坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

鬼畜日記

2008年09月09日 | 坊主の家計簿
 9月9日

 外食  昼飯         557円
     ちゃんぽん      660円
 食類  発泡酒        198円
     無添加ワイン     438円
     赤芋焼酎       980円
     ごぼうチップス     98円
     ショウガ漬物     168円
     しそニンニク     178円
     さけるチーズ     158円
     明太子        398円
     筋子         398円
 
 合計            4231円
 9月累計         33107円

 学習会。
 だったはずなのだが、「よっしゃ出かけよ」と思ったら寺から電話あり。
 まあ、なんちゅうんですか?突然の仕事でんな。誰かが死んだわけでんな。
 仕事は仕事なので、こういう時は諦めんとシャーナイのだが、明日が休みだった事もあり、いきなり気分を削がれた感じでストレス満載。ついでに、諸々の事情で仕事も遅れ、学習会に参加出来ないだけではなく、飲みにも行けない時間に。
 
 フッフッフ。
 鬼畜である。
 鬼畜は、鬼畜であるが故に、仕事が終わった後に、ストレス満タンなので御近所スーパーで「今日は可哀相なので好きなモンを買ってもエエよ」と、普段、滅多に手を出さない明太子と筋子まで買う。無添加ワインも買ったので、これまた滅多に買わない、おつまみチーズも買う。&『ごぼうチップス』っちゅうもんも買う。

 今日、亡くなった兄ちゃんは若かった。親父と私は多分、あんまり歳が変わらんと思う。
 遺体が帰って来た時に読む読経が私の仕事だったのだが、友達なんだろう。若いガキ共が家の前にタムロってた。
 「殺すぞボケ!」
 と、言い合う事はあっても、決して感謝しあう事等あり得ない年代のガキ連中から「御苦労様です」なんぞという言葉を聞く。

 今日の学習会の課題は、

   悪性さらにやめがたし
   こころは蛇蝎のごとくなり
   修善も雑毒なるゆえに
   虚仮の行とぞなづけたる

 という、親鸞の和讃。

 先日、実家のオカンから郵便物が届く。
 実家に送られて来た郵便物をまとめて送って貰っている。
 その中に母校の『坊さん養成所』というか、『専修念仏道場』からの機関紙が入っている。
 恩師、っちゅうか、今の学院長の講義も当然の如く掲載されている。

【まことにわれわれはわれわれ自身の生活を顧みます時、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません】
 
 という、母校・専修学院に入学前に必ず読まなければならない信国先生の『呼応の教育』という形でまとめられた1964年の入学式で話された講義録の言葉が載ってあった。

 坊さんの道場。
 へっへっへっへ。みんなが仲がエエと思う?
 そんなわけなどない。全寮制であるし、共同生活である。独り部屋なんぞなく、ほぼ1日中同じ部屋のヤツとは顔を合わすのだ。
 当然、他人である。
 他人同士が1年間、同じ部屋に寝泊まりしつつ、かつ、一緒に勉強するのだ。ほぼ、朝から晩まで一緒なのだ。

 1年目、というか、まあ、1年目だけでもエエのだが、その時は力でねじ伏せた。まあ、ワガママし放題状態に近い。
 間に4年間を挟んで2年目に行く。
 幸いな事に、無茶苦茶生意気な兄ちゃんが居てくれた。
 その兄ちゃんが居てくれた事によって、私がどれだけ「みんなと一緒に生きたい」と願っていようが、それとは全く違った生活を送っている事を確かめる事が出来た。
 その時に感じたのが

   悪性さらにやめがたし
   こころは蛇蝎のごとくなり
   修善も雑毒なるゆえに
   虚仮の行とぞなづけたる
   (親鸞)

 である。つまり、一緒に生活をしながら、「こいつさえ居なければ。。。」という、鬼畜の心である。
 「共に生きよう」なんぞという事を学びながらも、一切、そんな事が自分にはない、という事を徹底的に知らされた体験であった。

 当然、そんな事は多々ある。
 私は基本的に「文句があったら殺すぞ」の人間である。故に、それが当り前の事として成立している世界に生きていたのだが、『みんなと一緒に生きたい』という願い、ある意味の綺麗事に感動したが故に、そういう問題意識があったが故に、その上で批判してくれる友が居たが故に、私は、私の残酷性、徹底して鬼畜である、一緒に生活している学友でさえ、自分の都合に当てはめて、いや、「俺に従え」と。
 あくまでも、徹底的に、私中心、自己中心の世界観から抜け出る事が出来ない、そんな事はあり得ない事を、『教え』を学ぶ共同生活の中で徹底的に知らされた。

 んが、『知らされた』とは云え、エエ加減な私の事である。当然、忘れる。
 故に今日の夜の仕事も「なんで俺が行かんとアカンねん」になる。
 その事によって、ストレスが溜る。

 他人の事なんぞ一切考えていない。あくまでも私中心の世界の中で、「私に従え!」というのが私である。私の思い通りにいかない事にストレスを感じるのが、その証拠である。それが事実である。

 それが、エゴであり、『煩悩』である。

 う~ん。。。素晴らしい。素晴らしく酔っぱらって来たぞ。さすがは無添加ワインである。

 出会いを私の都合で判断する。全く無茶苦茶なワガママな存在が私でしかない。
 で、そういう私しか、他の私は居ない。
 
 今日の予定は、ある兄ちゃんが死んだ事によって、全部潰れた。
 でも、その兄ちゃんにとっては掛け買いのない人生。それに『死』という事を通じて関係出来た私。

【まことにわれわれはわれわれ自身の生活を顧みます時、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません】(信国淳)

   悪性さらにやめがたし
   こころは蛇蝎のごとくなり
   修善も雑毒なるゆえに
   虚仮の行とぞなづけたる
   (親鸞)

 ありがとう。