの効いた部屋で娘と寝てました。パパは今日使った装束(衣とか袈裟とか)を全部部屋干しにして「衣類乾燥にするで」と。衣類乾燥でも冷え冷えやし、なんせ袈裟は高価なので速攻でなんとかしないと。

 何やら、テレビ番組(?)で、内閣支持率等のアンケート調査をやったらしい。

 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/shin2001/chousa/index.html

 調査対象は『首都圏の成人男女500人を対象に電話調査』らしい。当然、電話でのアンケート調査でも質問の仕方や、質問の順位などで、作為的な事も出来るらしいが、それでもまあ、ネット等での投票型の数字よりも遥かに信頼出来る。
 今回もアンケート方法も

『【問1】九州電力玄海原発の再稼働をめぐり、地元自治体が再稼働容認を表明した後に菅首相が追加の安全検査「ストレステスト」実施を発表したことについて地元自治体が反発しています。菅首相の手法と方針についてどう思いますか。』

 であり、そこから導き出された数字である。人間は気分で生きてますし。

 で、民主党の支持率10.0%で、菅内閣の支持率16.4%で『支持しない』が79.4%。
 政党支持率では自民党が27.6%で、「あの」みんなの党が8.8%。

 集団ヒステリー状態が(笑)
 というか、この夏の節電がなければ、もう少し民主党や菅内閣の支持率は良かったと思う。いや、暑いでんがな。暑いし、節電やし、イライラするし。7月7日の首都圏の気温は知らんが、こうイライラした事が多かったら、まあ、無難に「政府が悪い!」になるわな。
 確か、ジャマイカで暴動が起る原因は「暑かったから」というのが理由の筆頭らしいが、んなもんやろ。
 特に今夏の首都圏は暑いだけでなく、地震&余震、放射能汚染と、ストレス溜る事が腐る程ある。そら、内閣支持率も下がりますわ。改元する代わりに「政府を代えろ!」っちゅう事なんだろう、多分。

 何やら原発・小出先生が

【これからは今までと違う世界に生きるしかないと思っていただくしかない。】
 http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/08/tanemaki-jun8/

 なんぞと言って居られたらしいが、これは原発・小出先生が言っている事なので当然「原発」「放射能」に関しての事なんだろう。
 夜のニュースワイドショーで魚の生物濃縮についてやっていたが、あれは別に放射性物質だけの問題ではない。クジラやイルカ、マグロ等の大型の魚類に対しての水銀問題は以前からあった。なので、これからの捕鯨反対派は「クジラやイルカには放射性物質が濃縮されていて危険である!」なんぞと言い出す事は間違いない。
 実際に

【夏季調査の結果、神経症状の出現する可能性のある下限値とされる毛髪水銀濃度50 ppm(WHO)を上回る住民が、対象者の3.1%、32名(男26名、女6名)にみられた。】
 (http://www.nimd.go.jp/kenkyu/report/20100427_taiji_report.htmlより)らしいが、それでもクジラやイルカを食べてはりますし。

 また、『あぶない食品』という本があるくらいに、危険なのは放射能だけではない。「放射能も」である。「放射性物質が危ない!」からといって、その数値から出される危険性よりも『放射性物質』という言葉に囚われ過ぎてしまって、より危ない食品を食べる事になる、つー事も当然あり得る話だ。それぐらいに不安と恐怖に陥れているわけでんな。原発事故は。

 でも、まあ、その数値を信じない人、「政府が出す数字は御用学者の数字だから信じてはいけない!」と、ある種の人にはなったりもするのだろう。

 ツイッターでは『フォローが外されている』という事が問題になっているらしい。その原因は『反原発だから』らしい。

 http://matome.naver.jp/odai/2130960410291399501

 え~。。。(笑)
 
 こんな事を書いて居ると「お前は原発推進派の工作員だろう」なんぞとレッテルを貼られるかも知れないが、つーか、推進派の工作員って時給ナンボ貰えるねん?時給次第では考えるぞ(笑)
 私は反原発・脱原発だが、『反原発・脱原発だけ』ではない。天皇制に反対だが、『天皇制反対だけ』ではない。性差別に反対だが『性差別反対だけ』ではない。
 「じゃー、結局何もやってないじゃないか!」なんだが、んな事もない。私は『ただ念仏だけ』(笑)
 だから、どうも、この『集団ヒステリー状態』と自民党石原幹事長から指摘された人達の敵対意識が気になる。つーか、危ない。
 これは個人的な感想なんだが、どうもその敵対意識がエスカレートしている気がする。まあ、言葉は悪いが、病状が悪化している気がする。

 この辺は柳美里のこれがエエかな?

 http://togetter.com/li/159673

 柳美里のこの一連のツイートに半分は賛成する。感情は大事なのだ。『取り乱しウーマンリブ』ではないが。「取り乱しつつ、取り乱しつつ」でしかない。それしか出来ない。
 だが、身内を殺された犯罪者遺族にとっての感情はどうなのだ?それこそ、光市母子殺害事件の時に本村氏に対して酷い言葉を吐いた人が今回は感情的になっている場合も多々あると思われる。
 
 感情は環状である。

 ♪まわるまわるよ時代はまわる(中島みゆき)

 である。
 「そんなもんだ」という認識が大事なのでは?と。そういう自分のありようを見出すのが大事なのでは?と。
 そら、これだけの大災害&原発事故&暑い夏ならば、増々『集団ヒステリー状態』になって当り前である。

 柳美里の素晴らしい所は、自分が感情的になっている事を認めている事だ。

 http://twitter.com/yu_miri_0622/status/89711502650646528

 これは無茶苦茶大事である。自分がどういう状態なのかを冷静に見つめる視点を持っている。決して酔っぱらいが「いや酔ってないって」とは全然違う。
 感情的になっているという事は「私は冷静な判断は出来ない」ということである。もっというと、「私には冷静な判断は出来ない」ということである。それは非常に冷静な視点である。

 「私は感情的になっているから違う意見の人を敵にしてしまう」
 「私は感情でしか生きれないから都合の悪い人を敵にしてしまう」

 なんぞと。

 「私は感情的になっているから東電の人に対して悪口をいってしまう」
 「私は感情的になっているから違う意見の人を御用学者と呼んでしまう」

 でもエエ。

 だが、柳美里は一揆を煽っている。

 http://twitter.com/yu_miri_0622/status/89713753771343872

 一揆といえば一向宗。一向宗の私は、「一向一揆側が殺した問題はどうなっているんだ?」と。「聖戦だから罪はない」などというのか?列強からのアジア民衆の解放だろうが、一向一揆だろうが、殺された個人には関係ない話だ。信長の兵士だって同じ人間である。死刑が殺人であるのと同じく、一向一揆で殺したのも殺人である。それを認めないのは『感情的になり過ぎている』、あるいは『煩悩に溺れ死んでいる』、そして私は酔っぱらっている。

 暑いし、今日はよう働いたし、3本目のAEONトップバリュー発泡酒を飲もう。これ、結構いけまっせ。
 と、まあ、今の感情で「ああ、よう働いたで。だからもう一本発泡酒を飲んでもエエやろ」というのは私の都合である。明日の御参り先の人には全く関係がない。

