9月19日
食類 かにメシ 200円
キャベツ 158円
トマト缶 98円
レモンティー6 570円
発泡酒 185円
ピーマン2 100円
合計 1311円
9月累計 109970円
台風。昨晩のニュースでは今夜辺りが台風最接近で、しかも雨が強くなるとかなんとかの予報。「夜の御参りビショビショやのぉ。。。」と思てたら、何の事はない、夜には雨が上がってた。っちゅうか、朝方に降ったぐらいで、後は気にならん程度。
ラッキー♪である。
しゃて、天王山決戦の阪神・巨人戦。巨人の勢いで阪神が優勝せえへんかったら、「如何にも阪神やのぉ。。。」なんだが、やっぱし勝って貰いたいもんなんだが、今夜は負け。巨人は強いわ。当り前やけど。
多分、今ごろ巨人ファンは大喜びしているのだろう。
思いが適うと喜び、思い通りに行かないと悲しい。
阪神ファンにとって、今夜の巨人は優しくなかった。まあ、当り前だ。阪神でなく、巨人なんだから。別に阪神の為に巨人が存在しているわけではない。巨人は巨人という独立したチームであり、決して阪神を盛り上げる為に存在しているわけではない。阪神ファンが喜ぼうが、悲しもうが、「死ぬ前にもう一度阪神の優勝が見たい」と云おうが、巨人は巨人なのである。
そして、それが現実なのである。
筋書きのある妄想なら話は別である。水島新司の漫画『あぶさん』では主人公が還暦で4割の打率を残している。水島新司の誇大妄想でしかない。っちゅうか、漫画やし。
んが、現実の野球は筋書きがなく、ん?とりあえず『ないはず』なんだが、ホンマの所はよく知らんが、とりあえずは無いはずである。よって、筋書きのないドラマは、何が起こるか解らん。まあ、現実やし。決してバーチャルではない。
「時代はバーチャル」という、恐らく35歳以上の人でないと解らなそうな言葉を使って見る。まあ、別に今の時代だけではなく、ずっとなんだろうが。
「時代はパーシャル」という冷蔵庫のコピーが出来たのは1985年らしい。今の冷蔵庫はもっと発達して便利になっているのだろう。冷蔵庫だけでなく、家電全般もそうだし、当時は面倒だったパソコンも簡単に、安価になった。世の中は便利に便利に、いや、都合良く、思いに適う生活を求め続けている。
しかし、それでも阪神は負け、蒼井優ちゃんは岡田某とかいうアイドルと恋愛し始める。
「うぅぅぅぅ。。。こんな世の中なんて、ボクの望んだ現実ではない。。。」
といっても、これしか現実はなかったりする。現実は、蒼井優ちゃんが岡田某というアイドルと恋愛する世の中なのだ。
『バーチャル』と云う言葉は、最早『死語』に近いのかな?
『優しくなりたい症候群』と勝手に名前をつけているのだが、優しくなりたい人達。『都合』や『思いに適う』事を重んじる人達。
そうか、バーチャルは『癒し』に展開したのか?
