坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

お守り

2008年06月10日 | 坊主の家計簿
 6月10日

 食類  海鮮ちらし         200円
     桜えび           100円
     ペット水4         272円
     麺つゆ           198円
     やきそばソース       108円
     豚ばら           313円
     ゆば            200円

 合計               1391円
 6月累計            26426円

 運転免許更新講習。
 毎度思うのだが、あれは何故『平日の昼間』なのだ?まあ、少し遠くまで行けば日曜日でも可能だと思うのだが、同じ市でやろうとすると平日の昼間になる。
 え~。。。平日の昼間って働いて居る人、多くないっすか?特に運転免許を持っている人って。
 私の講習は2時間1700円。まあ、立派な商売だわな。警察の利権だわな。警察が警察の商売でやっているのだから、利用者に合わせるのが基本だろうが。それを偉そうに「こちらの時間に合わせなさい」とは何たる怠慢。
 まあ、私の仕事は平日の昼間でも行けるのだが、行かれへん人の方が多い、っちゅうねん。

 講習を受けていて、新たな利権を発見。
 何やら『違反者講習制度』というのが出来たらしい。
 少し前に飲んでる時にタマタマ同席した人からも「こういう制度があるらしい」と聞いていたのだが、今回の講習でも宣伝してはった。
 何やら、反則の点数がちょうど6点になった場合のみ、14250円か、10250円の講習を受けると点数が0に戻るらしい。
 確かに非常に便利である。だが、大阪では指定自動車教習所で講習を受ける事が出来るらしいのだが、え~。。。6時間の講義で10250円から。なんちゅう商売しとるねん。。。どれだけの利権やねん。

 交通違反をするかしないかは『運』である。厳密には『捕まるか捕まらないか』だけの話だし。まあ、住宅地30キロ規制の道を70キロ超でぶっ飛ばしたり、渋滞時に左折したい時に『歩道を走って左折する』様なクソ忙しい葬式寺で働くような人は捕まえて楽にしてやった方がエエと思うが、それ以外の「あ、あなた停止線で一時停止してませんね」とか、道幅が広く交通量のほぼない住宅地でレッカー移動するような明らかに『金が欲しい』『ノルマを達成したい』というような交通違反の方が多いのではないのか?
 以前も書いたが、反則金は信号等になる。工事の予算になる。工事業者の仕事になる。金になる。当然、利権が発生する。故に、先に予算が決まっているのだ。「今年の予算はナンボで」みたいな感じで予算が決まっているのだ。で、その予算に合わして交通違反を取り締まる。反則金を稼ぎだす。多く取り過ぎても仕方がないし、足りなくても問題である。だから『丁度エエ感じ』の予算を稼ぎだす。その為に多くの人達が犠牲になり、反則金を巻き上げられる。
 そこで捕まった人達、つまり今日の私と一緒に講習を受けた人は単に『運が悪かった』だけの話なのである。

 思うのだが、警察は開運のお守りでも売ったらエエのではないのか?

 「皆さんが今日何故ここに来られたのか解りますか?皆さんは軽微な交通違反で捕まった人達です。ですから皆さんも思っておられるのではないでしょうか?『俺は運が悪かっただけだ』と。ですが、世の中には皆さんと同じく運転をしながら捕まらない方々も居られます。そうです。運が良い人達です。世の中には『運が良い人』と『運が悪い人』の2種類の人が居られます。皆さんは御自分の人生を振り返って下さい。今回だけでなく、『ああ、俺って運が悪いよな』と思われた事がないでしょうか?実力や才能があっても運が悪いだけだと。そうなのです。皆さんは運が悪い人達なのです。ですが、皆さんはその〔運〕を考えられた事がありますか?〔開運〕を考えられた事がありますか?『俺はある。毎年ちゃんと神社に開運の祈願に行っている』等という方々も居られるかも知れませんが、でしたら、何故皆さんはここに居られるのでしょうか?それは運がない証拠です。神社の開運祈願や、お守りに効果がなかった証明です。皆さんの開運に対する事柄が全く効力がなかった証明です。それでも皆さんはまだその開運作業を続けますか?続けられませんよね。効果がなかった証明は最早皆さんがここに居られる事で証明出来ているのですから。
 さて、そこで私たちは考えました。皆様方にとって本当に効果のある開運を考えました。
 ここにお守りがあります。このお守りは他のお守りとはモノが違います。皆様は今まで誤解して居られた。『開運は宗教者の仕事である』と。本当は違うのです。開運は警察の仕事なのです。正直申しあげます。このお守りを車のウインドウガラスに付けておいて下さい。バイクの方はキーホルダーにしいておいて下さい。間違いなく、100%間違いなく皆様のような軽微な交通違反では捕まる事はありません。私たちが保障いたします。絶対に捕まる事がありません。ですが、過度の交通違反、一発免停以上の交通違反では効果がありません。私たちにも限界があります。皆様の開運のお手伝いをするにしても限界があります。この辺りが私たちの正直な所です。但し、今日の皆様方の様な軽微な交通違反では100%の効果を発揮致します。
 このお守りは10万円いたします。高いと思われるかも知れませんが、では皆様はこれまでにどれだけの反則金を払って来ましたか?運がないだけの事によってどれだけの反則金を払って来ましたか?また、これから何十年も運転免許を利用する中でどれだけの反則金を払う事になるのでしょうか?
 たった20キロのスピードオーバーで普通車の場合の反則金は15000円です。高速道路で20キロオーバー等すぐに出てしまいます。
 駐車違反は普通車の場合15000円です。住宅街にある友人の家に遊びに行く。ほんの短い間だから友人の家の前に駐車しているだけで15000円の反則金です。車で御仕事をなされておられる方々はどうでしょうか?配達先に配達物を届ける為に交通に支障がない所に駐車して荷物を届ける。それだけで15000円の反則金です。
 皆様も御存知の通り、交通違反に関する取り締まりは年々厳しくなっています。ですから、『今までの事を考えると10万円は高い』と思われる方も居られるかも知れませんが、それは間違いです。年々厳しくなり、今まで運が良かった人も運が悪くなります。元々運が悪い皆様の事ですから尚更です。
 強制はしません。あくまでも任意です。私たちはあくまでも皆様の事を考えて、このお守りを作りました。皆様方に開運がありますように、私も微力ながら協力させて頂きます」

