坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『親知らず』という思い込み

2008年06月15日 | 坊主の家計簿
 6月15日

 食類  牛てっちゃん     235円
     タマゴ        198円
     発泡酒3       321円
     もやし         29円
     枝豆         136円
     納豆          68円
     アスパラ       128円
 雑費  レンタル3      240円

 合計            1355円
 6月累計         54175円

 レンタルは
 『深紅』
 『理由』
 『レディージョーカー』

 『深紅』だけを観る。素晴らしい。。。内山理名がエエ女優さんとは知っていたが、水川あさみもエエ女優さんやな。っちゅうか、ストーリーもエエ。かなりエエ映画。

 親知らずの痛みは、日頃の行いがエエのだろう(?)。朝、起きたら治ってた。そういや、痛みだしたのがアンチョビパスタを食べた後だったので、アンチョビの小骨でも親知らずの部分に刺さったのかな?パスタソースにするのに細かく切ったから、それが丁度挟まったのかな?よく解らん。よく解らんが、痛まんでもエエのはエエこっちゃ。まあ、いつか痛みだすのだろうが。

 親知らず。
 父の日。
 親父が実家を出て行ってから10年以上はなると思うのだが、その前に私が出て行ったからイマイチ記憶にない。実家に毎日居たら「出て行った」という痛みがあるのだろうが、なんせ数年に一度も帰らない実家である。両親が熟年離婚しようが、親父が実家から出て行こうが、「まあ、好きに生きとるねんやろな」ぐらいなもんだ。
 「お父さんに離婚後会った?」と誰かに聞かれたのだが、離婚前から会わない親父に、「親父、離婚してんねんな。実家から出て行ったらしいやんけ。」と会いに行く程の酔狂者ではないので、会いに行く事はないだろう。
 会わなくても、親父は親父。好きだろうが、キライだろうが、そんな事は関係なく親父は親父。

 父の日と云う事で、珍しく親父を思い出す。
 なんだが、親父はどうなんだろうか?
 多分、なんとなくだが、私と親父の関係でいうのなら、親父の方が私との付き合いは長い。まあ、当り前だ。私がこの世に出てくる前から知っているわけだし。私に意識がない時から、親父には意識があったのだから。

 うちの親父。うちの親父は酒が弱かった。本ばっかり読んでて、ガキの頃は一緒に将棋をして遊んだりしたのだが、その後の会話は本だった。と云っても、本の内容について話し合うと云う様なアットホームなテレビドラマに出て来そうな話ではなく、バタイユだの、コリン・ウィルソンだの、色気づいた思春期の生意気なガキが好みそうな本、でも、高くて買えない本を親父の本棚から借りる時に「これ、借りるで」ぐらいな事である。
 私は一家の中で奇形的に酒飲みであって、実家にも関わらず外で飲んで来て実家のトイレで吐いたりしてたので、まあ、親父は「おお、我が息子も酒を飲む様になったのか」とか、「おお、我が息子も生意気な本を読む様になったのか」と思ったりした事もあると思う。
 で、多分、今でも、自分が捨てた家族の事を好きな小説を読んだりしながらタマに思い出したりしているのだと勝手に思う。

 人間関係。
 親子関係。
 様々な形があってイイのだと思う。
 親鸞は連れ合いと別れ、息子を義絶した。それでも、親鸞自身の人生の中には確かに『妻帯』をした事があり、今日では息子を義絶した事が晩年の親鸞の思想的影響を与えたのではないか?とも云われる。

 親鸞は義絶した息子にも、別居状態にあった連れ合いにも生涯会わなかったはずである。それでも、関係が壊れるわけがない。
 好きとかキライとか、別れたとか、そういうもん以前に、『関係している』という事実の方が先だから。

 親父とは10年以上会ってない。別に会いたいとも思わない。会いたいという以前に、親父の影響を知覚以前に散々と出会っているのだし。
 思い出して再確認したいという『思い』もあるが、それ以前に、親父は私の中でありありと生きている。
 親父が死んだとしても、生き続けていく。
 限定された『私』等ない。『私』の中に親父の影響があり、その他、様々な人達の影響があり、それでもって今日の私が『ある』。間違いなく、『ある』。

 「みんな仲良く」なんぞはサザエさん一家に任せておけばエエ話であって、そんな幻想に振り回される必要はない。
 どんな関係であろうが、関係している事実の方が先である。
 『思い』がさまよっているだけ。

親知らずが。。。

2008年06月14日 | 坊主の家計簿
 6月14日

 食類  ペット水12      840円
     アンチョビ10     290円
     乾麺蕎麦2        98円
     むぎ銀滴       1680円
     国産牛肉        364円
     ニンニク        128円
     キャベツ         80円
     エリンギ         78円
     豆腐          120円

 合計             3678円
 6月累計          52820円
 
 朝、御参り先に行くとオッちゃんがテレビを付けっぱなしで寝てた。仏間はその奥の部屋だったので起さないように静かにイソイソと。
 仏壇前に座るとテレビから緊急地震速報の音が。「うわ!」って驚いてテレビを見る。なにやら東北の方らしい事が解ったのでそのまま仕事を続けていたのだが、あんなにデッカイ地震だったとは。。。

 昨日、終電帰宅だったので、法要準備を少しだけする。明後日が休みなので明日に準備の本番。で、明々後日が法要の本番。
 なのだが、最後の1本の親知らずが痛みだした。。。これは単に親知らずの所に何かが挟まったりして痛んでいる事を期待したいのだが、かなりひつこく歯間ブラシを使ったのだが、痛い。騒ぐ程ではないが、痛い。
 で、この親知らずだけが何故残って居るのかというと、親知らずと血管が重なってレントゲンに写っているらしく、歯医者さん曰く「血管が傷つく可能性がある」と。血管が傷ついて大量出血した場合の事を考えると総合病院で抜歯して貰った方がエエと。で、放ったらかしにしておいたのだが、痛い、っちゅうねん。しかも、法要前に抜歯なんぞ出来ひんっちゅうねん。抜歯した次の日に法要はキツいぞ。。。よって、騒ぐ程痛みだしても、ここは我慢である。寝れない程痛みだしても、まあ、実際には気絶みたいな感じでは寝れるし。痛み止めもまだ残って居るし。気合である。根性である。我慢大会である。
 っちゅうか、一応、月曜日まで痛かったら歯医者に行って来よ。抜歯が出来なくとも、とりあえず相談やな。歯石も取って貰わんとアカンし。出来たら、なんとか交渉して水曜日、は歯医者が休みか。木曜日は夕方の御参りがあるか、金曜日にでも抜歯して貰わんとシャーナイな。

脳トレ

2008年06月13日 | 坊主の家計簿
 6月13日

 諸々  サンダル        1480円
     100円ショップ9    945円
     ウコン         1480円
     ファイバーブラン2    396円
     発泡酒          218円
     シングルモルト     1900円
     タンガクラブ     10000円
     ドグラマグラ      2100円
     JR            380円
     味噌ラーメン       650円
     ラーメン         650円
     湯葉           200円

 合計             20399円
 6月累計           49142円

 お買い物。ついでにタンガクラブへ。2ヶ月分の会費(?)と、ボトルキープの酒。これで7月末までは無料で飲める。のだが、あまり行ってるヒマもないのだが。。。
 あ、ホームページが出来たらしいです。
 http://www.thangka.jp/

 帰りに毎度のドグラマグラへ。現役の大学生が居てて、しかも真面目に学問をやっておられる人達だったので、エエ脳味噌のトレーニング。
 というか、だいたいの場合、ドグラマグラでは御固い話を冗談交じりで話すから脳味噌のトレーニングになるのだが。

家の宗教

2008年06月12日 | 坊主の家計簿
 6月12日

 食類  水菜         88円
     ニラ         88円
     たまねぎ      115円
     冷凍餃子2     336円
     ピーマン       49円
     うどん玉       20円

 合計            696円
 6月累計        28743円

 空気が重い。。。梅雨が一番苦手なのだ。。。

 しゃて、我が大谷派宗門でも男性坊守がようやく認められたらしい。
 http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200806100051.html
 ちなみに『坊守』とは、え~。。。坊守ってなんや!

