坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

修学旅行は福島原発へ

2011年07月22日 | 坊主の家計簿
 ちょい、休肝日なしの無防備状態での日々が続いていたので酒を抜く→ブログも休みのとっとと布団に潜り込む2日間。今日は、明日夜外出なので少し飲んで置かないと「3日間抜いたし」と飲み歩く事必須。明後日忙しいし、それは危険である。なので、少しだけ飲みながらブログ日記。

 今日は京都まで。法衣類のクリーニング。前住職の法衣類が装束タンスにあって、整理してない状態のも多々あり、え~。。。そのままでは使えません。つーか、元々持っていた法衣類がかなりあって、前住職のは使わないと思うのだが、そのままグチャグチャの状態はイヤなので、クリーニング。
 古くて生地とかがダメなのはママに渡す。寺で使わなくともママにとっては遺品だろうし、私の関与する範囲ではないし。それでも結構な枚数があって、京都でクリーニング。郵送でも良かったらしいのだが、郵送費とガソリン代を考えるとガソリン代の方が安いし、その場で向うの人と対応出来るし。やっぱり顔を見ての方が安心。引き取りにも行くので、結構値引いて貰ったが、それでも枚数もかなりだし、金額も結構。まあ、今年最大のお金がかかる寺の手入れ。

 帰り道、野菜の直売所に寄る。生バジルが安く売っていて、なかなか嬉しい。

 大阪にも放射性物質が来ているという事は、今日買った野菜だって放射性物質の影響を全く受けていないとは思えない。大阪より西の地域、四国なり、中国地方なり、九州なりの野菜は知らないが、放射性物質の影響はなにかしら受けていてもおかしくはない。ただ、数値の問題なんだろう。

 さっきまで銭湯に行ってた。帰り道のコンビニ前で若い兄ちゃん達がタムロって居た。別に興味はなかったのだが、何やら「原発は危険や」みたいな声が聞こえた。御近所大学生なのかな?解らんが。
 小雨が降って来て、傘を持ってなかったので、タオルを頭から被って自転車。子どもの頃に「放射能の雨に濡れたら頭が禿げる」と言ってた事を思い出す。核実験とかは知らなかった(はず)なんだが、何故か「放射能の雨」と日常会話で喋っていた。そういう時代だったのかも知れないし、うちの御近所だけだったのかも知れない。

 銭湯に行く前にニュースを見てたら、何やら関西電力の原発停止の影響で夏の節電が大変らしい。けど、うちはもう無理やぞ。ピーク時に家(寺か?)に居ているのは私だけだし、ピーク時に照明も冷房もつけずに扇風機で寝転がってiPhoneで遊んでいる人間にこれ以上、どうやって節電しろというのだ(笑)まあ、冷蔵庫は動いているが、なんてエコなんだ。つーか、私の生活習慣なんだが。冷房苦手だし、かつ、電気代が勿体ない。あ、葬儀とか法事の後は、法衣を乾かす為にエアコンの『衣類乾燥』をつけているが、まあ、それもピーク時は辞めよう。

 これは昨日(20日)の記事なんだが、何やら、原発停止のままでは来年の夏には電力が25%足らないらしい。

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110720/trd11072022540030-n1.htm

 呑気な話である。んなもん「とっとと火力発電を増設せえ!」という話である。
 今後、まあ、最低でも数年、当然、出来れば将来に渡って原発を廃炉して貰いたいのだが、まあ、最低でも数年は原発の最稼働なんぞ無理である。それが現実ではないのか?だったら、電力会社や政府は『危機管理』という言葉が正しいのかどうかは知らないが、火力発電の発電量を上げて行くしかない。古い火力発電所が大気汚染や安全面で問題があるのならば、尚更火力発電を増設していくしかない。
 まあ、「電力が足りません」という情報を流しておくと民間の自家発電量が増えて、その分、電力会社の消費量が減るわけなんだし、トータルでの発電量が増えるから好都合なのかも知れないが、電力を『供給する側』の責任として、来年までに出来る限りの努力をするのがプロではないのか?それともなんや?「原発を停めても電力は足りている」に電力会社も便乗するのか(笑)
 プロならプロとしての仕事をせえ。供給責任を果たせ。

 原発コストの再計算を政府が指示したとかの記事があったはずだが、これか

 http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201107200152.html

 まあ、総理の脱原発路線にあわせて、地域対策費等の費用を原発だけに加算するとか、また、火力発電ならばCO2の対策にかかる費用も計算して、公平に数字を出して貰いたいものだ。
 
 ついでだが、どうせ、これから議論になるのだろうから、先に書いておくが、大地震でも女川原発は大丈夫だった。これは絶対に使われる。要するに「安全な原発だってあるのだ」なんぞと。
 原発を廃止して火力にすると電気代が上がるのだろう。原発にかかっていたコストはほぼ消えないわけなんだし。『廃炉』といってもコストはかかる。
 「電力不足やコストの上昇で日本経済がダメになる」と予想される方々も居られる。
 安全基準内や、タマに流通する基準値以上に汚染された食べ物を食べないといけないわけだし、経済もダメになる事も含めて腹を括らんとアカンのと違うのかな?
 それでないとストレステストを通過した原発を「安全な原発」として認識してしまうのではないのか?「女川原発は未曾有の大災害でも大丈夫だったでしょ?」と。
 欲望に弱くない?私たちって(笑)

 ♪解っちゃいるけど、辞められない

 じゃない(笑)