 そういう風に、常に義を立てて罪から逃れようとする。それは誰でも同じではないのか?「あいつ等だけ」なのか?それとも「私もや」なのかの違いはデカイ。

 権力の差別構造の基本は「俺らは違う」である。天皇は清浄であり、故に『穢れが多い人達』になる。清浄なる天皇に近い程、清浄であり、離れれば離れる程、穢れになる。
 天皇も人間である以上は清浄であり得る事はあり得ない。

 何かの判断基準、何かに近ければ清浄であり、離れれば穢れにしてしまう。



【全国に散在する吾が特殊民よ団結せよ。

 長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を斎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を労るかの如き運動は、かえつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業の殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のうちにも、なほ誇りうる人間の血は涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
 吾々がエタであることを誇りうる時が来たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間をいたはる事が何であるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 はかくして生まれた。
 人の世に熱あれ、人間に光あれ。】(西光万吉『宣言』)

独り法師

2011年07月10日 | 坊主の家計簿
 娘は「かーい」と、治りつつある手足口病の他は復活→ママ倒れる。
 という事で、今日は朝から父子家庭。いや、ママは居てるんだけど、倒れているので。
 御仕事は今日もヒマ(明日は忙しい)だったので、御参りに行っている間だけ娘に「テレビ見といて」とか「ママと寝といて」なんぞと言って出かけて、すぐに帰宅。御飯も適当に買って来て娘と2人で食べる。プチ父子家庭の一日。
 夜になってママがプチ復帰。ほんの少しだけ御飯を食べて、お風呂に入って、娘と寝た。で、私は銭湯に行って、明日は早起きなので寝る準備中です。

 ツイッターの話ばかりしている気もするのだが、今日もツイッターで得た情報。っちゅうか、2ちゃんねるのまとめスレッド。

 
 【なぜ日本には世界的な宗教家や思想家が居ないのだろうか?チベットですら居るのに】
 http://blog.livedoor.jp/dot2ch/archives/51975356.html

 いや、さっきツイッター見てて、思わず笑ってしまったので紹介。

 ダライ・ラマという人に私は信仰を持っていないので、私にとっては単なる『お茶目なお爺ちゃん』である。
 
 スレッドの2番目には『池田大作』と出て来る。
 この人は、確かに世界的に有名なんだろう。創価学会の信者は世界中に居てるらしいし。ん?『創価学会の信者』で言葉的に正しいのか?多分、間違っている気がする。創価学会は日蓮の流れの教団だし、『真宗大谷派の信者』みたいな言い方をしないし。あくまでも『仏教徒』なんだし『仏弟子』である。池田大作という人は、真宗大谷派で例えるならば訓覇信雄という人的な存在なのかな?『同朋会運動を作り上げた』→『創価学会を飛躍的に大きくした』みたいな感じでいうならば。あるいは、蓮如的な存在なのかな?ただ、日蓮の流れは出家教団なので、その辺の差があるか。よう知らんが。
 んが、私は日蓮の立正安国論は読んだが、当然、立場が違うわけだし、日蓮に対して「先生」とは呼ばないし、思わない。同じく池田大作氏に対しても同じであるが、池田大作氏を『先生』と呼ぶ人達が居ている事は知っている。
 ダライ・ラマと池田大作氏がどちらが『世界的』なのか知らないが、まあ、私にとっては世界的ではない。信仰なんぞ、んなものではないのか?
 ダライ・ラマも、池田大作氏も『世界的に有名』ではあるが、両氏に対して「先生」であったり、「ラマ」と呼んだり(面倒なので『ダライ・ラマ』で通しましたが、あれは『上人』『聖人』といった意味である。)する人達にとって、両氏が『世界的に有名』な事は嬉しいだろうし、誇らしげな事であろうが、それ以前に最早両氏から教えて頂いた事の方が遥かに大切な事であるはずである。「世界的に有名だから信じる」というものではないはずである。信仰というものは。
 まあ、そういう信仰もあるのかも知れないが。。。長いものに巻かれろ的な信仰が。

 なので、この

【なぜ日本には世界的な宗教家や思想家が居ないのだろうか?チベットですら居るのに】

 という言葉は、私にとってはどうでもイイ事であったりするのだが、『信仰』や『宗教』というものが、『世間の価値基準』『世間の評価』として扱われている1つの証明であったりする。

 先日、最近有名になりつつある先輩と連続して飲んだ。特に2人で飲んでいる時に痛感したのだが、「変わってないのぉ。。。」と。まあ、元々才能のあった方なので『場を得た』のだろうが。まあ、有名になったら、有名になった分だけ「利用させて貰いまっせ」なんだが、それよりもネットにも書けない様な下らん話で盛り上がったり、あるいは昔から一貫してなんだが、会話してて色々と教えて貰ったり、刺激を貰ったりしているのが楽しい。それは、まあ、この先もずっと変わらんやろう。

 うちの恩師達は『世界的に無名』である(笑)一番大切な恩師なんぞ『大谷派でも無名』かも知れんぞ。まあ、母校の先生だったんだが、うちの母校も「院長先生が」とかの感じだったし。「院長先生がこんな事を仰せられました」みたいな感じも多々あったのだが、確かに今の院長先生も、私の当時の院長先生も大切な恩師ではあるが、一緒に生活をしていたのは、一番長く、深く、関わって、私に対して「世界は呼んでいる」じゃないが、まあ、ずっと問い続けてくれたのは班の担当の先生だったわけだし。
 なので、「んなもんとちゃうん?信仰っちゅうもんわ」なんぞと、私は思ってしまう。
 で、私にとって、私の恩師達は、当然、『世界的』である。『世界』を開いて下さったのだし。んなもん、世界的バリバリでっせ。

 求道心。「俺はどうやって生きたらエエねん!なんとかしてくれやボケ!」である。
 他人は知らん。けど、私にとっては、道を求める事が差別する事と同じ意味であった。それは今も変わらん。だって、『正解』を求めるわけだし。掴んだ『正解』という価値観から判断して差別が生まれる。そういう人間である事を教えられ、気づいただけの話である。

 娘は、ママが倒れてプチ父子家庭だった事によって大きく成長した。なんせ大好きなママが倒れているのだ。遊んでくれないのだ(遊べないのだが)。きっと、彼女なりに色々と悩み、考えたのだろう。あ、「なりに」は失礼だな。「彼女は」である。彼女は色々と悩み、考えたのだろう。
 パパである私は『ぼっち』という言葉を憶えた。
 『ひとりぼっち』を略しての『ぼっち』らしい。
 いや、単に御近所大学の2ちゃんねるスレッドを見ていて「食堂にカウンターもあるからぼっちでも大丈夫」みたいな事を書いてあって初めて知ったのだが。

 『ひとりぼっち』の『ぼっち』とは、ホンマかどうか知らんが『法師』『坊主』の意味らしい。

 http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_hitori.htm

 『ぼっち』が寂しい感覚というのは「みんなと一緒に生きたい!」という関係存在を求める感覚としてとても大切な事なんだが、それに溺れてしまうと「みんなと一緒でないとイヤ」になってしまう。『長いものに巻かれろ』になってしまう。
 『ひとりぼっち』は『独り法師』らしい。

【この 「独り法師」 は、「どこの宗派、あるいは寺にも属さず、たった一人だけで生活する法師」 という意味で、破門、もしくは変わり者で集団生活に馴染めず寺を 「弾きだされた」 坊主が、勝手に山の中などで生活する様を表す蔑称のような言葉でした。】(上記リンクより)

 らしい。

 『自分の意見』を述べる中で、あるいは、自分の人生を生きて行く中で、この『独り法師』という言葉は大切ではないのか?