 親鸞の坊守って誰だったのだろうか?
 実際にはなかった話であるが、仮に親鸞が京都に戻って来た後に自分で寺を構えたとする。
 親鸞には恵信尼というパートナーがいて、まあ、親鸞が住職であると仮定するならば恵信尼が坊守になる。
 しかし、恵信尼は越後の実家に帰っていたので坊守としての仕事は出来なかった。
 この辺、詳しくないのだが、親鸞には覚信尼という娘さんが居てた。後の歴史的な事柄から考えるに、親鸞の坊守といってもイイのではないのか?事実上の仕事として。まあ、親鸞は寺を構えなかったが。
 となると、『住職の配偶者が坊守』なら、覚信尼には坊守になれない。坊守として認めて貰えない。

 っちゅうか、こういう人って居ると思うのだが。。。女性住職を継がれても独身であって、事実上の『坊守』の仕事は『先代坊守』がしているとか。

 とは云え、男性坊守の門戸が開けたのはありがたい。これで男性僧侶の養子先が増えたわけだ(笑)
 同時に、男性が坊守になれなかったのは偏見でしかないし。
 当然、今でも「なんで男が坊守なんだよ。。。」という人も居られるかも知れない。だが、その声は『坊守』という仕事の再評価並びに、可能性を含んでいないだろうか?
 
 坊守職に対する給料がどれだけ支払われているのか私は知らない。そういう調査があったのかどうかも知らない。あったのなら教えて頂きたい。
 当然、それは『専業主婦』『専業主夫』に対する手当とは別に考えるべきである。あくまでも『坊守』としての仕事に対する給料である。その宗教法人から支払われる給料である。
 なんとなく、無給で泣いておられる人が多いと想像するのだが。。。
 で、男性坊守である。男は傲慢である(笑)まあ、そんな事は個人差なのだが、だが、男性が坊守になった場合に「で、給料はなんぼ?」等と云いそうな人が多いと思うのだが。少なくとも私は言うが。

 諸々の坊守さんを見ていて思うのだが、やっぱりあれは仕事である。まあ、全く仕事をしない人も居てるが、それは今まで『坊守』という位置づけがハッキリしなかった事もあるのだろうし。

 【家の宗教から個の自覚へ】
 という大谷派のスローガンはまだ生きていると思う。
 では、大谷派のおける『坊守』とは何ぞや?
 『家の宗教から個の自覚へ』とは、あくまでも『門徒家庭』だけに限られる話なのか?

 男性坊守が認められた事によって、『男女共同参画』という今日的な言葉だけではなく、真宗サンガにあった男女差別解消のひとつになった。
 では、次はやはり『家の宗教から個の自覚へ』ではないのか?

 寺の事情は様々である。
 小さな寺では『坊守』も他の仕事をしないといけないのだろうし。
 大きな寺では『住職の配偶者』ではなくとも坊守を雇えるのではないのか?住職の配偶者はあくまでも『住職の配偶者』でしかなく、まあ、専業主婦、専業主夫をしとけばイイ。それとは別に坊守を雇う事も可能ではないのか。
 そう考えると、現状の『住職の配偶者』は決して『専業主婦』ではなく、『兼業主婦』である。坊守という立派な仕事をしている。
 坊守には大きな仕事の可能性がある。『寺』という現場の中で大きな仕事の可能性がある。そういう意味でも坊守という仕事を『住職の配偶者』だけに限定しておくのは勿体ない。

 また、『住職の配偶者』であっても、出来れば同じく聞法に励む事が出来ればイイのだろうが、真宗仏教に興味があるとは限らない。
 それは『住職の配偶者』だけに限らない。寺の息子、娘でも同じ事である。
 『住職の配偶者』『寺の息子』『寺の娘』とは、あくまでもそれだけの意味であり、それ等の人を称して『寺族』というのだが、『寺族』が『寺族』という条件だけでもって、仏教に親しんでいるわけではない。その事がプレッシャーになって苦しんでおられる人達も多く知っているし、その逆に『寺族』としての慢心だけで何も興味ないにも関わらず『門徒』よりも別位置、上位に立っていると誤解されている、勘違いしている人も知っている。
 まあ、昔の身分制度の名残りなのだが、それが今でも寺社会には残って居る事もある。

神様桧山。仏の今岡。

2008年06月11日 | 坊主の家計簿
 6月11日

 外食  中華そば          304円
 食類  鯖寿司           200円
     鱧&ゲソ          100円
     もやし            29円
     焼そば麺           28円
     牛焼肉           270円
     アクティブダイエット4   380円
     発泡酒2          310円

 合計               1621円
 6月累計            28047円

 夕寝で風邪ひく夢みてもうたやんけ。。。まあ、この時期、夜になるとまだ少し涼しいし。御用心、御用心と。
 
 阪神がセリーグの首位独走である。
 そして桧山が神様になった。今日のスリーベースヒットを見たか?西武に追いつかれそうになった時に、あの一発である。まさに代打の神様である。今までは神様=八木だったのが、これからは神様=桧山である。
 神様は困った時に助けて呉れる。困った時の桧山頼みである。

 桧山が仏になったらどうしよ。
 
 「さて、ここで代打は桧山です。仏の桧山です。福本さん、今日の桧山はどうですかね?」
 「解らん」
 「桧山が打席に立ちました。ピッチャー第一球を投げました。桧山、見送りましたね。福本さんこれはどうですか?桧山は何かを狙っているのでしょうか?」
 「桧山に聞け」
 「おっと、桧山2球目を打ちました!が、しかしセカンドゴロです。桧山、今日も私たちの期待に応えてくれません。私たちの希望をかなえてくれません。さすがは桧山、仏の桧山ですね」

 っちゅう感じなのかな?
 桧山が仏なら、私たちが一発欲しい時に、「それは迷いである」と凡打を繰り返す。代打でチャンスに出て来ても期待を裏切り続け、あくまでも阪神の勝ちにこだわる阪神ファンの思いが迷いでしかない事を桧山は身をもって証明する。阪神の勝ち負けに一喜一憂する私たちの生活の在り方を告発する。
 そうか。。。桧山は神様だが、仏は今岡だったのか。。。今岡は見事に期待を裏切ってくれるもんなぁ。。。

お守り

2008年06月10日 | 坊主の家計簿
 6月10日

 食類  海鮮ちらし         200円
     桜えび           100円
     ペット水4         272円
     麺つゆ           198円
     やきそばソース       108円
     豚ばら           313円
     ゆば            200円

 合計               1391円
 6月累計            26426円

 運転免許更新講習。
 毎度思うのだが、あれは何故『平日の昼間』なのだ?まあ、少し遠くまで行けば日曜日でも可能だと思うのだが、同じ市でやろうとすると平日の昼間になる。
 え~。。。平日の昼間って働いて居る人、多くないっすか?特に運転免許を持っている人って。
 私の講習は2時間1700円。まあ、立派な商売だわな。警察の利権だわな。警察が警察の商売でやっているのだから、利用者に合わせるのが基本だろうが。それを偉そうに「こちらの時間に合わせなさい」とは何たる怠慢。
 まあ、私の仕事は平日の昼間でも行けるのだが、行かれへん人の方が多い、っちゅうねん。

 講習を受けていて、新たな利権を発見。
 何やら『違反者講習制度』というのが出来たらしい。
 少し前に飲んでる時にタマタマ同席した人からも「こういう制度があるらしい」と聞いていたのだが、今回の講習でも宣伝してはった。
 何やら、反則の点数がちょうど6点になった場合のみ、14250円か、10250円の講習を受けると点数が0に戻るらしい。
 確かに非常に便利である。だが、大阪では指定自動車教習所で講習を受ける事が出来るらしいのだが、え~。。。6時間の講義で10250円から。なんちゅう商売しとるねん。。。どれだけの利権やねん。

