6月8日
外食 かき揚げ蕎麦 326円
食類 唐揚げ弁当 525円
発泡酒 198円
湯葉 200円
雑費 トイレットペーパー 378円
エスカップ12 628円
歯磨き粉 248円
レンタル 200円
合計 2703円
6月累計 14387円
レンタルは『地下鉄に乗って』
いや、関西だけかも知らんが、今日テレビでやってましてでんな。途中にちょっとだけみて、「これは。。。」という事で思わずレンタル屋に走る。で、深夜に観てたわけなんだが。。。素晴らしい。。。岡本綾も素晴らしかったけど、映画自体も素晴らしかったぞ。
秋葉原でデカイ花火を上げた兄ちゃんが居てたらしい。別にデカイ花火なんぞ上げんでもエエやんけ、カスが。
地味に生きろ、地味に。地味に生きてる事をバカにするヤツなんぞカスやねんし、カスに従ってどないしまんねん。
あ、『地下鉄に乗って』は素晴らしかった。まあ、父の日協賛映画なんだろうが、それだけではない。岡本綾が自分がお腹の中に居た頃に、どれだけ自分が大切にされていたかを感じる事が出来た映画。まあ、ちょっと問題のある結末ではあるが。
父の日協賛映画で、憎んだ親父の過去を知る事によって親父を許す事が出来た映画でもある。その事によって、これも問題なんだが、トラウマ的な事を克服出来た事を描いた映画でもある。
ちなみに『トラウマ』は幻想である。そんなもんは全くない。全くないのだが、『流行』とやらと同じく左右される人が居てるだけの話である。
秋葉原でデカイ花火を上げたカスは、何を振り回されとるねん。
地味に生きているのをバカにするヤツはカスである。それに振り回されるのもカスである。ないのだ、そんなもんは。
地味に生きて、地味に死んで行く程のデカイ花火はないやろ。全ての人と同じ花火程、デカイ花火はないやろ。
自分だけ目立ちたい、他人と差をつけたい、という様な花火はカスじゃ。
誰からも注目される事がなくても、地味に生きて、地味に死んで行く。デカイで。むっちゃ、デカイで。それは目立つ花火ではないが、目立つ花火と全く同じの価値の花火でっせ。デッカイ、デッカイ、花火でっせ。
別に地味に生きたらエエやんけ。死刑判決間違いなしの、世間で目立つ通り魔殺人なんぞのデカイ花火を上げんでもエエやんけ。安モンのチンピラみたいな服装してやな。カスが。。。
殺された方々。それぞれの人生。たった一度の人生。
今現在では7人の方が亡くなられたらしい。
これに死刑判決が下されるであろう犯人の死が加われば8人。
デカイ花火の犠牲者。
地味に生きよう。地道に、人が作り出した幻想の価値観に支配される事なく。
映画『地下鉄に乗って』では岡本綾が自分がお腹に居た時の両親に会う。
「こんなに愛されていたなんて。。。」みたいなセリフ。
実際にはそうでない人達も居る。
けど、存在しとるやんけ。事実、生きとるやんけ。
その事実を認めない、認められない『思い』。幻想、エゴ、妄想。
夢。
夢を見ている。誰からも愛されて、誰からも祝福されて。等々。
『思い』で苦しむ。
そんな『思い』に先立って、生きている。生きているから『思う事が出来る』。順番が逆。優先順位が逆。
『思い』=『煩悩』
煩悩に振り回されるのはしゃーない。けど、振り回されているという自覚がある、つまり、煩悩は煩悩であると云う事と、煩悩を絶対化して煩悩の軍門に従う事はちゃうやろ。
まして、人が作り出した幻想に振り回される必要はない。
先生「みんなは大きくなったら何になりたいですか?」
生徒「はい。私は地味に生きたいです。」
先生「まあ、なんて夢のない子どもかしら。。。」
生徒「まあ、なんて煩悩に振り回された先生かしら。。。」
「なんで私だけが。。。」
「私ってこんなに頑張って居るのに。。。」
比較の中に自分の評価を売り渡す。
世間に自分が埋もれる。
そういう『気』がしているだけ。
外食 かき揚げ蕎麦 326円
食類 唐揚げ弁当 525円
発泡酒 198円
湯葉 200円
雑費 トイレットペーパー 378円
エスカップ12 628円
