坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『国民の声』と『私の声』

2008年09月29日 | 坊主の家計簿
 9月29日

 雑費  アミノサプリ       150円
     ココア          147円

 合計               197円
 9月累計          128579円

 おもくそ爆睡してました。

 で、麻生氏の所信表明に関して。っちゅうか、麻生氏の所信表明に関する報道も含めた事に関して。
 「国民の声」なんぞとよく云われる。
 例えば野党が「総理は国民の声に耳を傾けているとは思えない」等々。
 
 小選挙区であるし、有権者以外の国民もいるし、選挙権を持たないが日本に定住して居られる方々もいるので非常に微妙でややこしいのだが、与党から選出された総理大臣は国民の多くの声がバックにあるはずなのだが。
 つまり、「総理は国民の声を無視している」と、仮に野党議員が発言したのならば、総理は「あなたよりも多くの国民の声が私にはついている。国民の声を無視しているのはあなたの方である」と、だなあ(笑)
 「国民の声」という言葉が一番似合うのは与党なのだ。与党選出の総理大臣が「国民の声」というのが一番似合っているのだ。

 当然、野党議員の声も、2ちゃんねる掲示板の声も、私の声も、『国民の声』である事には変わりない。少数であっても、1人であっても『国民の声』である事には変わりはなく、当然の事、総理の声も『国民の声』でしかない。
 だから、『総理は国民の声を無視している』とは、ちょっと変である。
 「総理も国民の声を無視しているではないか!」なら納得出来るのだが、「総理は国民の声を無視している」とはおかしい。
 単に自分の意見が通らない事を、『国民』という大義名分を使っているにしか過ぎないと思うのだが。。。

 「国民は解散総選挙を求めている」だの、「国民は自民党を見放している」だのと云うのは勝手だが、勝手に決めつけられてもなぁ。。。一応、私も国民やし。

 まあ、「少数派の意見を無視するな!」っちゅう事なんだろうが、気になる表現方法である。
 理由は単純に政権与党が「国民が望んだ事だ!」と、「これが国民の声である」と、押し付けられたら、うっとうしい。
 政権与党が、自民党から民主党に変わろうとも同じである。
 例えば民主党が、次の選挙で勝ち、民主党政権が出来た事を「これが国民の声である」と云っても、まあ、国民である私の声でない事だけは確かである。
 2大政党制に反対なのが、国民の声である(笑)
 政権交代祭もオモロイが、少数の確かな野党議員の数が減って行くのはイヤなこった。
 『2大政党』という『大きな国民の声』でもって、『小さな国民の声』が無視されるのはイヤなこった。
 故に、『国民の声』なんぞという大義名分を使わずに、『私』っちゅう主語でエエのではないのか?