 交通違反をするかしないかは『運』である。厳密には『捕まるか捕まらないか』だけの話だし。まあ、住宅地30キロ規制の道を70キロ超でぶっ飛ばしたり、渋滞時に左折したい時に『歩道を走って左折する』様なクソ忙しい葬式寺で働くような人は捕まえて楽にしてやった方がエエと思うが、それ以外の「あ、あなた停止線で一時停止してませんね」とか、道幅が広く交通量のほぼない住宅地でレッカー移動するような明らかに『金が欲しい』『ノルマを達成したい』というような交通違反の方が多いのではないのか?
 以前も書いたが、反則金は信号等になる。工事の予算になる。工事業者の仕事になる。金になる。当然、利権が発生する。故に、先に予算が決まっているのだ。「今年の予算はナンボで」みたいな感じで予算が決まっているのだ。で、その予算に合わして交通違反を取り締まる。反則金を稼ぎだす。多く取り過ぎても仕方がないし、足りなくても問題である。だから『丁度エエ感じ』の予算を稼ぎだす。その為に多くの人達が犠牲になり、反則金を巻き上げられる。
 そこで捕まった人達、つまり今日の私と一緒に講習を受けた人は単に『運が悪かった』だけの話なのである。

 思うのだが、警察は開運のお守りでも売ったらエエのではないのか?

 「皆さんが今日何故ここに来られたのか解りますか?皆さんは軽微な交通違反で捕まった人達です。ですから皆さんも思っておられるのではないでしょうか?『俺は運が悪かっただけだ』と。ですが、世の中には皆さんと同じく運転をしながら捕まらない方々も居られます。そうです。運が良い人達です。世の中には『運が良い人』と『運が悪い人』の2種類の人が居られます。皆さんは御自分の人生を振り返って下さい。今回だけでなく、『ああ、俺って運が悪いよな』と思われた事がないでしょうか?実力や才能があっても運が悪いだけだと。そうなのです。皆さんは運が悪い人達なのです。ですが、皆さんはその〔運〕を考えられた事がありますか?〔開運〕を考えられた事がありますか?『俺はある。毎年ちゃんと神社に開運の祈願に行っている』等という方々も居られるかも知れませんが、でしたら、何故皆さんはここに居られるのでしょうか?それは運がない証拠です。神社の開運祈願や、お守りに効果がなかった証明です。皆さんの開運に対する事柄が全く効力がなかった証明です。それでも皆さんはまだその開運作業を続けますか?続けられませんよね。効果がなかった証明は最早皆さんがここに居られる事で証明出来ているのですから。
 さて、そこで私たちは考えました。皆様方にとって本当に効果のある開運を考えました。
 ここにお守りがあります。このお守りは他のお守りとはモノが違います。皆様は今まで誤解して居られた。『開運は宗教者の仕事である』と。本当は違うのです。開運は警察の仕事なのです。正直申しあげます。このお守りを車のウインドウガラスに付けておいて下さい。バイクの方はキーホルダーにしいておいて下さい。間違いなく、100%間違いなく皆様のような軽微な交通違反では捕まる事はありません。私たちが保障いたします。絶対に捕まる事がありません。ですが、過度の交通違反、一発免停以上の交通違反では効果がありません。私たちにも限界があります。皆様の開運のお手伝いをするにしても限界があります。この辺りが私たちの正直な所です。但し、今日の皆様方の様な軽微な交通違反では100%の効果を発揮致します。
 このお守りは10万円いたします。高いと思われるかも知れませんが、では皆様はこれまでにどれだけの反則金を払って来ましたか?運がないだけの事によってどれだけの反則金を払って来ましたか?また、これから何十年も運転免許を利用する中でどれだけの反則金を払う事になるのでしょうか?
 たった20キロのスピードオーバーで普通車の場合の反則金は15000円です。高速道路で20キロオーバー等すぐに出てしまいます。
 駐車違反は普通車の場合15000円です。住宅街にある友人の家に遊びに行く。ほんの短い間だから友人の家の前に駐車しているだけで15000円の反則金です。車で御仕事をなされておられる方々はどうでしょうか?配達先に配達物を届ける為に交通に支障がない所に駐車して荷物を届ける。それだけで15000円の反則金です。
 皆様も御存知の通り、交通違反に関する取り締まりは年々厳しくなっています。ですから、『今までの事を考えると10万円は高い』と思われる方も居られるかも知れませんが、それは間違いです。年々厳しくなり、今まで運が良かった人も運が悪くなります。元々運が悪い皆様の事ですから尚更です。
 強制はしません。あくまでも任意です。私たちはあくまでも皆様の事を考えて、このお守りを作りました。皆様方に開運がありますように、私も微力ながら協力させて頂きます」

 っちゅうのはどうや。
 免許人口は約8000万人。10万円で10%が買うとして約8000億の新たな利権でっせ。
 しかも、警察の開運お守りなら、まず100%軽微な交通違反でキップ切らんやろうし。怪しげな開運お守りでなく、100%間違いなしの効果てきめんでっせ。
 免許人口約8000万人が全て警察のお守りを買ったなら、約8兆。2005年発行の本によると毎年約800億が反則金利権だから100年分。レッカー業者の売り上げがどれだけかは記憶してないが、まあ、それだけありゃ、充分だろう。
 警察で売るのが無理なら、交通安全協会がありまんがな。利権が転がり込む先がありまんがな。天下り先がありまんがな。

 ちなみに『運がイイ、運が悪い』とはあくまでも個人の都合です。
 ですから、お守りを買う事自体が「都合のイイ人生」を生きたいという迷いです。自分の思い通りに生きたいという迷いです。ですが、死にます。必ず死にます。100%死にます。人間の死亡率は100%です。皆様は必ず死にます。そういう皆様の為に私たちは考えました。。。
 いかん、さっき書いた『警察お守り』の影響が。。。

 自分の都合を疑わずに生きている。『自分の都合』という狭い世界で生きている。それが皆様の人生ではないでしょうか?そこで私たちは考えました。。。
 あかん。。。さっきの影響がまだ。。。

 まあ、自分の『思い通り』に生きたいわな。世間にも認められたいし、自分の思い描く幻想の都合で生きたい。好きな人と一緒になりたいし、豊かな生活もしたい。思い通りに生きたい。思い通りに生きれなければ閉鎖的になり、カルト的になり、自分の世界に、自分の幻想の世界に埋没したり、あるいは自分の『思い通り』にならない人を排除したりする。排除出来なければ、まあ、排除と同じなのだが、引き蘢ったりする。
 あるいは『敵』にする。思い通りに生きれない人達を『敵』にして、自分が思い通りに生きれない事を相手のせいにする。
 「あいつさえ居なければ。。。」
 「あいつさえ邪魔しなければ。。。」
 等々。
 けど、独りで生きているわけではない。独りで生きていない事の証明が他者が『思い通り』にならないと云う事。故に苦しむ。悩み苦しむ。その事が『他者と共に生きている』事の証明。決して独りで生きていない事の証明。 
 それが人間関係。それが例え、職場から自分の制服が無くなって居たとしても。それが決して独りでは生きていない事の証明。『他者』という自分以外の人が、自分に関わって居る事の証明。決して独りではない事の証明。
 思い通りにならなければ、思い通りにしようとする。世間が思い通りにならなければ世間を思い通りにしようとする。
 思い通りにならなければならない程、追いつめられ、より一層反動として思い通りにしようとする。『支配』しようとする。

 他者の生命を奪う。自分の支配下、自分が自分の力でもって自分を苦しめて来た他者を自分の支配下に置こうとする。したがる。そういう『自分の思い』を疑わない。反射的に「やられたらやりかえせ!」になる。そういう風にしようとしてしまう。行動に移さなくとも、心の中であっても。
 そうやって、エゴの再生産。
 多分、大昔から続いて来たであろうエゴの再生産。

  【わたしの まちがいだった
   わたしのまちがいだった
   こうして 草にすわれば それがわかる】
  (八木重吉『草にすわる』)