 しっかし『同人用語の基礎知識』か。謎の言葉を解読するのに便利なサイトやな。使わせて貰お。

天皇伝説

2011年07月09日 | 坊主の家計簿
 昼頃にメールしてたら「渡辺文樹監督の映画上映会をやってんで!」との事。気になって少し調べると面白そうだったので急遽行く事にする。
 午後3時30分から『天皇伝説』が上映開始。会場は飛鳥人権文化センター。西中島南方や新大阪から徒歩圏内だったので、まあ、うちから1時間ぐらいか。少々焦って出かける。

 ちなみに『天皇伝説』はこんな映画

 http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/16212012.html

 iPhoneで少しだけ調べて「おお、ナカナカ過激そうな映画やんけ」だったのだが、会場につくとホノボノと。

 今日、大阪では梅雨が明けた。梅雨明けの午後、日差しの入り込む古いホールのロビーで受付は3人の子連れの女の人。チケット買って急いで会場に入ると、空席もあって、かつ、渡辺文樹監督人がフィルムの準備(?)をしつつ、何かやお客さんと喋ってはる。空席が目立つ会場だったので、とりあえずトイレへ。ロビーに出て『トイレ』と書かれた方を目指して歩こうとしていると「トイレはこっちですよ」と女の人。え~。。。子どものオシメを替えてはった(笑)ホノボノ♪
 
 え~。。。この映画に反対する人は、この映画がどういうムードで上映されているのか知ってはるのかな?まあ、他の場面は知らないが。
 これは別になんだってそうなんだろうが、『普通の人』なんだ。みんな。
 
 パルチザン前史という東大安田講堂抗争の内部に入り込んだドキュメント映画があるが、その中のシーンで『過激派学生』が蝶を捕まえているシーンがあった。蝶を捕まえて、で、空に放つ。その辺のガキと同じ事。別に『過激派学生』とレッテルを貼られても、まあ、単なるガキ。あ、学生か。
 現役の赤軍だの、中核だのの社会人にもあった事もあるが、別に単なる『人』でっせ。まあ、話し込むと「ややこしいやっちゃのぉ。。。」っちゅうのは当然あるが。
 親しい方に、一時期ネットを騒がした『人権ヤクザ』がいるが、もう、ホンマに良い人。「こんなに丁寧な優しい人が居てるのか?」っちゅうくらいの人。
 
 『人権ヤクザ』といえば、飛鳥支部には、恐らく日本一有名だった『人権ヤクザ』が居てたのだが、本を読んだり、直接あった人の話を聞くと「なんや、ええオッチャンやってんや」と。

 まあ、関係存在ですから、利害関係や、敵対関係になると違った面が出て来るのは誰だって同じ事。

 デモや、集会に子連れで来ている人達も当然居てるし。
 っちゅうか、今日も、帰宅してから『天皇伝説』関連で諸々調べてたら、やっぱり、いまだに被差別に偏見をもっている人も居てるみたいだし。
 え~。。。とりあえず『ふれあい温泉矢田』(http://yata-jinken.com/fureai/index.html)にでも行って来い。行って、風呂に入って、かすうどんでも喰って来い。

 全然話が違うのだが、テレビで川島なお美夫婦が東京のディープスポットで飲み食いしている番組をやってた。ちゃんと見てないのだが、山谷は出てたのか?っちゅうか、東京のディープスポットって知らないのだが。
 大阪のディープスポット。まあ、筆頭に上げられるのが釜ヶ崎なんだろうが、未成年の頃から行っているので「個人的にはなぁ。。。」っちゅうのもある。んが、『難波屋最強伝説』には同意する。難波屋の麻婆豆腐は絶品である。なので、まあ、個人的な大阪ディープスポットは、『大阪市内某所の公園』(まだあるのか知らないが、公園内に多くの多分『不法占拠』の住居。自治の為なんだろうが、犬を放し飼いにしているので、犬が若干苦手な私にとってはかなり怖い。昼間に行くと大丈夫なのだが、夜に行くと、かなり怖い。まあ、住んでる人達も『外部』の人間が怖いから犬を放し飼いにしているのだろうが。夜、運河を渡ろうとした時に犬が吠えながら追いかけて来て、かなり泣きそうになった)である。

 あ、映画『天皇伝説』

 これは多くの人が知らない話なんだろうが、明智光秀は殺されていなかった。

【三好宗三が和泉に勢力を誇っていたとき、その弟三好長円が大阪府泉大津市に「蓮正寺」を建て、境内に仁海上人が「助松庵」を建立し、その助松庵に光秀が隠棲したと口碑に伝えられている。大阪府高石市の「光秀(こうしゅう)寺」門前の由来によれば、その助松庵が現在の「光秀寺」の地に移転したと書かれており、門内の石碑には「明智日向守光秀公縁の寺」と書かれている。この地域に残る「和泉伝承志」によれば、本稿「山崎の戦い」に書かれている光秀とされる遺体を偽物・影武者と否定し、京都妙心寺に逃げ、死を選んだが誡められ、和泉貝塚に向かったと書かれている。光秀と泉州地域との関連では、大阪府堺市西区鳳南町三丁にある「丈六墓地」では、昭和18年頃まで加護灯篭を掲げ、光秀追善供養を、大阪府泉大津市豊中では、徳政令を約束した光秀に謝恩を表す供養を長年行なっていたが、現在では消滅している。】(http://ja.wikipedia.org/wiki/明智光秀#.E5.8F.B2.E8.B7.A1より)

 である。
 高石市にある『光秀寺』は『日向山光秀寺』であり、明智家の家紋である桔梗の紋である。

 http://futsu-no-otera.jp/?p=947

 泉大津市助松のだんじりには、故事に由来して『助松庵に逃げ込む明智光秀』が掘られている。

 http://blogs.yahoo.co.jp/n09261963kk/43066696.html

 え~。。。そんなものではないかな?っと。

 映画『天皇伝説』には『大室天皇』が出て来る。大室寅之祐が明治天皇になったという伝説である。まあ、気になる方は『大室天皇』や『大室寅之祐』で検索して下さい。
 大室天皇に関しては震災後にチェックしだした東海アマ氏がツイッターで書いてあったので知った情報。その時に気になったので少しだけ調べたのだが、んなもん、私には解りまへん。っちゅうか、「別にどうでもエエやんけ」であったりもするのだが。

 関連してフルベッキ写真も出て来た。

 http://www.nextftp.com/tamailab/photo/verbeck01.html

 え~。。。別府晋介って(笑)
 撮影年度に色んな説があるが、『全体』として都合がイイ様に年度を早めれば早める程、「当時の別府晋介って。。。」になると思うのだが。西郷隆盛と一緒の写真に入れるような事をしていたのか?若き別府晋介は。
 まあ、なんとなく小学校のクラス写真でAKBをまとめるような感じなのかな?

