坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

儚くない『みんなの墓』

2008年09月06日 | 坊主の家計簿
 9月6日

 食類  白身フライのり弁(昨日)   370円
     豆腐(一昨日)        100円
     インスタント味噌汁       89円
     スパゲティー2        316円
     麺つゆ            198円
     豚バラ            286円
     キムチ             88円
     ピーマン            78円
 外食  ぶっかけ小          280円

 合計                1805円
 9月累計             22755円

 朝から暑い。。。先月末にいったん暑さに対して気を許した後だし、夏の疲れも一気に出たのか、しんどいぞ。
 しかも、昨日深夜に食べたラーメンが胃もたれをおこして、朝から「勘弁してえなぁ。。。」状態。
 仕事が終わって、へたる。

 全然関係がないのだが、関西ローカルかも知らんが、何かのコマーシャルで『墓のない人生は儚い人生』なんぞというキャッチコピーがあった。
 当然、キャッチコピーだし、『商売』である。多少の強迫観念も与える事が出来るだろうし、優れたコピーではある。

 真宗の墓の基本(?)は向かって表面に『南無阿弥陀仏』とだいたい書いてある。あるいは『倶会一処』であるとか。で、その横に『○○家』だとか、あるいは墓の横にある石に墓に入っている人達の名前が書いてある。表面に『○○家先祖代々』と書いてある墓もあるが、それを勧めているとは聞いた事がない。
 そういう『墓』には、当然の事、他所様は入る事が出来ない。『うちの墓』んだし。先祖といっても『うちの先祖』である。

【親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。】(歎異抄より)

 という発想方法と『○○家』の先祖だけを供養する発想とは一致しない。

【大谷祖廟は、親鸞聖人個人の墓ではない。「真宗門徒」みんなの墓です。このことは大切だと思います。捨てるというのは二つあって、山への散骨というのは棄という。それからもうひとつは捨。棄骨と捨骨です。棄は廃棄の棄。捨は慈・悲・喜・捨の捨。仏さまの平等の慈悲の心が捨です。大谷祖廟は捨骨です。親鸞聖人の墓だから、誰も入ってはいけないとか、そうではない。みんなの墓ですね。門徒さんみんなの墓。そういうことがきちんとあります。近ごろ流行の、合理的な合葬墓や散骨とは意味が違うのです。私の住む寺の歴代住職の墓も、祖廟にならって、みんなの墓としてご門徒に開放しました。】(二階堂行邦『自分が自分になる』160ページより)

 というのが真宗の墓の基本だと思うのだが。
 当然、これは『墓のない人生は儚い人生』なんぞという立場の人達にとっては困る話である。
 が、別に私たちには関係のない話である。従う義務なんぞ一切ない話である。
 「うちには墓がないねん。。。」とは卑下する事でなく、自慢する事である。まあ、別に自慢せんでもエエのだが、卑下する事ではない。
 だが、繰り返しになるが、困る立場の人達も出てくる。それを商売にしてはる方々にとっては困る話ではある。
 これまた繰り返しになるが、別にその人達に従う義務なんぞは一切無い。

 「これはこうでないとダメである」というのも勝手であるが、当然の事、それに従わなければならない義務は一切無い。
 「従わなければイケナイ」という意識は奴隷意識である。
 「女として料理ぐらい出来ないと」なんぞも奴隷意識であり、「男としてたくましくならないと」も奴隷意識である。主語が『女』『男』であり、個人としての『私』がない。私が選ばずに選択肢を漠然とした何かに売り渡している。単なる奴隷である。
 当然の事ながら、そんなもんに自分を売り渡す必要性は一切無い。

 法名の『釈』とは釈尊の『釈』である。仏弟子の名告りである。

【四十年も昔、ボクは代講の僧が法堂の上で、禅客の出身氏名を、バラすのを見たことがある。商であれ工であれ、行者の仲間に対して、その職業をあばくのである。もっともひどいのは、手をあげて様子をみせたりした。ああ、何たることか。(ボクは)耳をふさいで飛び出す。そこで、二つの偈をつくった。ねらいは、悪弊を攻めることだ。およそ四姓が何であれ、仏門に入って皆な釈氏とよばれるのは、乞食として生命を支え、法を学んで精神を養うためである。貴族や名門の出であることが、いったいなんだというのか。今ごろは、山林の僧堂でも、氏族の尊卑によって、人を扱っている。それをさえ、黙認せよというのなら、黙認できないものは、何もないことになるだろう。】(一休『狂雲集』より。但し現代語訳は柳田聖山)

 一休禅師の墓は宮内庁の管轄になっている。
 え~。。。多分、墓の下で暴れまくっていると思う。