 「私は私の小さな思いだけで生きていくような人生は歩みたくない!お守りに象徴される様な都合のイイ生き方で苦しみ続けるのは真っ平御免だ!」

我々は明日のジョーである

2008年06月09日 | 坊主の家計簿
 6月9日

 食類  寿司          200円
     湯葉          200円
 雑費  マルチビタミン     970円
     玄米ブラン2      136円
     エビオス錠      1480円
     カルシウム錠      546円
     亜鉛          278円
     目薬          238円
     乳酸菌        1440円
     サロンパス       698円
     グリーンティー     320円
     居酒屋        4140円

 合計            10648円
 6月累計          25035円

 昨日の秋葉原の兄ちゃんは何やらオタク文化の人だったりもするらしい。外出前に見てたテレビワイドショーでやっていたのだが。。。
 「ああ、やはり恐ろしい。。。オタク文化は恐ろしい。。。」等と多分、丁寧にテレビ等を見てたら今日も語られていたのだろうか(笑)

 ちなみに
 『最後に確認しよう。我々は明日のジョーである』という言葉を残して、赤軍・よど号グループは北朝鮮に旅だって行ったのだが、あれもやはりアニメオタク文化が故の犯罪なのかな?多分、今なら間違いなしに
 「犯行グループは『明日のジョー』等と云っています。皆さんは『明日のジョー』を御存知でしょうか?漫画の事です。若者に人気の漫画の事です。やはり私たちはもう一度漫画文化を考え直さなければいけない時代に入っているのではないでしょうか?漫画の主人公に対して感情移入して犯行をするような若者達を今日の私たちは作り出してきたのです」
 とかなんとか。
 
 いや~、よど号グループと同じ世代の人達も最早定年時代。会社に残っていたら役員クラス。マスコミのトップ連中でんな。あるいは、学者の御偉い先生でんな。

 ん?これは「私たちの世代には『最後に確認しよう。我々は明日のジョーである』という今日で云うアニメオタク達が犯罪をした。それが故に今日のアニメオタクを注意対象にしないといけない」なのかな?

 しっかし、変わらず、卒業文集を持ち出して「剣を持ったイラストを容疑者は書いています」とか、ワケの解らん事をテレビという公共電波の大マスコミを使って垂れ流しとるのぉ。。。

デカイ花火と大地の味

2008年06月08日 | 坊主の家計簿
 6月8日

 外食  かき揚げ蕎麦     326円
 食類  唐揚げ弁当      525円
     発泡酒        198円
     湯葉         200円
 雑費  トイレットペーパー  378円
     エスカップ12    628円
     歯磨き粉       248円
     レンタル       200円

 合計            2703円
 6月累計         14387円

 レンタルは『地下鉄に乗って』
 いや、関西だけかも知らんが、今日テレビでやってましてでんな。途中にちょっとだけみて、「これは。。。」という事で思わずレンタル屋に走る。で、深夜に観てたわけなんだが。。。素晴らしい。。。岡本綾も素晴らしかったけど、映画自体も素晴らしかったぞ。

 秋葉原でデカイ花火を上げた兄ちゃんが居てたらしい。別にデカイ花火なんぞ上げんでもエエやんけ、カスが。
 地味に生きろ、地味に。地味に生きてる事をバカにするヤツなんぞカスやねんし、カスに従ってどないしまんねん。

 あ、『地下鉄に乗って』は素晴らしかった。まあ、父の日協賛映画なんだろうが、それだけではない。岡本綾が自分がお腹の中に居た頃に、どれだけ自分が大切にされていたかを感じる事が出来た映画。まあ、ちょっと問題のある結末ではあるが。
 父の日協賛映画で、憎んだ親父の過去を知る事によって親父を許す事が出来た映画でもある。その事によって、これも問題なんだが、トラウマ的な事を克服出来た事を描いた映画でもある。
 ちなみに『トラウマ』は幻想である。そんなもんは全くない。全くないのだが、『流行』とやらと同じく左右される人が居てるだけの話である。

 秋葉原でデカイ花火を上げたカスは、何を振り回されとるねん。
 地味に生きているのをバカにするヤツはカスである。それに振り回されるのもカスである。ないのだ、そんなもんは。
 地味に生きて、地味に死んで行く程のデカイ花火はないやろ。全ての人と同じ花火程、デカイ花火はないやろ。
 自分だけ目立ちたい、他人と差をつけたい、という様な花火はカスじゃ。
 
 誰からも注目される事がなくても、地味に生きて、地味に死んで行く。デカイで。むっちゃ、デカイで。それは目立つ花火ではないが、目立つ花火と全く同じの価値の花火でっせ。デッカイ、デッカイ、花火でっせ。

 別に地味に生きたらエエやんけ。死刑判決間違いなしの、世間で目立つ通り魔殺人なんぞのデカイ花火を上げんでもエエやんけ。安モンのチンピラみたいな服装してやな。カスが。。。

 殺された方々。それぞれの人生。たった一度の人生。
 今現在では7人の方が亡くなられたらしい。
 これに死刑判決が下されるであろう犯人の死が加われば8人。
 デカイ花火の犠牲者。

 地味に生きよう。地道に、人が作り出した幻想の価値観に支配される事なく。

 映画『地下鉄に乗って』では岡本綾が自分がお腹に居た時の両親に会う。
 「こんなに愛されていたなんて。。。」みたいなセリフ。
 実際にはそうでない人達も居る。
 けど、存在しとるやんけ。事実、生きとるやんけ。
 その事実を認めない、認められない『思い』。幻想、エゴ、妄想。
 夢。
 夢を見ている。誰からも愛されて、誰からも祝福されて。等々。
 『思い』で苦しむ。
 そんな『思い』に先立って、生きている。生きているから『思う事が出来る』。順番が逆。優先順位が逆。
 『思い』=『煩悩』
 煩悩に振り回されるのはしゃーない。けど、振り回されているという自覚がある、つまり、煩悩は煩悩であると云う事と、煩悩を絶対化して煩悩の軍門に従う事はちゃうやろ。
 まして、人が作り出した幻想に振り回される必要はない。
 
 先生「みんなは大きくなったら何になりたいですか?」
 生徒「はい。私は地味に生きたいです。」
 先生「まあ、なんて夢のない子どもかしら。。。」
 生徒「まあ、なんて煩悩に振り回された先生かしら。。。」

 「なんで私だけが。。。」
 「私ってこんなに頑張って居るのに。。。」
 比較の中に自分の評価を売り渡す。
 世間に自分が埋もれる。
 そういう『気』がしているだけ。

かき混ぜる

2008年06月07日 | 坊主の家計簿
 6月7日

 外食  ちゃんぽん      400円
 食類  焼鳥3        300円
     うどんと天ぷら2   118円
 雑費  参加費       1000円

 合計            1818円
 6月累計         11884円

 遊びに行く寺でのコンサート。
 の前に、仕事が終わってテレビを付けたら阪神が。。。エエ勝負やのぉ。。。
 と、遅れての参加。
 
 寺の境内と本堂を使ったイベント。本堂内ではコンサート。
 私は音楽にはうるさい。え~、正直かなり排他的である。ホンマは『それぞれの歌』として認識出来ればエエのだが、そんな状態等、ほぼない。よってかなり贅沢な聴き方しかしていないのだが、思わぬみっけもの。
 知人と一緒にやってはった人なのだが、佐藤弘枝という人。素晴らしい。。。UAが沖縄民謡を歌っているみたいだった。声が圧巻。声の出し方とかにもうるさいのだが、声と声の感じが圧巻。
 ついでに『カチャーシー』の意味も教えて貰う。あれは「誰も不幸にならないように」という意味での『かき混ぜる』らしい。幸せが隅々まで行き渡るように、という意味での『かき混ぜる』らしい。

