坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ある大阪府民の威信

2008年06月05日 | 坊主の家計簿
 6月5日

 外食  ポパイ蕎麦       315円
 食類  豆腐          100円
     寄せ豆腐(数日前)   150円

 合計              565円
 6月累計           8738円

 途中からしか見ていないのだが、『秘密のケンミンSHOW』で香川県をやってた。「しもた。。。」と思ったのだが、まあ、しゃーない。『きも玉焼き』も紹介されてて、私がこよなく愛する『松下製麺所』も紹介されていた。

 しゃて、「オッさん」と他人から云われるとキレる我が街・大阪府は橋下破産管理人知事の下、改革案が提出されたらしい。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080605/lcl0806051657005-n1.htm
 しかし、これって完璧にローカルニュースやと思うのだが、報道ステーションでもやってたのはなんでや?やっぱし『秘密のケンミンSHOW』の影響か(笑)まあ、橋下知事がテレビで人気の弁護士やったからやっぱり注目を集めるのだろう。
 改革案をチラホラ見る。もうちょっと妥協しても良かった気がするのだが。。。
 ただ、やっぱり警察には手が出せんかったか。。。出したら面白かったのになぁ。。。520人やったと思うが、大阪府警の人員を削減したら多分、大阪府警は橋下知事の親族等の反則キップを切りまくりよんぞ(笑)交通違反なんぞは何時でも捕まえようと思えば捕まえられる犯罪やねんし。

 でも、『大阪維新』ってなんや?
 この『維新』という言葉が無茶苦茶ひっかかるのだが。
 私が橋下知事に期待するのは財政カットだけ。先日も住民税の通知が来て鼻血出そうになったのだが、『府民サービス』という大義名分でもって、どれだけ道楽な事しとるねん。
 で、赤字である。借金が5兆らしい。
 住民の数や、景気が復活する事は『夢』である。夢を最初から想定しての赤字は無茶苦茶である。そんなもん破滅しか待ってない。だから、徹底したコストカットは期待する。元々弁護士なんだから破産管財人の仕事は出来るだろうし。

 この際、どうだろうか?財政カットに協力した人は大阪府立靖国神社に奉られるというのは(笑)
 反対した人はダメ。「この非国民めが!」とでんな(笑)

 多分、『大阪維新』という言葉でもって戦意を鼓舞したいのだろうし、大阪のマスコミもそれを煽っている。
 私も財政カットには賛成だが、『大阪維新』という言葉には反対である。

 以前にドーンセンターについて書いたが、もう、無茶苦茶バブルな建物である。
 仮に『大阪維新』の夢を抱いた青年があの建物を見たら「天誅!」である。天誅!の対象でしかない。
 最早、一部マスコミからは『抵抗勢力』と呼ばれている市長さん達も。
 市長さんには、自分達の市を守らないといけない仕事がある。その立場からの発言である。だから「初年度からのカットは無理であるが、次年度からは協力させて頂きましょう」等と語って居る。これのどこが抵抗勢力なのだろうか?
 また、労働組合。労働組合の人達にとっても、組合員の生活がある。確かに、貧乏府である大阪の中で『公務員』とはエエ仕事である。結構な給料も貰ってはる。だが、それなりの生活をしてはる中での賃金カットはやはりイヤだろう。確か、前知事時代にもカットされていたはずだし。それが故に「反対」の声を上げるのは当然である。その人達を捉えて『抵抗勢力』等と呼ぶのは如何なものだろうか?
 抵抗勢力ではなく、『泣いて貰わないといけない人達』ではないのか?
 借金を返す為に、赤字をこれ以上増やさない為に『泣いて貰わないといけない人達』ではないのか?その人達が何故『抵抗勢力』なのだろうか?
 
 『維新』という言葉でもって、夢をみさせ、煽り立てる。
 「日本の夜明けは近いぜよ!」
 っちゅうやつなんだろう。
 それに反対する人は天誅を喰らう。国賊でも、権力の犬でも、保守派でも何でもエエからレッテルを貼る。
 敵を作れば便利なのだ。実際には敵でなくとも、少し意見が違うだけでも敵にすれば便利なのだ。運動が盛り上がるから。運動が盛り上がって、その運動に参加する人が多くなる。
 それは単に『敵』と『味方』だけでなく、『正義』と『悪』、『革新』と『保守』でもなんでもエエのだが、そういう解りやすい構図が出来上がる。
 人にレッテルを貼り、人を分別する。色眼鏡で見る。判断する。
 実際にそういう風に『思って』しまう。
 その『思い』を疑わない。疑う事が出来ない。
 そういう時代社会の環境によって作られた『思い』でもって他者を判断し、自分を縛る。

 『維新』って云われるとカッコイイじゃん。
 『世の為、人の為』って云われるとカッコイイじゃん。
 で、『カッコイイ』と『カッコ悪い』で判断する。
 「カッコ悪いのが何でアカンねん。」
 と、別に頑になる必要もない。それも反動だし。反動で「美しい日本」というてるのと同じ。反動で云わなくとも、日本は日本である。別に美しくなくとも日本は日本である。
 だが、やはり何か左右される。左に行ったり、右に行ったりする。してしまう。してしまうし、どっちかに付こうとしてしまう。その時の流行であったり、その時の人間関係であったり。
 所詮、そんなもの。時代や、周囲の人間環境でもって意見の相違が出る。
 意見の相違が出るから批判も出来る。
 ただ、批判は批判であり、あくまでも『同じ立場』でしかない。どちらが正しいか、悪か、なんぞ誰にも解りはしない。そんな権限など誰にもありゃしない。
 誰にもないから何か違う権威を持って来て利用する。
 明治維新なら『天皇』だったしするのだろうし、世の中にある様々な『主義』だったり、『宗教』だったり。そこから斬り裁く。
 だったら、所詮、何かしらの人が作り出した幻想でもって人を斬り裁いているだけの話。
 『抵抗勢力』も同じ人だし、『保守』も同じ人だし、『敵』も同じ人。
 何かしらの主義や、思想や、宗教や、立場でもって判断しているだけの話。絶対的なものであるわけがない。

 だから、綺麗事で、人を酔わす言葉は大キライ。