 映画『天皇伝説』は、まあ、総合的には面白かった。『映画』としては面白かったし、でも、まあ、最大は『天皇伝説のような映画を撮り自主上映して自分でチラシを貼って逮捕される『渡辺文樹監督』というのが一番面白いのだろう。

 んが、私は「天皇だって凡夫(だたの人)である」の立場なので、「ちょっとなぁ。。。」と。
 奥崎謙三氏の『天皇ポルノビラ』でも、東郷健氏の芝居にしてもそうなんだが、「一般人に対してやってイケナイ事は天皇家の人に対してもやってはイケナイ」である。
 んなもん、『天皇伝説』なんか、単なる名誉毀損でっせ。

 結構面白そうなオッサンらしい松本龍氏の養祖父の松本治一郎氏は

【治一郎「天皇、きょうはご苦労さんです」
 天皇「いろいろとご苦労です」】(宮崎学『近代の奈落』50頁より)

 みたいな会話をしているが、んなもんやろ。

 『反天皇』でなく『反天皇制』であるのならば、天皇を『一個人』として見出すのが大事ではないのか?天皇家の他の人達も。名誉毀損は個人攻撃でんがな。制度に対する批判ではない。『特別』でなく『同じや』と。同じやったら、同じに扱えばエエだけの話でんがな。だから「特別扱いするな!」と。「毎日他所の家族が死んでるにも関わらず日常生活を送っているのに、なんで天皇が死んだ時に遊んでたら『不謹慎だ!』なんぞと云われなアカンねん」と。
 だいたい、個人的には『確たる証拠』なのかも知れないが、思春期のガキが居てる家庭に「お前のお婆ちゃんが不倫してお前のお父ちゃんが産まれてんぞ」なんぞという映画を上映する、っちゅうのはどうよ。人権侵害も甚だしいのではないのか?それを面白がる人権意識、っちゅうのも変やぞ。
 『貴族あるところ賎族あり。』って、そんな運動論やったのか?『人間を冒涜してはならなぬ。』だからこその『人の世に熱あれ、人間に光りあれ。』ではないのか?天皇を『一人の人間』として尊重する。逆にいうと『平等以上』には尊敬しない。んなもんではないのか?

ストレステスト

2011年07月08日 | 坊主の家計簿
 何やら政府が原発に関してのストレステストを行うらしい。
 確かにこれは大切な事であって、今まで、どちらかというと原発の問題は『安全』という面で語られて来たが、『安心』という面では余り語られて来なかったのではないのか?この国の電力行政の中で原発が当面の間必要であるというならば、原発に関するストレステストは大事である。

 今日も、ツイッターを眺めていたら、何やら昨日の『九州電力やらせメール事件』に関連する事なんだろうが、原発に対して推進、あるいは容認をする意見を書き込んでいる人は『推進派の工作員』らしい。

 http://togetter.com/li/158680

 中には、『九州電力の社員の仕業です』と特定なさっておられる方もいる。

 http://twitter.com/orio_mgr/status/88966199626563585

 大変なストレスである。最早、精神科への入院を勧める段階ではないのか?

 また、この方々

 http://matome.naver.jp/odai/2130960410291399501

 も大変なストレスで、やはり精神科への通院を勧める段階だと思われる。

 ちなみに、ツイッターのトラブルの理由は解らない。それが原発推進派の仕業ならば、原発推進派はまずツイッターを買収しなければならないのではないのか?まあ、他にやる方法もあるのだろうが。
 しかし、まあ、トラブルの原因を『原発推進派の仕業である』と発想してしまって、かつ、それを書き込んだりしているのは、かなりなストレスである。
 原発容認・推進の意見が『推進派の工作員』の仕業というのは、単に「天皇制に反対するヤツは共産党員である」とか、「戦争に反対するやつは北朝鮮の工作員である」などというのと変わらん。私は戦争にも天皇制にも反対するが共産党員でもなければ、かつ、北朝鮮の工作員でもない。また、ツイッターでは放射能カルトを馬鹿にした事を書いて居るが、っちゅうか、今もか(笑)当然、推進派の工作員でもない。というか、やはり、意見が違う人を「工作員だ」としか思えないのはかなり危険である。そのうちに「推進派には悪霊が取り憑いている」とか言い出しよんぞ。
 しかしながら、それも原発から生じるストレスの仕業である。福島原発事故がなければ、上記の方々は精神的に病む、治療の必要はなかったのだ。あ、精神科に行く場合はちゃんと領収書をとっておいて、電力会社なり、政府に請求すべきだな。
 なので、政府がストレステストを始める事は非常にイイ事である。
 ただ、このストレステストが政府による強制入院に繋がると危ない。
 その方々にストレスをかけたのは政府なのだ。原発行政を進めて来たのは(政権は違うが)政府である。その政府が「ああ、この人達は最早強制入院の処置をしないとイケナイ」というのは違うのではないのか?確かに、過度のストレスで妄想を現実にして居られる事実がある。「そうではないのかな?」という疑いでなく、妄想を事実にして居られる。これは危ない。危ないのだが、そこまで精神的に追い込むストレスも原発事故がなければ起らなかった。

 今日も国会で海江田大臣が過度のストレスで絶句して居られていたが、やはりストレステストは大事である。
 まして、今年は節電というストレスもある。

 昨日、2ちゃんねるで某回転寿司のスレッドを見てたら、何やら放射能汚染された魚に対する不安で一杯だった。見たかった情報は「どこそこの、どのネタが美味い」という情報だったのだが、国産の魚を扱う回転寿司チェーンについて、放射能汚染された魚に対する不安で一杯だった。
 そういうストレスもある。

 また、震災以後に、特に関東方面なんだろうが、やはり外出を控えられる方が多いらしい。それは経済的な事もあれば、やはり「外出していると内部被曝の危険が多い」というのもあるだろう。
 水道水や、国産のミネラルウォーターに関する不安も増々広まって行くであろうし、そういうストレスもある。

 やはり、ストレステストは大事である。何やら全国でやるらしいが、今、国民がどれだけ原発に関してのストレスがあるのかをテストするのは大事である。その結果、今の政府に今後の電力行政を考えて頂きたい。。。

 え~。。。蒸し蒸ししますね。
 上記は当然、ネタなんだが、え~。。。でも、ホンマ、そういうストレステストも必要なのでは?
 それは『ストレスを治す』という方向性ではなく、「原発でこれだけのストレスが発生しているのだ」という事で。

 まあ、原発にかんしては最終的判断はやはり選挙になる。んが、選挙は複雑な要因が絡み合う。
 例えば、先の東京都知事選挙。え~。。。やはり、一番しっかりしているのは石原氏ではないのか?「石原の思想はキライやけど、他の候補と比べるとなぁ。。。」だったり。そういう要因で石原慎太郎氏に投票した人も居たと思われる。「思想や人間性はキライだが、しっかり仕事をしてくれる人」と、「思想や人間性は好きだが仕事が出来ない人」なら、どうよ。
 原発に関しての選挙でも「私は脱原発だ!」と威勢よく言われても、その他の方針や、その脱原発の内容が、まあ、例えば「広瀬隆先生が原発なしでも大丈夫と言っておられる」とかの場合、「こいつに投票してもなぁ。。。」ではないのか(笑)

 そういえば、今日の報道ステーションで、どっかの大学の先生が原発のコスト見直しをしていた。まあ、今までコストとして計上されてなかった部分を加味しての再計算だったのだが、ならば、他の電力に関しても同じ方法で計算し直すべきではないのか?それでないとフェアーとは言えない。んが、まあ、廃棄物の問題だけでも『コスト以前の問題』だったりするのだろうが、でも、例えば水力発電はダムなんだが、え~。。。八ッ場ダムは電力目的ではないが、ダム建設に対しての環境破壊、川魚などの漁が出来ないコストとかもあるだろうし、火力発電でのCO2のコストとかも含めないとフェアーではない。あくまでも、数字のトリックになってしまう。で、そういう数字のトリックは『原発推進派』『原発反対派』の両方にある。どちらが正しいわけではない。
 っちゅうか、まあ、今日出てはった大学の先生は『原発コスト』に対する見直しを頼まれたらしいので、別にあの先生が悪いわけではないのだが、その数字が一人歩きして反対派の政治的目論見に利用されるだけの話でんな。

 だから、やはりストレステストではないのか?