 あと、住職さんが紹介して、朗読してはった新井満という人の意訳『イマジン』が素晴らしかった。思わず涙が出そうになり、っちゅうか、少し泣いてもうたし、朗読後には自然に念仏を申さずにはおられないような朗読。
 検索したら、ネットに落ちてたのでついでに紹介。
 http://kawagoe9jyounokai.spaces.live.com/blog/cns!F98E79E52A9C90DD!557.entry
 ちなみに、ネットには新井満さん御本人の朗読もあったけど、これはイマイチだった。遊びに行ってた住職さんの思いの籠った朗読が素晴らしかったのかな?まあ、真宗坊主だし、きっと念仏の意味を込めて本堂で朗読しはったのだろうし。だから朗読後に自然に念仏が出て来たのだろうし。

 遊びに行く寺なのだが、実は無茶苦茶勉強させて貰っている。やっぱりああいう寺って珍しいし。
 今日は遅れて行ったので参加出来なかったが、自分の寺の公式の行事で、あるいは法要などで、意訳した正信偈の朗読を一緒にする寺は全国的にもかなり珍しいと思う。慣れっこになったから不思議に思わないが。やっぱし、凄いよな。

先住民

2008年06月06日 | 坊主の家計簿
 6月6日

 外食  レバニラ定食     750円
 食類  じゃこ        164円
     いわしちくわ      88円
     ごーや        128円
     発泡酒        198円

 合計            1328円
 6月累計         10066円

 レバニラって美味いのぉ。。。レバーが苦手だったので殆ど食べなかったのだが、鶏のレバ刺から段々とレバーに慣れて来たのかレバニラ炒め。しばらくハマろ。

 しかし、「ビールぐらい飲ましたれや!」と『居酒屋タクシー』のニュース(http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080606dde001010011000c.html)を発泡酒を飲みながら思う。金券とか現金でのキャッシュバックは問題外だが、深夜まで働いて、長距離で帰るねんからビールにつまみぐらい別にエエやろ。その分、タクシー代を値切ったりせえへんねんし、タクシーの運転手にもメリットありまんがな。けど、まあ、税金やし、タクシー料金も含めた各省庁の財政カットを期待する。けど、ビールぐらい飲ませたれ。深夜まで働いとるねんし。

 しかし、スピード社の水着が凄いらしい。今日も5人が日本新記録を出したらしい。
 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2008060601000560/1.htm
 けど、ふと思う。これって水着のせいだけなん?
 なんとなく『スピード社信仰』っちゅうのですか?そんなもんがありそうな気がする。
 確かに水着も凄いのだろう。新記録が続出しているらしいし。そういう情報を知っている人達がスピード社の水着を着る事によって「よっしゃ、おれも」みたいな感じにはならないだろうか。トップ選手達の記録ってメンタル面でも左右されるやろうし。野球でも流れに乗ったらヒット連発でんがな(今岡を除く)。よって、スピード社の水着を着る事によって、最強のアイテムを受けとった今岡の様に、あ、今岡は除く阪神の選手の様に、あ、フォードも除く阪神の選手の様に「いてまえ!」でっせ。やっぱり甲子園での勝率の方が高いやろうし。ファンの声援で「打たせてもらった」とはよく聞くが、そういうメンタル面ってデカイでんがな。それがスピード社の水着にも言えるような気がする。

 アイヌ民族の人達がようやく国会で『先住民族』として認められたようだ。
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080606k0000e010033000c.html
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080606dde041010026000c.html
 「遅いわい!」と突っ込みたくもなるのだが、それでも素晴らしい。これを機に北海道侵略の手先になった大谷派教団でもより一層の研修会等の開催が待たれる。

 ついでに、大峰山の人達を先住民として認める決議とはないのか。
 大谷派は大峰山の人達に対する弾圧に協力しているのではないのか?とも思える節があるが。あくまでも『性差別』という一点だけでみれば確かに性差別ではあるのだが、同時にその事の元にある『穢れ意識』も問題なのだが、じゃあ、性差別をしている人達は『穢れ』なのか?穢れだから、性差別を祓い清めるだけでイイのか?
 しかも、異教徒である。異教徒がおかしいのは当り前である。『おかしく見える』のは当り前である。教団内での性差別は問題外だが、異教徒、異文化の人達に対して、自分達の見方でもって判断を下し、差別し、見下し、弾圧に協力するのが仏教なのか?それを仏教と呼んでいいのか?
 大峰山に関しては、大峰山の麓の人達、つまり大昔より、先祖伝来の昔より、大峰山を大切にして来られた人達、あえて『先住民』と表現するが、その人達に自由意志でもって判断を下すべきではないのか?「女人禁制は辞めましょう」とは、侵略者が云ってはいけない言葉ではないのか?それは、その地に大昔より生きてこられ、その文化を守って居られる人達に対して余りにも無礼ではないのか?
 琉球の人達、アイヌの人達に対しては『出来た』、まだ不十分ではあるが、『出会おうとしている』にも関わらず、他者、異文化を異文化として尊重しつつ、『出会おうとしている』事が、何故、大峰山の人達には出来ないのか。
 琉球や、アイヌ民族の中に、その文化の中に性差別はないのか?文化とは、それ等も含めての文化だろうが。その文化の中で『受け入れられるもの』『受け入れられないもの』と判断を下すのはどうなのだろうか?

 金城実が大谷派になった。あの金城実である。っちゅうか、殆どの人は知らんか。まあ、酒飲みのオッさんである。彫刻家であり、学校の先生でもあった時代もあり、ちなみに絵も凄い。
 その金城実曰く、沖縄には沖縄の宗教があるが、真宗仏教の教えに出会って「こりゃ凄い」と。だから、大谷派になったらしい。
 また、あるハワイに居てる坊さんはハワイの文化を尊重している。
 その上で、歎異抄の第七条
【念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々】
 を読まれている。
 まあ、金城実がその証明か。
 沖縄のバリバリ民族派の金城実が大谷派になった。

 信仰って、まあ、スピード社の水着でもそうなんだろうが、力が出る。
 仏教だって日本に入って来た当初は『異国の神々』みたいな感じだったのだろうし、当時の日本は閉鎖的ではなかったのだろうし、「おう、仏教っていう新しい神さんって凄いらしいぞ。新記録がバリバリ出るみたいやぞ」みたいな感じだったのだろう。
 それはあくまでもそれぞれが選んだ事であって、決して強制的ではない。強制的に「スピード社の水着しか着れません」ではない。そこに『選ぶ』という事がある。

 当然、『伝統』だって選んだわけではない。選んだわけではないのだが、ヨソから新しく強制されると、そら面白くはないな。伝統の強制でもって日本の伝統仏教が風景になってしまった以上に『力」が出ない。出るわけがない。
 明治維新だって、まあ、色々と背後関係もあるのだろうが、基本は日本人が選択したもの。ちょんまげ切ったのも。決して黒船がやって来て、「オウ!チョンマゲトハナンタルヘンナカミガタデショウ。」と強制されたらチョンマゲではなく、毛唐を斬るわな。
 あるいは「エチゼンヤヒョウタ、トハ、ナンタルナマエデスカ。キョウカラ、アナタハ、チャーリーデス」なら、越前屋俵太さんはたまったものではない。当然、越前屋俵太さんが「今日から俺の事をチャーリーと呼んでくれ」なら別に構わないが、まあ、私は「この毛唐かぶれが!」と関係性によって言うかも知らんが。

 しかしレバニラ炒めは美味かった。これだって決して学校給食で「レバーは体にイイから食べなさい!」と強制されたわけではないから美味いのであって、強制されたら腹立つやろ。
 
 日本で最初の仏教僧は女性だったらしい。これは巫女が女性だったからという説がある。まあ、解りやすい。
 今は関係ない。はずなのだが、日本の伝統が変わってしまったので女性僧侶は珍しい。よって、学習会等に出ても女性が少ない。思春期は終わったが変わらずスケベ中年には悲しい話である。やはり対等の女性僧侶と血塗れの相互批判をし続けて行きたいものだが、おかしな日本文化でもって女性僧侶が少ない。。。
 「女は男に対して一歩下がるべきである」
 という強制的な文化が面白くないのと同じく、強制されたら腹が立つ。
 押し付けられた文化に従う義務など全くない。
 押し付けられた文化で『力』が出るわけがない。出るのなら『押しつけを拒否する力』なのだろうが。
 その押しつけを拒否する力が民族運動の根本だと思うのだが。但し、民族内の問題は別にして。
 アイヌ民族はアイヌ民族でしかなく、決して日本文化と比較して語られるべき問題ではない。
 女は女として決して男と比較して語られるべき問題ではない。