癒し、癒される、バーチャル空間。
台風は、大阪は通り過ぎたはずだが、まだどっかに居ているのだろう。
麻生氏が「岡崎だったからいい」なんぞと発言したらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080914-OYT1T00487.htm
何やら、
【「公共工事は、都市部でもきちんと行うべきだ」という趣旨の演説の中での発言】(上記リンクより)
らしいのだが、失言は失言である。よって、麻生氏は謝罪したらしい。
この言葉を聞いて、別の意味で考える。
確かに、名古屋等の大都市でなく、「岡崎だったからいい」という心は私にもある。
水害でなく、地震の方が例えやすいので地震で例えるが、新潟での地震と、大都市とでの地震では被害状況が全然違って来る。新潟での地震、あるいは東北での地震と同じ規模の地震が大都市で起っていたら被害はもっとデカイ。
当然、犠牲者は犠牲者でしかない。亡くなられた人の人生は誰にも変える事が出来ない。だが、そういう心が私の中に、残念ながらある事は確かである。
もっと云うのなら、「地元でなくて良かった。。。」と。
つまり、「私が被害者でなくてよかった」と云う事である。
「私さえよければイイ」
これが私の現実である。
少し逃げさせて頂くが
【戦艦の沈みゆくとき己が身を 助けんと戦友をつき落とすときく】(福田春子)
である。この詩は太田久紀の『「唯識」の読み方』に載ってある詩である。ちなみに114ページ。
「私さえよければイイ」という心があるのも事実である。
当然、そんな心は認めたくない。んが、事実であり、事実を認めたくないが故に、バーチャル空間にはないのだろう。
『都合が良い』『思いに適う』とは差別原理でもある。
都合が悪ければ排除し、思いに適わなければ排除する。
バーチャル空間。例えば、天皇が通る道から被差別が見えたらバーチャルでなくなるので、その被差別を排除する。
あるいは、ハンセン病患者を排除する。
今なら
♪生きている事が辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
という歌を排除しようとする。
都合の悪い、思いに適わない事柄、人達を排除する。
そんな現実を「悲しいが、これが私なのだ。。。」と。
癒し、癒される関係で、自分がハッキリするのだろうか?
言い換える。自分と他人の違い、異なる事がハッキリするのだろうか?
巨人と阪神は違うチームである。阪神ファンにとっては巨人が勝って貰っては困るのであり、巨人ファンにとっては阪神が勝って貰っては困るのである。
あくまでも自分中心の発想にしか過ぎない。
『好きの反対はキライじゃないよ無関心』という西原理恵子の名言があるらしいが、マザーテレサも似た様な事を云っているらしい。
巨人が勝っても、阪神が勝っても、「どっちでもエエやん」という人は無関心なだけである。
『怨親平等』という言葉がある。まあ、敵も味方も平等である、という様な意味合いなんだが、んなもん、誰かを怨んだ中で出てくる言葉。
『怨親平等』という言葉にすがるざるを得ないから、『怨親平等』と云う言葉が『教え』の言葉になる。
食類 かにメシ 200円
キャベツ 158円
トマト缶 98円
レモンティー6 570円
発泡酒 185円
ピーマン2 100円
合計 1311円
9月累計 109970円
台風。昨晩のニュースでは今夜辺りが台風最接近で、しかも雨が強くなるとかなんとかの予報。「夜の御参りビショビショやのぉ。。。」と思てたら、何の事はない、夜には雨が上がってた。っちゅうか、朝方に降ったぐらいで、後は気にならん程度。
ラッキー♪である。
しゃて、天王山決戦の阪神・巨人戦。巨人の勢いで阪神が優勝せえへんかったら、「如何にも阪神やのぉ。。。」なんだが、やっぱし勝って貰いたいもんなんだが、今夜は負け。巨人は強いわ。当り前やけど。
多分、今ごろ巨人ファンは大喜びしているのだろう。
思いが適うと喜び、思い通りに行かないと悲しい。
阪神ファンにとって、今夜の巨人は優しくなかった。まあ、当り前だ。阪神でなく、巨人なんだから。別に阪神の為に巨人が存在しているわけではない。巨人は巨人という独立したチームであり、決して阪神を盛り上げる為に存在しているわけではない。阪神ファンが喜ぼうが、悲しもうが、「死ぬ前にもう一度阪神の優勝が見たい」と云おうが、巨人は巨人なのである。
そして、それが現実なのである。
筋書きのある妄想なら話は別である。水島新司の漫画『あぶさん』では主人公が還暦で4割の打率を残している。水島新司の誇大妄想でしかない。っちゅうか、漫画やし。
んが、現実の野球は筋書きがなく、ん?とりあえず『ないはず』なんだが、ホンマの所はよく知らんが、とりあえずは無いはずである。よって、筋書きのないドラマは、何が起こるか解らん。まあ、現実やし。決してバーチャルではない。
「時代はバーチャル」という、恐らく35歳以上の人でないと解らなそうな言葉を使って見る。まあ、別に今の時代だけではなく、ずっとなんだろうが。
「時代はパーシャル」という冷蔵庫のコピーが出来たのは1985年らしい。今の冷蔵庫はもっと発達して便利になっているのだろう。冷蔵庫だけでなく、家電全般もそうだし、当時は面倒だったパソコンも簡単に、安価になった。世の中は便利に便利に、いや、都合良く、思いに適う生活を求め続けている。
しかし、それでも阪神は負け、蒼井優ちゃんは岡田某とかいうアイドルと恋愛し始める。
「うぅぅぅぅ。。。こんな世の中なんて、ボクの望んだ現実ではない。。。」
といっても、これしか現実はなかったりする。現実は、蒼井優ちゃんが岡田某というアイドルと恋愛する世の中なのだ。
『バーチャル』と云う言葉は、最早『死語』に近いのかな?