 「あなたは水力発電に対してどれだけのストレスを感じていますか?」「ダムが出来たのでこの川は死んでしまいました。一刻も早くダムを潰して、元の川に戻して頂きたいです」

 「あなたは火力発電に対してどれだけのストレスを感じていますか?」「火力発電も天然ガス等のCO2の少ないのもありますが、石油や石炭などのCO2バリバリのものもあります。CO2からの地球温暖化で私が子どもの頃には想像もつかなかったぐらいに35℃以上の日が当り前になって来ました。私はクーラーが苦手ですし、また、北極のシロクマや、南極の氷が溶け出して未知のウイルスが発生したり、温暖化のせいで生態系が変わって来ている事に対して多大なストレスを感じています」

 とか、でんな。
 
 でも、まあ、原発が一番なんだろうが。

 昨日、珍しく聞いていた国会中継の中で自民党・石破氏が「憲法が想定外だったらどうするのだ?」みたいな事を述べていた。(後でYouTubeを貼ります)
 
 原発事故でストレス満腹状態の中で、今まで推進あるいは容認だった人も「原発はアカンのと違うか?」という機運が高まっている。仮に、それこそ『憲法的なもの』、まあ、『非核三原則』みたいなもので「日本は福島原発事故があったので、将来に渡って原発は持ちませんし、各国に対しても原発の危険性を訴えかけて行きたいと思います」みたいなものが出来れば、多くは賛成するのではないのか?
 先の戦争が終って、今の憲法が出来た。石破氏が端的に述べられている様に「戦争が出来ない憲法」である。しかし、その憲法は、まあ、歴史的なものは知らないが、仮に『押し付けられた憲法』であったにしろ、それを喜び、受け入れたのではないのか?石破氏は戦後の経済発展に関して「たまたま地震の活動期ではなかった」みたいな事も語られていたと思うが、それと同時に、『思いやり予算』なんぞはあっても、また、人件費が高い国なので世界でトップクラスの防衛費であっても、やはり「戦争を(積極的に)しなかった」というのもあるのではないのか?
 「どこかの国から戦争を仕掛けられる」というが、それこそ征韓論でも、あるいは日米開戦のきっかけも「アメリカが煽った」という側面もあるのではないのか?その上での現行憲法ではないのか?だから、「想定外」というのは違うのではないのか?
 同じく、仮に日本が脱原発になったとしても、『非核四原則』になったとしても、今後60年経った時に「天然ガスがなくなる、石油がなくなる、電力不足で企業が海外に流出するという事は想定外ではなかったのではないのか?」とならない様に、しっかりとした議論と、覚悟と、願いを受け継いで行く作業が必要だと思う。




【比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、七日の間激しい戦乱が生じた。彼らはお互いに鹿の想を受けた。そして、彼らは各々鋭い刀を手に持って現れた、その鋭い刀によって、『これは鹿だ。これは鹿だ』と、各々がお互い生命を奪い合うのである。しかし、比丘達よ、これらの衆生のある者に、次のような念が生じたのである。『我々はだれをも害することはできないし、まただれもが我々を害することはできないのだ。それでは、我々は叢林や樹木の間の穴に寄り掛かり、河の洞穴や岩窟に隠れ、木の根や果実を食して身を保つことにしよう。』

 そこで、彼らは叢林や樹木の間の穴に寄り掛かり、河の洞穴や岩窟に隠れ、木の根や果実を食して身を保ったのである。そして、その七日が経過した後、彼らは叢林や樹木の間の穴や、河の洞穴や岩窟から出てきて、お互いに抱き合い相集まって、喜び祝って、こう言った。
『喜ばしいことだ。あなたも生きているのか。あなたも生きているのか。』

 そのとき、比丘達よ、彼ら衆生には次のような念が生じたのである。

『我々は不善法を行じたことにより、長いこと近親を滅ぼすことをしてきたのだ。それならば、我々は善法を行じようではないか。では、どのような善を行じたらよいのだろうか。そう、我々は殺生を禁じよう。我々はこの善法を受持することにしよう。』

 そこで、彼らは殺生を禁じて、この善法を受持した。そして、彼らは善法を受持することによって、寿命は延び、顔色は美しさを増していったのである。彼らの寿命は延び、顔色は美しさを増していき、人間の寿命が十歳のとき、その子の寿命は二十歳となったのである。 】
 (『転輪聖王獅子吼経』http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/tennrinnou.htmより)

 

生もの

2011年07月07日 | 坊主の家計簿
 娘が『ヘルパンギーナ』っちゅうのと『手足口病』っちゅうのでダウン。え~。。。なので昨夜はほぼ寝れず、今日も危ないかな?さっきからタマに愚図ってはるが。
 唾が飲め込めないらしい。なので、泣く。立て抱っこをすると肩口に唾がダラリと。楽になった娘は寝る。残された大人はナカナカ寝れない。
 っちゅうても、まあ、ママメインなんだが、それでも寝る所は同じなので、もう、圧倒的睡眠不足。

 なので今日は院長講義(?)は欠席。かなりマシになって来てるが、え~。。。外出して帰って来る自信がありません(笑)っちゅうか、私も眠かったので寝てたし。

 こういう疲れた時には生レバーが一番である。しかしながら、その生レバーが食べられなくなるかも知れないらしい。

 http://mainichi.jp/select/today/news/20110707k0000m040124000c.html?inb=tw

 これは大変である。私は生レバーは食べれないのだが、生センマイは好きである。焼肉屋で焼肉ばかり食べるのではなく、やはり『箸休め』的存在として生ものは大事である。なので、恐らく生レバーを食べれなくなった方々は「オバちゃん、生レバー!あ、そうか無かってんな。ほな、生センマイ!」になるのではないかと恐れている。生センマイの価値が上がれば価格も上がってしまったり、あるいは売り切れになってしまうかも知れない。ああ、胡麻油と塩で食べるな生センマイをこよなく愛する私にとっては一大事である。
 と、このように、世の中は様々な事象が複雑に絡み合っていて「へ?生レバー?俺は食べへんから関係ない」とは言えないのである。。。え~。。。別に『そのまま』なのでイイのだが、今日は別にエエ。っちゅうか、最近、金がないから生センマイも数年食べてないし。しかしながら「オバちゃん、生レバー!あ、そうか無かってんな。ほな、生センマイ!え?生センマイも売り切れかいな。ほな、キムチ頂戴」という事で、キムチの価値が上がって。。。って、まあ、キムチは生レバーや生センマイに比べると『無尽蔵』と言っていい程の量があるし、まあ、大丈夫か。