 『あなたはあなたであればイイ。あなたはあなたになればイイ』
 やったけな?そんな言葉があるが、それは当然の事、アイヌ民族にも通じるし、女にも通じる。だから、アイヌ民族としての『力』が出るのだろうし、女としての『力』が出る。自己を引き受けるが故の『力』が出る。
 日本文化が中心ならアイヌ文化は変である。当り前である。比べるべき事が出来ない事を比べているのだし。
 男性中心社会の中での女性も同じ。
 そんな所で、「私はシャモ(日本人)に比べると。。。」とか、「私は男性に比べると。。。」等は全くおかしな話である。比べるべき必要性が全くない。押し付ける側は横暴極まりない。人間を冒涜するにも程がある。

 しゃて、アイヌ民族を先住民として国会が認めた。
 日本には天皇制がある。天皇制という文化がある。また、『宗教』とは自覚出来ない程の習俗になってしまった様々な宗教儀礼がある。伝統仏教ですら最早風景であり、習俗であり、しきたりである事の場合がある。
 それ等を守って来られた『先住民』の方々が居られる。当然『先住民』とはあえて使う。私よりも先に生きて来られた方々であるから。
 その人達に対して、『先住民』に対して、当然の事、私は私の文化を押し付ける事は出来ない。それは横暴極まりないから。
 だからといって、「先住民の人達の文化を守るべきだ!」には、私の生活範囲ではならない。
 「日本には日本独自の文化があるのだ。だからそれを守らないといけない」にはならない。日本文化だって変わって来ている。それは歴史が証明している。日本史が証明している。

 深夜まで働いて、帰宅途中の官僚さんが、固定客を欲しいタクシーの運転手さんからビールとつまみを貰った。
 だけである。キックバックを要求した官僚は問題だが、悪いが、たかがビールである。ビールとつまみである。ビールとつまみ程度である。厳密にいうのなら、これもおかしいのだろうが、なんかマスコミの叩き方を見ていると「おかしな事は絶対に許さない!」と云う様なイメージを持つ。持ってしまう。
 露骨にビールを請求した官僚もいてるらしいがこれは問題として、サービスの一貫として個別の人間関係として「いつも利用して貰ってありがとうね。今日も仕事が遅かったみたいですね。まあ、ビールでも飲んで下さいよ」みたいなものは別にエエと思うのだが。
 それすらも不正であり、それすらも許されない様な『きれいな社会』は何を求めているのだろうか?
 『公僕』というが、確かに公務員である。クソ高い税金で働いて居られる方々である。だから税金の使い道に関しては注意して貰わないといけないのだが、ビールくらいエエやんけ。そこに、なんちゅうんですか?その『公』ではかる事が出来ない人間関係の面白さがあると思うのだが。
 官僚という人と、運転手という人の人間関係が。きれい事では許されないかも知れない人間関係が。

 アイヌ民族の問題は国会で決議される前から問題であってのであって、国会で決議されたから、つまり『きれい事』になったから初めて問題になったわけではない。確かに改めて問題視出来るようになったのだと思うが、問題は以前からある。
 整備されたが故に初めて『人権問題』として捉えられるようになったのではない。元から問題だったのだ。
 まあ、流れ的にあり得ないと思うが、アイヌ民族を侵略した側、つまり大谷派教団であったり、アイヌ民族の土地を収奪した人達から土地を奪い返すような『きれい事』は出来ないと思うが、そういう『きれい事』が大峰山ではある。

 『きれい事』という人の判断ではない。人のコロコロ変わる判断ではない。そんな判断の前からアイヌ民族も女性も大峰山の人達も生きて居られる。それを問う声である。
 様々な人生でもって生きて来られて居られる方々が居られる。
 当然、私も生きている。
 だから、ややこしい。

ある大阪府民の威信

2008年06月05日 | 坊主の家計簿
 6月5日

 外食  ポパイ蕎麦       315円
 食類  豆腐          100円
     寄せ豆腐(数日前)   150円

 合計              565円
 6月累計           8738円

 途中からしか見ていないのだが、『秘密のケンミンSHOW』で香川県をやってた。「しもた。。。」と思ったのだが、まあ、しゃーない。『きも玉焼き』も紹介されてて、私がこよなく愛する『松下製麺所』も紹介されていた。

 しゃて、「オッさん」と他人から云われるとキレる我が街・大阪府は橋下破産管理人知事の下、改革案が提出されたらしい。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080605/lcl0806051657005-n1.htm
 しかし、これって完璧にローカルニュースやと思うのだが、報道ステーションでもやってたのはなんでや?やっぱし『秘密のケンミンSHOW』の影響か(笑)まあ、橋下知事がテレビで人気の弁護士やったからやっぱり注目を集めるのだろう。
 改革案をチラホラ見る。もうちょっと妥協しても良かった気がするのだが。。。
 ただ、やっぱり警察には手が出せんかったか。。。出したら面白かったのになぁ。。。520人やったと思うが、大阪府警の人員を削減したら多分、大阪府警は橋下知事の親族等の反則キップを切りまくりよんぞ(笑)交通違反なんぞは何時でも捕まえようと思えば捕まえられる犯罪やねんし。

 でも、『大阪維新』ってなんや?
 この『維新』という言葉が無茶苦茶ひっかかるのだが。
 私が橋下知事に期待するのは財政カットだけ。先日も住民税の通知が来て鼻血出そうになったのだが、『府民サービス』という大義名分でもって、どれだけ道楽な事しとるねん。
 で、赤字である。借金が5兆らしい。
 住民の数や、景気が復活する事は『夢』である。夢を最初から想定しての赤字は無茶苦茶である。そんなもん破滅しか待ってない。だから、徹底したコストカットは期待する。元々弁護士なんだから破産管財人の仕事は出来るだろうし。

 この際、どうだろうか?財政カットに協力した人は大阪府立靖国神社に奉られるというのは(笑)
 反対した人はダメ。「この非国民めが!」とでんな(笑)

 多分、『大阪維新』という言葉でもって戦意を鼓舞したいのだろうし、大阪のマスコミもそれを煽っている。
 私も財政カットには賛成だが、『大阪維新』という言葉には反対である。

 以前にドーンセンターについて書いたが、もう、無茶苦茶バブルな建物である。
 仮に『大阪維新』の夢を抱いた青年があの建物を見たら「天誅!」である。天誅!の対象でしかない。
 最早、一部マスコミからは『抵抗勢力』と呼ばれている市長さん達も。
 市長さんには、自分達の市を守らないといけない仕事がある。その立場からの発言である。だから「初年度からのカットは無理であるが、次年度からは協力させて頂きましょう」等と語って居る。これのどこが抵抗勢力なのだろうか?
 また、労働組合。労働組合の人達にとっても、組合員の生活がある。確かに、貧乏府である大阪の中で『公務員』とはエエ仕事である。結構な給料も貰ってはる。だが、それなりの生活をしてはる中での賃金カットはやはりイヤだろう。確か、前知事時代にもカットされていたはずだし。それが故に「反対」の声を上げるのは当然である。その人達を捉えて『抵抗勢力』等と呼ぶのは如何なものだろうか?
 抵抗勢力ではなく、『泣いて貰わないといけない人達』ではないのか?
 借金を返す為に、赤字をこれ以上増やさない為に『泣いて貰わないといけない人達』ではないのか?その人達が何故『抵抗勢力』なのだろうか?
 