 今、脱原発や、反原発は流行中である。『流行』という言葉が適確かどうか解らないが、まあ、流行していると言わざるを得ない。

 何やら、『制服向上委員会』とかいうアイドルグループはフジロックに出れないという事がネットの一部では盛り上がって問題になっている。
 つーか、ツイッターネタや、2ちゃんねるネタだけでなく、毎日新聞(ネット版でしか知りません)でも取り上げられた。

 http://mainichi.jp/select/biz/it/hatena/archive/articles/201107/5118.html

 元ネタ。

 http://blog.oricon.co.jp/ski-official/archive/4028/0


 ロック界の大物裏方情報

 http://twitter.com/yu_hirano/status/93655540290437120


 有名ロック系音楽評論家情報

 http://twitter.com/yukawareiko/status/93904876656013313


 便乗する意味不明の武田邦彦

 http://takedanet.com/2011/07/post_078a.html

 
 何やら、制服向上委員会は頭脳警察のパンタと関係があるらしい。パンタといえば、フジロックに行きたがるような人にとっては山口冨士夫、遠藤ミチロウと並ぶカリスマだと思うのだが。みんなジジイだし。
 しかもパンタ(頭脳警察)は思いっきり政治的である。なので、贔屓目に見たいのだが、なんかなぁ。。。

 勝手な妄想だが、制服向上委員会がフジロックに出るのは初めてなんだろう。で、制服向上委員会がフジロックに出れる唯一考えられる事は、8月15日に発売されるらしい『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』があったからではないのか?

 今年のフジロックではアトミックカフェをやるらしい。

 http://fesplus.tumblr.com/post/6574026172/frf

 制服向上委員会が出れるとするならば、その枠しかないのではないのか?で、スタッフの中で「制服向上委員会というパンタさんが関係しているグループが脱原発の歌をやっているらしいですよ」「それ、オモロイかも知れんな。一度、当たってみて」みたいな話があったのでは?と。舞い上がる制服向上委員会。しかしながら、制服向上委員会はアイドルグループ(らしい)であり、『一曲だけ』である。「これは無理違うか?」となった所で断りの連絡をしたが、なんせロック関係者、シャレで「スポンサーの大手企業の反対で出れなくなってしまった」と冗談で言ったのを真に受けてそのままブログにアップした辺りが真相ではないのか?と。まあ、純粋に売名行為も狙っていたのかも知れんが。ロックだし(笑)

 個人的には、このまま制服向上委員会にフジロックに出て貰いたい。ただし、パンタがメインボーカルで。
 還暦を迎えたパンタが女子高生の格好で制服向上委員会を従えて悪たれ小僧を歌うとか良いではないか。当然、脱原発の歌も。
 何やら、制服向上委員会は、地味に反原発活動をやっているらしい。っちゅうか、パンタやし(笑)パンタなんぞ真っ赤っかではないのか?ソウルフラワーと共に。ロバートワイアットとかも呼んででんな、ん?これはチト違うか。
 フジロックからの公式見解もなく、制服向上委員会からの追加コメントもない。まあ、調整中なのかな?

 山本太郎の「原発に反対したから仕事干されました」発言にしても、本人が言っているだけの話である。事務所は否定している。あくまでも本人が言っているだけの話である。制服向上委員会も同じである。現状では。でも、両者とも原発に反対する意見を公表し、地味に運動もやっている事だけは確かである。「それだけでも良いのでは?」と思うのだが、なんせ『芸能人』という仕事である。それが生活の糧である。売れてナンボの世界である。マスコミはショッキングなネタで注目を集めて生活の糧にしている。企業の広告も『ショッキング』かどうかは別にして注目を集めてナンボの世界でもある。個人的歴史でいうと『坊主バー』なんぞもそうだ。目立って、生活しなければならない現実がある。んなもんだ。
 私は両者の「干された」を全く信用していないのだが、生活臭が漂う話である。好みの『人間交差点』的な話であったりもする。
 まあ、両者が言っている事を鵜呑みにするのはどうかと思うが。武田邦彦の様に。

 アトミック・カフェである。
 チェルノブイリ以降に親しく聞いた言葉であるが、すっかり忘れていた言葉でもある。

 先日、旧友との再開の時に『いのちの祭』の話をしてた。私が知ったのは六ヶ所村の時。六ヶ所村でやる事から解る様に、もろ反原発、つーか、「自然に還れ!」みたいなイベントだったらしい。親しい人達が行ったり、出たりしてたのだが、私は仕事で行けません。いつもの事です。

 アトミック・カフェにしても、いのちの祭にしても『過去のもの』になって居た。
 原発問題は『過去のもの』になっていた。
 今程ではないが、結構盛り上がったはずなんだが。個人的な感触では。でも、過去の事になっていた。

 喉元過ぎれば熱さ忘れてしまうのが私たちの正体ではないのか?

 福島原発事故。実は、日々起る交通事故等もそうなんだが、非常にショッキングな出来事であったが故に記憶に刻み込み易い。『理性』であるとか、『知恵』であるとか、そういう事がショッキングに暴かれたのが福島原発事故ではないのか?そんなもんが頼りにならないという事をショッキングに示してくれた出来事ではなかったのか?

 欲望は欲望である。煩悩は煩悩である。んな事を認めてしまったら、問題にならない。問われる事がない。そして、忘却してしまう。『必ず』とつけるが、忘却してしまう。
 なら、誓うしかないのでは?と思ったりする。

 

  わたしの まちがいだった
  わたしのまちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる
  (八木重吉『草にすわる』)