 しゃて、大泣きしてた娘が泣き止んだので、もう少し遊ぼ。パパは神経質なので夜中に一度目が覚めてしまうとなかなか寝れないのだ。なので、「飲んじゃえ!」である。あ!しまった!私の酒好きを娘のせいにしてしまった。。。ああ、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ。

 っちゅう事で、九州電力の『やらせメール事件』

 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/252184

 正直な第一の感想は「へたくそ!」である。
 この情報は数日前からツイッターでは流れていたが、まあ、反原発の運動家だって嘘をつく(政治ですし)ので、「またか。。。」だったのだが、本当だったとは。だから「へたくそ!」である。
 誰だったか忘れたが、「原発を民間に任せているからアカン」みたいな意見の人が居た。「軍が管理すべきである」なんぞと。え~。。。その意見には当然反対なんだが、『原発』っちゅうもんを扱う企業が、こんな失敗をするのは如何なものかと。『原発』っちゅう徹底管理しなければイケナイものを扱う企業が、んな内部機密情報をダダ漏れさせてどないしまんねん。それこそ「担当責任者は腹を斬れ、腹を」と、江戸時代ならば切腹ものでっせ。

 っちゅうか、何やらケーブルテレビや、インターネットでの番組だったらしいのだが、え~。。。メールでの意見って、そんなに有効か?
 署名活動もするし、デモにも行くが、あれは、え~。。。先日も某バーで置いてあったものに署名をしたのだが、え~。。。まあ、署名する事によって「ああ、こういう事もあるねんな」と。で、「私はこれに対してはイエスである」とか、「ノー」である、と、考えるきっかけにはなるのだろうが、そんなに効力があるとは思っていない。デモは祭だし。祭には祭としての意味があるが、まあ、自分にとっての意志確認。
 デモの場合ならば、デモが暴動になれば話は別だが(笑)暴動を起こした責任があるわけなんだし。あ、別に暴動を煽っているわけではない。ただ単に、昔のデモでの話。暴動の責任をとって岸信介は総理大臣を辞めたわけなんだし。っちゅうか、え~。。。『ジャスミン革命』やったっけ?あれも『デモ』でなく、『暴動』やろ。
 あ、で、ネットでの意思表示。「メールで御意見を御待ちしております」とか、「電話&ファックスでの御意見を御待ちしております」であっても、まあ、広告的な価値はある。「コカコーラとペプシとどちらが美味いのか?当方に寄せられた意見では」みたいなもんやろ。
 んが、例えば広瀬隆がネットに寄せられたアンケート結果を見て「おお。。。世の中の多くの人達は原発に賛成なのか。ほな、俺も原発賛成側に回ろ」というのは、多分、あり得ない。
 また、政治家ならば、きちんとしたデーター調査会社や、政府なら自前の調査方法でもって調査した数字は信じるだろうが、「メールで寄せられた意見では」で方針を変えるのならば、政治家なんか辞めた方がイイ。論外である。

 その辺は、我が菅直人まだ総理は甘い顔をした武闘派やのぉ(笑)
 辞任した松本龍は、っちゅうか、あの人、結構、エエ人らしいの。悪態垂れた知事とは『旧知の関係』(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110705/stt11070500350002-n1.htm)だったらしいし。んが、まあ、『親分肌』らしいので、やはり自分の失言で被災地の人の一部であっても、不快感を与えた事が許されへんかったのかも知れん。まあ、後は、解放同盟内部でのステレオタイプ発言に対して糾弾会を公開での開催を求むが。

 九州電力に原発を管理する能力はない。っちゅうか、やっぱり、誰にもない。
 個人的妄想では「九州電力社内の派閥争いか?」なんぞと思ってしまうのだが、派閥争いをしてしまうのも人間だ。
 今回漏れたのは内部機密情報だが、内部機睦情報が漏れる組織に放射能漏れが防げるのか(笑)非常に素朴な疑問なんだが(笑)

 生身の人間に純粋はない。当然、企業にもない。あるわけがない。これまた当然、国家にもない。だいたい、死刑になるかどうかだって、裁判員なり、裁判官という生身の人間だろうが。「殺される」かどうかの判断だって、生身の人間が判断を下しているのだ。
 「いや、私情を捨てて冷静に」は、まあ、無理ではないのか?私情での仇が温情になる場合も含めて。

 今回、九州電力の『やらせメール』の情報発覚は、まあ、九州電力が「焦っていた」のかも知れん。焦っていた中での情報発覚のミスがあったのかも知れん。「すんまへんなぁ。。。普段なら上手い事、情報操作するんでっけどなぁ。。。」なのかも知れんが、ミスはミスである。大地震で大津波からの原発事故での対応も同じ。んなもんは焦るに決まっている。今回漏れたのは内部機密情報であって、放射能でなかっただけの話だ。

 車の中でのラジオ国会中継。
 「自民党も野党としてしっかりして来たなぁ。。。」なんぞと、滅多に聞かない国会中継だったので感心しつつも、「んな事、言うても無理やで」なんぞと。
 「管内閣だったから無理」で、「自民党だったら」とか「小沢内閣だったら」とか、って、まあ、現実ではない話で『寝言』でもあるのだが、同時にそろそろ「人間だったから無理なんだ」にはならんか?
 当然、批判すべき所は批判すべきである。批判精神をなくした野党は野党の意味がない。
 私は『野党』ではなく『凡夫主義者』(なんじゃ、それ)なので、「いや、人間には無理やって」と。

言葉の遊び

2011年07月05日 | 坊主の家計簿
 遅れに遅れまくっている寺の通信を、昼間に恐らく史上最短、まあ、いうても23号ですが、23号の歴史の中での最短スピードで制作。何の事はない、昨日書いたブログの『虚仮不実』っちゅう言葉を手がかりに作ったのだが。テーマが決まれば一気、体調良ければ一気、っちゅう事で。

 夕方早めからは御近所(?)で御仕事講習会。いつもは車で行くのだが「あの駐車場に、あの人数か。。。駅から近いし電車で行こう」と徒歩&電車。結局必要なかった装束が入ったカバンを持って、法衣姿で出かける。汗、ダラダラ。。。白衣の都合で『腹を作る』、え~。。。ウエストを大きくする為に腹巻きにタオルを入れるのだが、暑い、暑い。雨の前だったし、湿気も多く、暑い、暑い。汗でボトボト。まあ、講習会場は冷房が効いてて良かったのだが、行き帰りの徒歩が大変。

 帰宅して「あっちぃ。。。」と。
 
 しかしながら、この暑さを吹っ飛ばすような松本龍大臣のニュース。

 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00202721.html

 いや~。。。カルト的な妄想を膨らませれば

【町長、玄海原発の再開容認伝える 九電に「テロ対策を」】
http://www.asahi.com/national/update/0704/SEB201107040026.html?ref=reca

 という、まあ、

【東日本大震災後、停止中の原発の運転再開を認める意向を立地自治体の首長が電力会社に伝えたのは全国で初めて。】

 というニュースの話題を奪うのが目的ではなかったのか?なんぞという妄想も楽しいのだが、やはりここは純粋に松本龍大臣の発言を楽しもうではないか。

 まあ、『九州の人間』だの『B型』だのというのも、「解放同盟の大幹部としてどうよ」なんだが、っちゅうか、今は別法人なのかな?まあ、『問題・人権事典』(http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?FrontPage)の『ステレオタイプ』という所をでんな(笑)