 『維新』という言葉でもって、夢をみさせ、煽り立てる。
 「日本の夜明けは近いぜよ!」
 っちゅうやつなんだろう。
 それに反対する人は天誅を喰らう。国賊でも、権力の犬でも、保守派でも何でもエエからレッテルを貼る。
 敵を作れば便利なのだ。実際には敵でなくとも、少し意見が違うだけでも敵にすれば便利なのだ。運動が盛り上がるから。運動が盛り上がって、その運動に参加する人が多くなる。
 それは単に『敵』と『味方』だけでなく、『正義』と『悪』、『革新』と『保守』でもなんでもエエのだが、そういう解りやすい構図が出来上がる。
 人にレッテルを貼り、人を分別する。色眼鏡で見る。判断する。
 実際にそういう風に『思って』しまう。
 その『思い』を疑わない。疑う事が出来ない。
 そういう時代社会の環境によって作られた『思い』でもって他者を判断し、自分を縛る。

 『維新』って云われるとカッコイイじゃん。
 『世の為、人の為』って云われるとカッコイイじゃん。
 で、『カッコイイ』と『カッコ悪い』で判断する。
 「カッコ悪いのが何でアカンねん。」
 と、別に頑になる必要もない。それも反動だし。反動で「美しい日本」というてるのと同じ。反動で云わなくとも、日本は日本である。別に美しくなくとも日本は日本である。
 だが、やはり何か左右される。左に行ったり、右に行ったりする。してしまう。してしまうし、どっちかに付こうとしてしまう。その時の流行であったり、その時の人間関係であったり。
 所詮、そんなもの。時代や、周囲の人間環境でもって意見の相違が出る。
 意見の相違が出るから批判も出来る。
 ただ、批判は批判であり、あくまでも『同じ立場』でしかない。どちらが正しいか、悪か、なんぞ誰にも解りはしない。そんな権限など誰にもありゃしない。
 誰にもないから何か違う権威を持って来て利用する。
 明治維新なら『天皇』だったしするのだろうし、世の中にある様々な『主義』だったり、『宗教』だったり。そこから斬り裁く。
 だったら、所詮、何かしらの人が作り出した幻想でもって人を斬り裁いているだけの話。
 『抵抗勢力』も同じ人だし、『保守』も同じ人だし、『敵』も同じ人。
 何かしらの主義や、思想や、宗教や、立場でもって判断しているだけの話。絶対的なものであるわけがない。

 だから、綺麗事で、人を酔わす言葉は大キライ。

実は・・・

2008年06月04日 | 坊主の家計簿
 6月4日

 雑費  レンタル         105円
 外食  肉じゃが蕎麦       326円
 食類  キャベツ          60円
     ピーマン          48円
     焼そば麺2         40円
     豚バラ          336円

 合計               915円
 6月累計            8173円

 今日は御仕事でバタバタと。
 仕事が終わってお疲れモードだったのでビデオ、ビデオとレンタル屋に。
 本日はなんとなく『スパイ・ゾルゲ』
 借りてみてビックリ。3時間もあった。
 まあ、3時間飽きる事なく観れたのだが、最後の数分がダメだな。エンディングロールを除くと、最後の1分ぐらいで映画が一気に安くなった。それまでは歴史映画として楽しめたのだが、最後の最後に一気に下らん映画になった。まあ、それまでが面白かったから別にエエのだが。

 映画を見終わって、お疲れモードなので、実はテレビを見ながら書いてます。
 『今ちゃんの「実は・・・」』は、やっぱりオモロイのぉ。。。

苦悩する夢

2008年06月03日 | 坊主の家計簿
 先に5月〆

 一般会計        132160円
 携帯電話          3786円
 ネット代          3360円
 通販           29980円
 アマゾン          3225円
 医療保険          4740円
 家賃           32430円
 電気代(4月分)      2035円
 国民健康保険       26400円
 ガス代(5月分)      3630円
 
 合計          241746円
 これに一括払いの年金の月割り14109円をプラスすると
 合計          255855円

 
 6月3日
 
 外食  ラーメン        409円
 食類  つけ麺         158円
     鮭           117円
 雑費  タバコ10      3000円
     散髪         2000円

 合計             5684円
 6月累計           7258円

 先月、月締めをやってなくて、今日まとめてやったわけだが。。。ああ。。。預金通帳見て鼻血出そうになったやんけ。。。
 
 少し前なのだが、『ウエット・ティッシュ』とかいうやつを買った。まあ、自転車のハンドルがどうしても手垢が付いてしまうので、以前なら濡れたタオルなんぞで拭いていたわけだが、ウエット・ティッシュって殺菌効果ありますやん。だから便利っちゅうたら便利なのだが。。。
 部屋掃除用の『コロコロ』も買った。これも部屋掃除をする時に便利っちゅうたら便利なのだが、掃除機あるしなぁ。。。
 両方とも価格でいうと大した金額ではないのだが、生活が贅沢になった証明やな。気が緩んどる証明の象徴的なもの。

 贅沢は傲慢なのだ。贅沢は間違いなく破滅への道でしかない。当たり前である。一度手にした生活環境を落とす事はなかなか難しい。んなもんは、大は地球温暖化から、小は個々の生活まで。なかなか辞めれない。拡大した欲望を少なくして行く事は、難しい。
 とは云え、『やらざるを得ない』状況下に追い込まれたら『やらざるを得ない』のだろうが、拡大した欲望が『当たり前』になってしまうと「なんでやねん。。。」になる。そら自殺者も増えまっせ。

 サラ金業界の言葉で「往生せえや」というのがあるらしい。
 まあ、サラ金会社の社長から「おう、○○をそろそろ往生させたれや」と命令された部下が客の所に行き「そろそろ往生せえや」とかいうらしい。
 これは「何時までも夢見とらんと、さっさと現実に立ち返れ」という意味らしい。

 先日、某バーでマスターと話してたのだが、ギャンブルなどもそうなのかな?
 ある人の噂話で「あいつはギャンブルに手を出している」と。まあ、ギャンブルで借金を返そうとしているらしいのだが、そんな事は無理であり、事実、「この前は数万円負けた」とからしい。
 なんのこっちゃ?の話なのだが、追い込まれると夢に逃避したくなる事も解るのだが、まあ、現実は夢と違うので結局現実から追い込まれる事にしかならないのだが。
 追い込まれると周囲のせいにしたくなる。まあ、周囲の環境もあるのかも知れないが、その周囲の環境を作り出して来たのは他の誰でもなく本人の自己責任でしかなく、それでも『周囲が悪い』等という発想を持つから周囲の環境がより一層悪くなる。
 飲み屋なんぞ典型で、っちゅうか、飲み屋業界が長かったからだけの話で、まあ、他の業界でも同じなんだろうが、やれ不景気だの、やれあの客のせいだの、やれあいつが悪いだのと。本人が悪いだけの話なのだが。それを認める事が出来ない弱さを問題にせずに常に周囲のせいにする。
 周囲は『他者』であるから、他者が自分の思い通りになるわけがない。周囲のせいにする事によって満足するのもエエのだが、そんなものは金持ちの道楽でしかない。単なる贅沢でしかない。傲慢な自分を、勘違いしている自分を顧みる事なく、常に周囲のせいに欲望、煩悩がする。
 「私は決して悪くない。悪いのはあいつ等だ!」
 「私は決して悪くない。悪いのは社会のせいだ!」
 って、どれだけ叫んでも無駄である。成り立つのはカルトの中の話だけである。
 
 贅沢は必ず破滅する。欲望である限り。
 破滅しない欲望などあり得るわけがない。
 傲慢限りない道であるが故に、足る事を知らない。

 今朝、非常に象徴的な夢を観た。
 周囲の人達が私を褒め讃える夢。
 今朝、夢から眼が覚めてイヤになった。非常に解りやすい夢だから。私の欲望を満足させるのが『夢』であるのなら、それと同じ夢であったから。
 夢と現実は違う。『夢』からの視点でもって現実を粗末にする程馬鹿げた事はない。正気ではないから。
 『夢』と現実を混同しないのが『目覚めた』状態だから。
 しかし、今朝起きて、夢から眼が覚めても、変わらず『夢』は観ている。馬鹿げた『夢』を観て、現実を粗末にして、欲望の道具にしている。欲望を満たす為の道具に我が身をしている。現実を『夢』の道具にしている。