『優しくなりたい症候群』と勝手に名前をつけているのだが、優しくなりたい人達。『都合』や『思いに適う』事を重んじる人達。
そうか、バーチャルは『癒し』に展開したのか?
癒し、癒される、バーチャル空間。
台風は、大阪は通り過ぎたはずだが、まだどっかに居ているのだろう。
麻生氏が「岡崎だったからいい」なんぞと発言したらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080914-OYT1T00487.htm
何やら、
【「公共工事は、都市部でもきちんと行うべきだ」という趣旨の演説の中での発言】(上記リンクより)
らしいのだが、失言は失言である。よって、麻生氏は謝罪したらしい。
この言葉を聞いて、別の意味で考える。
確かに、名古屋等の大都市でなく、「岡崎だったからいい」という心は私にもある。
水害でなく、地震の方が例えやすいので地震で例えるが、新潟での地震と、大都市とでの地震では被害状況が全然違って来る。新潟での地震、あるいは東北での地震と同じ規模の地震が大都市で起っていたら被害はもっとデカイ。
当然、犠牲者は犠牲者でしかない。亡くなられた人の人生は誰にも変える事が出来ない。だが、そういう心が私の中に、残念ながらある事は確かである。
もっと云うのなら、「地元でなくて良かった。。。」と。
つまり、「私が被害者でなくてよかった」と云う事である。
「私さえよければイイ」
これが私の現実である。
少し逃げさせて頂くが
【戦艦の沈みゆくとき己が身を 助けんと戦友をつき落とすときく】(福田春子)
である。この詩は太田久紀の『「唯識」の読み方』に載ってある詩である。ちなみに114ページ。
「私さえよければイイ」という心があるのも事実である。
当然、そんな心は認めたくない。んが、事実であり、事実を認めたくないが故に、バーチャル空間にはないのだろう。
『都合が良い』『思いに適う』とは差別原理でもある。
都合が悪ければ排除し、思いに適わなければ排除する。
バーチャル空間。例えば、天皇が通る道から被差別が見えたらバーチャルでなくなるので、その被差別を排除する。
あるいは、ハンセン病患者を排除する。
今なら
♪生きている事が辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
という歌を排除しようとする。
都合の悪い、思いに適わない事柄、人達を排除する。
そんな現実を「悲しいが、これが私なのだ。。。」と。
癒し、癒される関係で、自分がハッキリするのだろうか?
言い換える。自分と他人の違い、異なる事がハッキリするのだろうか?
巨人と阪神は違うチームである。阪神ファンにとっては巨人が勝って貰っては困るのであり、巨人ファンにとっては阪神が勝って貰っては困るのである。
あくまでも自分中心の発想にしか過ぎない。
『好きの反対はキライじゃないよ無関心』という西原理恵子の名言があるらしいが、マザーテレサも似た様な事を云っているらしい。
巨人が勝っても、阪神が勝っても、「どっちでもエエやん」という人は無関心なだけである。
『怨親平等』という言葉がある。まあ、敵も味方も平等である、という様な意味合いなんだが、んなもん、誰かを怨んだ中で出てくる言葉。
『怨親平等』という言葉にすがるざるを得ないから、『怨親平等』と云う言葉が『教え』の言葉になる。