 もう一丁、関連して共産党の小池晃氏の発言

 http://twitter.com/koike_akira/status/87711419822379008

 え~(笑)
 
 とはいえ、やはり、こういう発言での話題は、あ、まあ、出来れば解放同盟内部で『九州の人間発言』や『B型(血液型)に対する発言』に対する糾弾会でも開いて貰って、ある種のケジメを付けて貰いたい。また、非常にワイドショー的な話題であり、ネットウケする話題なので、ワイドショーや、ネットで騒ぐのは純粋に『面白い』のでエエと思ったりするのだが、国会では辞めといた方がエエと思うぞ。

 しっかし、血液型信仰って強いねんなぁ。。。と、改めて。
 私は、私の血液型を知らない。まあ、何度か健康管理なんぞで血液検査もしたので、「確か、A型やったかなぁ。。。」程度である。
 血液型と人格に関しては、うちのヨメはんの発言が適確ではなかろうか?「あんた、何型か解らん」である。当然である。だって、基本、『気分』で生きてまへんか?まあ、余程頭の良い思想で生きれる人は別にして、だいたいは気分で生きているのではないのか?「今日は晴れて気分がいいのでB型」とか、そういうのが適確では?と。
 私は、私に対する人物評として「クールな熱血漢」という言葉を非常に気に入っているのだが、まあ、それだって、「そういう時もある」である。だって、その人とは飲み屋での関係だし。確かに酔っぱらっている時の私は『クールな熱血漢』な時もある。っちゅうか、基本、関係存在の中での人格ですし。だから、人格なんぞコロコロ変わって当り前であって、二重人格は人格が2つしかないから問題であってでんな。「え?お前って、そういうヤツやったんか!」っちゅう日々の新しい出会いがあれば、より一層楽しい。
 また、「俺って、こういう性格やってんなぁ。。。」っちゅうのもアリだろう。何かの弾みで人を殺したりした時なんぞに。

 死刑のない国から犯罪被害者遺族の方々が来られた。どういう裁き(判決)を求められるのだろうか?

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110703/trl11070312120002-n1.htm

 ネット上では「リンゼイさんの妹がムッチャ美人」と話題騒然(?)になっていたのだが、まあ、確かに美人である。
 しかし、『美人』の概念だって、時代で変わる。

 娘は今日は発熱。帰宅して御機嫌ナナメ。最初は微熱だったのだが、どんどん熱が上がって来た。まあ、慣れたのだが、微妙に心配ではある。
 言葉もどんどん憶えて来ている。法事でミカン等の果物を頂いた事をママに言ったら、娘、「食べる!」だったのかな?まあ、冷蔵庫の前から離れません。で、ミカンを1つ食べました。
 ママは知らんが、私はそれ程娘の写真を撮っていない。どこかに出かけた時に撮るぐらい。今はデジカメで撮り放題なんだが、いや、別に見返す時ってないし。まあ、元々私が写真が余り好きではない、っちゅうのが最大の理由なんだろうが。
 娘はそろそろ2才。「かわゆい盛りやね」なんぞと言われるのだが、それ以降の子どもを育てた事がないので解らない。「かわゆい盛り」の娘の姿を写真や動画に収めて置くのもアリなんだろうが、余り趣味ではない。
 どんどん、どんどん、変わって行くのだろう。変わってゆく娘と付き合って行くだけの事だ。

 血液型での性格判断。その基本は「変わらないで貰いたい」だったり、あるいは。「私はこういう性格なんだ」という事での安心感なのか?
 それは保守である。保守思想なんだが、葬式坊主の私は当然保守である。

 さっき、深夜テレビのドラマで、拉致監禁された人達が「ここはどこなんだ?」みたいな発言をした。するとある人が、「それは愚問である。何故ならここに居る全ての人が同じ疑問を持っているからだ」みたいな事を云ってた。確かに『正解』は解らないのだろうが、『そういう会話』が大切なのではないのか?なんぞとテレビに突っ込む。っちゅうか、別番組のコマーシャルの合間しか見なかったのだが。
 血液型の云々カンヌンも妄想でしか過ぎない。正しいわけがない。けど、ゲームとしては楽しいのだろう。え~。。。「血液型なんぞ知らん!」と、そういうゲームをぶっ潰して来た事に対して『微妙』に反省。
 んが、妄想は妄想やぞ。妄想を事実として決めつけられるとキレるぞ。恐らくA型であろう私だって

【「わたしはちょっとB型(血液型)で、短絡的なところがあって】(松本龍復興大臣)

 なんぞと言うぞ(笑)

虚仮不実

2011年07月04日 | 坊主の家計簿
 数日バタバタと。今日もバタバタと。で、「おつかれさま♪」という事で、法事で頂いたビール(ホンモンでっせ。発泡酒違いまっせ)を飲む。それ程暑くなく、エエ感じ。

 さっきテレビをボケーっと見てたら、何やら亀梨和也というアイドルの兄ちゃんがホームランを打てるかどうかの番組をやってた。ファンでもないので全くどうでもいい番組なんだが、疲れた時にはこういうのが丁度エエ。ボンヤリ見る。
 気になって検索してみると小学校6年生の時に世界大会の主催者枠で江戸川区代表チームのピッチャーとして出場したらしい。え~。。。小学校の時の野球って「一番上手いヤツがピッチャー」なので、まあ、江戸川区で一番野球が上手い小学6年生だったのかも知れない。
 んが、中学とか高校では野球をやってなかったのかな?そのまま中学や高校で野球を続けていれば甲子園に出れたかも知れんのに。
 「亀梨和也は何故野球を辞めたのか?」

 1 野球よりジャニーズの方が女の子にモテるし金になるから辞めた
 2 グレた
 3 放射性物質が危ないので親から「お外で遊んじゃダメ!」と言われた。

 う~ん。。。不明である。

 久々にパソコンを立ち上げる。メールチェックの為にniftyのホームページを開くと

【孫社長「ええかげんにせえ」】
 http://news.nifty.com/cs/technology/internetdetail/itmns-20110627-20110627094/1.htm

 という刺激的な言葉が目に飛び込む。
 「そうか、孫社長もついにソフトバンクの電波状態の悪さについにキレたのか。。。」
 と思って記事をみると、違うのね。

【「経団連はええかげんにせえ!」「脱依存の社会を」──孫社長と小林武史さん、自然エネルギーを語る】

 という事らしい。

 え~。。。脱原発の一番早い道は、孫正義社長が電力会社の大株主になって、まずは火力発電所で原発の電力を賄える様にするべきではないのか?同時並行で再生可能エネルギーの研究&推進をして行く。現状『安定供給』というのが問題になっているならば、また、「天災は2020年まで待ってくれまへん」っちゅう事もある。
 っちゅうか、ここは『僧侶』らしく、「即刻、全ての原発を止めよ!」というのもアリなんだろうが、私は「欲多く」の真宗生臭坊主なので即刻止められると「ちょっとなぁ。。。」っちゅうのもある。なので、ここは猪瀬路線(?)でもって「原発を火力へ」で、全ての原発を止めて、同時平行で再生可能エネルギーの研究&推進で火力発電の割合を減らして行けばエエのでは?と。