 『苦』とは『思い通りにならない』という意味である。
 『夢』を現実の先に立てたままで『苦』からの解放などあり得ない。
 そういう我が身である。
 今朝の夢が象徴的な我が身である。
 そういう我が身の他に我が身などあり得ない。
 『夢』を先に立てて、『夢』からの視点で現実を縛り苦しめ、苦しんでいるのが間違いなく私である。

未開の民主主義

2008年06月02日 | 坊主の家計簿
 6月2日

 食類  カニ飯       200円
     小アジ南蛮漬け   200円
     桜えび       100円

 合計            500円
 6月累計         1574円

 あ~。。。今日も夕寝でよく寝たで。
 なのだが、サボリにサボりまくっている公文筆ペン練習のテキストを一気にやる。31日に飲みに行って、昨日はボケてたので溜まっとるわけでんな。

 そういや、気になるニュースを発見。
 http://www.technobahn.com/news/2008/200806021144.html
 何やら、未開の部族を発見したらしい。電波情報によると早速商社マンが現地入りするらしい。。。って、まあ、そんな事やんな。武器商人とか、商社マンとかが行って、「何か交易出来るものはないか?」と探し出して来て、まあ、やはり武器とか、酒とか、そんなものが最初なのかな?それとも昔ながらの宣教師が行くのかな?宣教師云うても最近は『解放の神学』とかやろうから、昔とは違うねんやろうけど。

 『未開』って、しかし、変わらず破壊力のある言葉だ。『未開」でっせ。『未開』。
 ああ、右翼の血が。。。尊王攘夷の血が。。。って、別に天皇制は反対やから『尊皇』はエエねんけど、別に『攘夷』もエエねんけど、ヨソの文化をつかまえて『未開』とは、変わらず横暴な発想やのぉ。。。『開けてない』のはどっちやねん。
 『どっち』っちゅう事もないか。両方か。両方共に『未開』。よって、こちら側からすると『未開』である今回『発見』された部族の人達と対等な出会いが出来るのだろうか?それとも、変わらずに相手側だけを『未開』とするのだろうか?
 「国を開け!さもなければ欧米列強に対向出来ないではないか!ロシアの脅威から逃れられないではないか!」と無理矢理開国されるのかな?変わらず。
 未開人は、自分達の伝統文化をかなぐり捨てて、チョンマゲを剃り落とし、伝統的な武器を捨てて鉄砲に切り替えて、「ヒャッホー!」とコカコーラを飲みながらアメ車を運転したりするのだろうか?その反動で、「美しい日本」等と言い出して、急に先祖帰りを模索したりするのだろうか?
 う~ん。。。難しいのぉ。。。

 何やら『ボランティア・ツアー』と云うのが流行っているらしい。
 これはエエ企画やな。
 
 旅行者にとっても向こうでボランティアを通じて現地の人との交流が出来る。素人が行って出来る仕事なんぞ大した意味がないと思うが、旅行者にとっては貴重な体験であり、かなりイイ旅である。
 
 受け入れる向こう側にしても、金が落ちる。参加した人はその運動に対して旅行から帰った後も関心を持ち続ける事であろうし、そのメリットはデカイ。日本円はまだまだ強いし。世の中には偽善がキライな人も多くおられるみたいだから、「だったら旅行に行かずに現地に金を送って現地スタッフの雇用に廻せばエエではないか」という意見もあると思われるが、んなもんで人間が動くわけがないやろ。金を払うわけがないやろ。何かしらの思い入れがあればこそ、払うつもりのない金だって払おうとする事が出来るわけであって、それが例えば某歌手の宣伝に使われたって構わないのだ。まあ、丸っきり正義の味方面して、自分の正義を疑わない、つまり『偽善』である事にすら気づこうと出来ない人がいるから、まあ、それはそれなりに批判すればエエのだろうが、そこで金が落ちているという事は事実だし。
 
 旅行会社にとっても新たな旅行プランを提案する事によって仕事が出来る。つまり金になる。
 すばらしい。。。
 この勢いで『未開の部族に英語を教えるボランティア・ツアー』とか、『北朝鮮に拉致されている人達を救出しに行くボランティア・ツアー』とか、『チベットを中国から解放する為に中国人民軍と闘うボランティア・ツアー』とかを企画すればエエと思うぞ。。。
 
 ん?さっき、晩飯後に気合を入れる為に食べたチョコレートが効いとるのぉ。。。

 『未開人』が『文明人』に対して、「現代文明に生きている人達の『未開人』意識の偏見を告発するボランティア・ツアー」っちゅうのもエエな。まあ、ニューエイジみたいな発想やけど。
 別に『未開人』に対しての憧れは持ってないし、未開人に現代文明の閉塞感を打破する発想があるとは思えない。
 けど、『未開』っちゅう言葉は、やっぱりおかしい。

 日本には日本の文化がある。当たり前である。その日本文化を保守する事が正しいとは1ミリたりとも思わんが、「欧米では。」等という言葉を聞くと私は無条件に右翼になる。「チェー!!!」と叫びながら薩摩自顕流でブッたぎりたくなる。ボケか。日本は日本じゃ。日本の国をどう変えて行くのかは、日本で考えたらエエだけの話じゃ。天皇しかり、在日外国人の問題しかり、靖国神社の問題しかり。日本の国内問題として、どういう国で生きて行きたいのか?を考えればエエだけの話じゃ。何時までも『文明国』に対する憧れなんぞ要らんやろ。

 我が国、日本では『アイヌ民族の権利確立を考える議員の会』とやらが、アイヌ民族を先住民族として認める国会決議を出すらしい。
 (http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/mainichi-2008053100m129/1.htm
 ニュースソースによると『拘束、収奪された』等の言葉は自民党の反対で削除されたらしいが、それでも大したもんだ。限界はあるにしても大したもんだ。
 ちなみに我が真宗大谷派教団もアイヌの地を収奪した先鋒である。故にアイヌの古老から「大谷派は人殺しや」と云われたらしい。ついでに、やった人達はアイヌの人達ではないが、『闇の土蜘蛛』というテロ集団から爆破攻撃を受けている。ただ、非常に頑丈だったのと、爆薬の量が少なかったのか被害は対してなかったらしいが。

 北海道。アイヌモシリを未開の地であると開拓した。
 そこは決して未開の地でもなんでもなく、アイヌの人達の生活の場であった。

 ネットで『未開』を辞書検索すると
 【花がまだ開いていないこと。】
 という言葉も出て来た。

 文明国の多くは民主主義国家である。日本も天皇制があるが故に問題&限界もあるが、一応、民主主義国家の端くれである。厳密には違うのだろうが。。。
 その日本では変わらず、今まで接触がなかった人達を『未開』という言葉でもって報道する。
 
 民主主義の花は、まだ開いていない。
 違う文化を持たれる人達に対して、あくまでも『遅れた人』という様なニュアンスの言葉『未開』でもって平気で差別表記する。
 それのどこが文明国なのか?民主主義国家なのか?
 変わらず、正義の押し売りをし続けるつもりなのか?

 『未開の部族』ではない。単なる人間だ。同じ人間でしかない。

 正義の押しつけ程、うっとうしいものはない。
 正義感程、うっとうしいものはない。
 人間を舐め、差別し、そこに居ている人を無視する。馬鹿にする。人生を冒涜する。
 単なる自我の延長の自己満足を正義感という言葉で包み隠す。
 それを打破するのは『他者』である。他者を同じ人間として見なそうとするかどうかだけである。
 『未開』として、『解放されなければならない人達』という横暴な発想とは全く正反対である。
 自信喪失のコンプレックスの裏返しで、正義感を売り歩くのが好きな人もいるのだろうが、大きな御世話で、単なるうっとうしい話である。

よく寝る

2008年06月01日 | 坊主の家計簿
 6月1日

 食類  レタス          98円
     タマゴ         198円
     ちゃんぽん2      198円
     牛肉          304円
     キムチ         278円

 合計             1074円
 6月累計           1074円

 ふぁ~。。。
 寝よ。