 っちゅうのはどうや。
 免許人口は約8000万人。10万円で10%が買うとして約8000億の新たな利権でっせ。
 しかも、警察の開運お守りなら、まず100%軽微な交通違反でキップ切らんやろうし。怪しげな開運お守りでなく、100%間違いなしの効果てきめんでっせ。
 免許人口約8000万人が全て警察のお守りを買ったなら、約8兆。2005年発行の本によると毎年約800億が反則金利権だから100年分。レッカー業者の売り上げがどれだけかは記憶してないが、まあ、それだけありゃ、充分だろう。
 警察で売るのが無理なら、交通安全協会がありまんがな。利権が転がり込む先がありまんがな。天下り先がありまんがな。

 ちなみに『運がイイ、運が悪い』とはあくまでも個人の都合です。
 ですから、お守りを買う事自体が「都合のイイ人生」を生きたいという迷いです。自分の思い通りに生きたいという迷いです。ですが、死にます。必ず死にます。100%死にます。人間の死亡率は100%です。皆様は必ず死にます。そういう皆様の為に私たちは考えました。。。
 いかん、さっき書いた『警察お守り』の影響が。。。

 自分の都合を疑わずに生きている。『自分の都合』という狭い世界で生きている。それが皆様の人生ではないでしょうか?そこで私たちは考えました。。。
 あかん。。。さっきの影響がまだ。。。

 まあ、自分の『思い通り』に生きたいわな。世間にも認められたいし、自分の思い描く幻想の都合で生きたい。好きな人と一緒になりたいし、豊かな生活もしたい。思い通りに生きたい。思い通りに生きれなければ閉鎖的になり、カルト的になり、自分の世界に、自分の幻想の世界に埋没したり、あるいは自分の『思い通り』にならない人を排除したりする。排除出来なければ、まあ、排除と同じなのだが、引き蘢ったりする。
 あるいは『敵』にする。思い通りに生きれない人達を『敵』にして、自分が思い通りに生きれない事を相手のせいにする。
 「あいつさえ居なければ。。。」
 「あいつさえ邪魔しなければ。。。」
 等々。
 けど、独りで生きているわけではない。独りで生きていない事の証明が他者が『思い通り』にならないと云う事。故に苦しむ。悩み苦しむ。その事が『他者と共に生きている』事の証明。決して独りで生きていない事の証明。 
 それが人間関係。それが例え、職場から自分の制服が無くなって居たとしても。それが決して独りでは生きていない事の証明。『他者』という自分以外の人が、自分に関わって居る事の証明。決して独りではない事の証明。
 思い通りにならなければ、思い通りにしようとする。世間が思い通りにならなければ世間を思い通りにしようとする。
 思い通りにならなければならない程、追いつめられ、より一層反動として思い通りにしようとする。『支配』しようとする。

 他者の生命を奪う。自分の支配下、自分が自分の力でもって自分を苦しめて来た他者を自分の支配下に置こうとする。したがる。そういう『自分の思い』を疑わない。反射的に「やられたらやりかえせ!」になる。そういう風にしようとしてしまう。行動に移さなくとも、心の中であっても。
 そうやって、エゴの再生産。
 多分、大昔から続いて来たであろうエゴの再生産。

  【わたしの まちがいだった
   わたしのまちがいだった
   こうして 草にすわれば それがわかる】
  (八木重吉『草にすわる』)

 「私は私の小さな思いだけで生きていくような人生は歩みたくない!お守りに象徴される様な都合のイイ生き方で苦しみ続けるのは真っ平御免だ!」