 今日は、NHKの原発番組2本。
 福島の子どもがマスクをして長袖を着て校庭で遊んでた。あれが『一夏限定』ならばエエのかも知れんが、「ああ、あの時の夏は大変やったなぁ。。。」で、子どもの頃の思い出話になったりもするのかも知れんが、事故はまだ収まっていない。

 そういや、子どもの頃に近所に鶴見緑地というのがあった。厳密には『鶴見緑地』という名前で呼ばれていたはずなんだが、まだまだ建設中で『危険。立ち入り禁止』なんぞという柵を乗り越えて勝手に入って、勝手に遊んでいた。その後に聞いた話(都市伝説かも知れん)では、何やら鶴見緑地はゴミの埋め立て地であり、ザリガニを釣っていた池から吹いていた泡は危ないガスであり、また、山(ゴミの山だったらしい)からも有毒ガスが出ていたらしい。
 え~。。。まあ、自己責任という事で(笑)
 っちゅうか、まあ、『ガキ』という存在は、んなもん、「あそこには行ったらアカンで」と言われようがなんだろうが、やっぱり遊びに行ってしまうわけであって、工事現場の砂利の山に埋もれそうになったり、石を投げ合って戦争ゴッコしたり、それがエスカレートしてコールタールをかけられたり、まあ、んなもんですわ。
 
 なので、まあ、福島のガキだって、一夏ぐらいは我慢出来るかも知れないけど、まあ(笑)
 校庭は除染されているかも知らんが、その他の里山はまだまだなのだろうし、福島のガキだって里山で遊んだりもするだろう。秘密基地を作ったり、大人が「あそこは放射能が危ないから行ったらダメ!」で、その言葉をそのまま聞くとも思えなかったりもする。
 危険な所って、まあ、繁華街でもそうなんだろうし、基本、好きじゃん。夜中に親の目を盗んで家を出て友達と遊んだり、「今日は冒険だ!」なんぞと。

 NHKの原発番組を2本見つつ、脱原発も大切だが、医療も大事だと改めて思う。
 大阪は、なんせ「東北は遠いっす」である。仙台まで夜行バスで12時間である。『水曜どうでしょう』ばりの話である。福島まで原チャリで2日かかる遠さである。まあ、リッチに新幹線に乗れば早いのかも知れないが。
 なので、まあ、現状、それ程、放射性物質は飛んで来ていない。少々の内部被爆はしているかも知れないが、まあ、気にする事から生じるストレスの害の方が大きいだろう。
 でも、まあ、福島や、茨城、栃木辺り(地理、あってますやんね)の人達にとっては「んな話と一緒にすんな、ボケ」っちゅう感じなのかも知れない。あ、東京もなのかな?静岡のお茶がやられたので。

 何やら、ベラルーシやったかな?まあ、チェルノブイリの近所ではガキ、あ、失敬、子どもも含めた健康管理をしっかりとやっているらしい。

 例えば白血病であっても、福島原発事故以前と以後での数値でもって、『数』は解る。どれだけ上昇したのか?福島原発での被害はどれぐらいであったのか?という『数』は解る。
 けど、『数』は『数』であって、「じゃ、私は?」になる。

 「原発事故以前と白血病患者の数値に変わりはないので、あなたの白血病が原発事故が原因であるかどうかは解りません」に、まあ、なるのだろうが、っちゅうか、原発事故直後から「鼻血だ!」「「下痢だ!」なんぞと言われると興醒めしてしまうのだが、まあ、出て来てもおかしくはない。っちゅうか、鼻血は知らんが。今の段階で「最早ガン患者が」って、ガンってそんなに急に発生するものなのか?もっと地味なものだと思うのだが。また、福島原発の作業員はともかく、公表されている数値では、もっと地味に来るものだと思うのだが。
 
 あ、例えば白血病なり、甲状腺ガンなり、その他のガンであっても、それが『数値』では「何パーセント上昇しました」である。けど、「じゃあ、誰が上昇した人なの?」というと、誰かに証明出来るのだろうか?「この被曝の数値では」であっても。今日、大江健三郎と対談してはったお爺ちゃんはまだ生きてまっせ。強い、弱いの身体差はありまっせ。

 福島で白血病になりました。それと原発事故との因果関係の説明で出されるのは上昇率の割合の数値かも知れないが、それって、証明出来るのか?原発由来なのか、それとも別の原因なのかどうかを証明出来るのだろうか?福島周辺もしかり。あるいは、その他の地域しかり。

 東京電力や、国の責任逃れの為にイチイチ裁判をやって行くよりも、原発事故も引っ括めての健康管理の医療大国になるしかないのではないのか?医師や病院の数も増やし、税金は上がるのだろうが、それこそ「これからの日本は医療先進国としてメシを喰って行く」みたいな感じで。

 っちゅうか、前からの持論に結びつけてしまっているのだが。。。

 でも、「脱原発」とかのエネルギー源の話も大切だが、民主党って『弱者救済』『福祉重視』みたいな事を標榜していたと思ったりするのだが、とりあえずは解散でもしない限りは、あと数年は民主党政権で行けるわけだし、ここは『脱原発』だけでなく、医療大国、福祉大国への舵を切るエエチャンスではないのか?

 大江健三郎と大石又七の対談の中で、ほぼ同級生でもある2人、戦争を体験して来た2人の対談の中で、戦争責任から生じての原発の責任の話にもなった。岸信介が戦後に総理大臣になった話とか。
 反原発小出先生が「私も原発に関わって来ました」と言って講演会でまず頭を下げて謝罪してはったが、んなもんではないのか?「あいつは推進派だ」とかって、赤狩り、魔女狩りをする事の意味を感じない。
 また、「推進派に騙されていた」とも思わない。
 また、原発の変わりの安定した火力発電路線から生じるCO2の問題で「シロクマが。。。」どころの話では済まないかも知れない。
 太陽光にも風力にも問題はあり、それが将来に大問題になるのかも知れない。そして、「あの時に、何故原発を辞めたのだ!」になるのかも知れない。それは経済の人がいう「電力料金がアップする事によって日本から企業流出の歯止めが利かなくなって失業者が増え、自殺者が増える」という事になるのかも知れない。その時に「誰や、あの時に脱原発とか言ってた戦犯は」になるのかも知れない。そんな頼りないものではないのか?で、その事だけは確かではないのか?
 すぐに『敵』にして、「あいつが間違っていた!」にしてしまう。けど、その時代の恩恵を受けていたのではないのか?過去の過ちは過ちであるが、それはイコール、今が正しい、これからが正しい、という事にはなりえないのではないのか?
 ただ、「今は、イヤ」とか、そういう話ではないのか?
 
 「推進派が間違っていた」だけで留めてしまうと、正義になる。脱原発が正義になる。正義を押し進める事の間違いは今までも散々経験した事ではないのか?推進派を『敵』にして、狩るのでなく、正義に酔っぱらってしまう、まあ、推進派ならば「これが絶対に正しいのだ!」というのが問題ではなかったのか?「これしかないのだ!」っちゅうのが問題ではなかったのか?意見の内容ではなく『絶対に正しい』『絶対に安全です』っちゅうのが問題ではなかったのか?「原発は事故は起りません」「想定外」が問題ではなかったのか?

 脱原発が「世の為、人の為」というのは、『今の日本』の話である。だから大事なのだが、んなもん、別な時代になれば、解らんぞ。