歯磨き粉 248円
レンタル 200円
合計 2703円
6月累計 14387円
レンタルは『地下鉄に乗って』
いや、関西だけかも知らんが、今日テレビでやってましてでんな。途中にちょっとだけみて、「これは。。。」という事で思わずレンタル屋に走る。で、深夜に観てたわけなんだが。。。素晴らしい。。。岡本綾も素晴らしかったけど、映画自体も素晴らしかったぞ。
秋葉原でデカイ花火を上げた兄ちゃんが居てたらしい。別にデカイ花火なんぞ上げんでもエエやんけ、カスが。
地味に生きろ、地味に。地味に生きてる事をバカにするヤツなんぞカスやねんし、カスに従ってどないしまんねん。
あ、『地下鉄に乗って』は素晴らしかった。まあ、父の日協賛映画なんだろうが、それだけではない。岡本綾が自分がお腹の中に居た頃に、どれだけ自分が大切にされていたかを感じる事が出来た映画。まあ、ちょっと問題のある結末ではあるが。
父の日協賛映画で、憎んだ親父の過去を知る事によって親父を許す事が出来た映画でもある。その事によって、これも問題なんだが、トラウマ的な事を克服出来た事を描いた映画でもある。
ちなみに『トラウマ』は幻想である。そんなもんは全くない。全くないのだが、『流行』とやらと同じく左右される人が居てるだけの話である。
秋葉原でデカイ花火を上げたカスは、何を振り回されとるねん。
地味に生きているのをバカにするヤツはカスである。それに振り回されるのもカスである。ないのだ、そんなもんは。
地味に生きて、地味に死んで行く程のデカイ花火はないやろ。全ての人と同じ花火程、デカイ花火はないやろ。
自分だけ目立ちたい、他人と差をつけたい、という様な花火はカスじゃ。
誰からも注目される事がなくても、地味に生きて、地味に死んで行く。デカイで。むっちゃ、デカイで。それは目立つ花火ではないが、目立つ花火と全く同じの価値の花火でっせ。デッカイ、デッカイ、花火でっせ。
別に地味に生きたらエエやんけ。死刑判決間違いなしの、世間で目立つ通り魔殺人なんぞのデカイ花火を上げんでもエエやんけ。安モンのチンピラみたいな服装してやな。カスが。。。
殺された方々。それぞれの人生。たった一度の人生。
今現在では7人の方が亡くなられたらしい。
これに死刑判決が下されるであろう犯人の死が加われば8人。
デカイ花火の犠牲者。
地味に生きよう。地道に、人が作り出した幻想の価値観に支配される事なく。
映画『地下鉄に乗って』では岡本綾が自分がお腹に居た時の両親に会う。
「こんなに愛されていたなんて。。。」みたいなセリフ。
実際にはそうでない人達も居る。
けど、存在しとるやんけ。事実、生きとるやんけ。
その事実を認めない、認められない『思い』。幻想、エゴ、妄想。
夢。
夢を見ている。誰からも愛されて、誰からも祝福されて。等々。
『思い』で苦しむ。
そんな『思い』に先立って、生きている。生きているから『思う事が出来る』。順番が逆。優先順位が逆。
『思い』=『煩悩』
煩悩に振り回されるのはしゃーない。けど、振り回されているという自覚がある、つまり、煩悩は煩悩であると云う事と、煩悩を絶対化して煩悩の軍門に従う事はちゃうやろ。
まして、人が作り出した幻想に振り回される必要はない。
先生「みんなは大きくなったら何になりたいですか?」
生徒「はい。私は地味に生きたいです。」
先生「まあ、なんて夢のない子どもかしら。。。」
生徒「まあ、なんて煩悩に振り回された先生かしら。。。」
「なんで私だけが。。。」
「私ってこんなに頑張って居るのに。。。」
比較の中に自分の評価を売り渡す。
世間に自分が埋もれる。
そういう『気』がしているだけ。
心に染み渡る文章で。
こうゆう文章大好きです。(^-^)
もっと思い込みを手放せたら‥もっと違う自分が、シンプルな自分が顔を出すのかな‥。
‥‥まだまだ煩悩に振り回されておりまする(笑)。
え~。。。日々、酒を染み渡らせながら書き込んで居ます(笑)
あ、煩悩に振り回されているという自覚があれば大丈夫だと思いますが。