坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『親知らず』という思い込み

2008年06月15日 | 坊主の家計簿
 6月15日

 食類  牛てっちゃん     235円
     タマゴ        198円
     発泡酒3       321円
     もやし         29円
     枝豆         136円
     納豆          68円
     アスパラ       128円
 雑費  レンタル3      240円

 合計            1355円
 6月累計         54175円

 レンタルは
 『深紅』
 『理由』
 『レディージョーカー』

 『深紅』だけを観る。素晴らしい。。。内山理名がエエ女優さんとは知っていたが、水川あさみもエエ女優さんやな。っちゅうか、ストーリーもエエ。かなりエエ映画。

 親知らずの痛みは、日頃の行いがエエのだろう(?)。朝、起きたら治ってた。そういや、痛みだしたのがアンチョビパスタを食べた後だったので、アンチョビの小骨でも親知らずの部分に刺さったのかな?パスタソースにするのに細かく切ったから、それが丁度挟まったのかな?よく解らん。よく解らんが、痛まんでもエエのはエエこっちゃ。まあ、いつか痛みだすのだろうが。

 親知らず。
 父の日。
 親父が実家を出て行ってから10年以上はなると思うのだが、その前に私が出て行ったからイマイチ記憶にない。実家に毎日居たら「出て行った」という痛みがあるのだろうが、なんせ数年に一度も帰らない実家である。両親が熟年離婚しようが、親父が実家から出て行こうが、「まあ、好きに生きとるねんやろな」ぐらいなもんだ。
 「お父さんに離婚後会った?」と誰かに聞かれたのだが、離婚前から会わない親父に、「親父、離婚してんねんな。実家から出て行ったらしいやんけ。」と会いに行く程の酔狂者ではないので、会いに行く事はないだろう。
 会わなくても、親父は親父。好きだろうが、キライだろうが、そんな事は関係なく親父は親父。

 父の日と云う事で、珍しく親父を思い出す。
 なんだが、親父はどうなんだろうか?
 多分、なんとなくだが、私と親父の関係でいうのなら、親父の方が私との付き合いは長い。まあ、当り前だ。私がこの世に出てくる前から知っているわけだし。私に意識がない時から、親父には意識があったのだから。

 うちの親父。うちの親父は酒が弱かった。本ばっかり読んでて、ガキの頃は一緒に将棋をして遊んだりしたのだが、その後の会話は本だった。と云っても、本の内容について話し合うと云う様なアットホームなテレビドラマに出て来そうな話ではなく、バタイユだの、コリン・ウィルソンだの、色気づいた思春期の生意気なガキが好みそうな本、でも、高くて買えない本を親父の本棚から借りる時に「これ、借りるで」ぐらいな事である。
 私は一家の中で奇形的に酒飲みであって、実家にも関わらず外で飲んで来て実家のトイレで吐いたりしてたので、まあ、親父は「おお、我が息子も酒を飲む様になったのか」とか、「おお、我が息子も生意気な本を読む様になったのか」と思ったりした事もあると思う。
 で、多分、今でも、自分が捨てた家族の事を好きな小説を読んだりしながらタマに思い出したりしているのだと勝手に思う。

 人間関係。
 親子関係。
 様々な形があってイイのだと思う。
 親鸞は連れ合いと別れ、息子を義絶した。それでも、親鸞自身の人生の中には確かに『妻帯』をした事があり、今日では息子を義絶した事が晩年の親鸞の思想的影響を与えたのではないか?とも云われる。

 親鸞は義絶した息子にも、別居状態にあった連れ合いにも生涯会わなかったはずである。それでも、関係が壊れるわけがない。
 好きとかキライとか、別れたとか、そういうもん以前に、『関係している』という事実の方が先だから。

 親父とは10年以上会ってない。別に会いたいとも思わない。会いたいという以前に、親父の影響を知覚以前に散々と出会っているのだし。
 思い出して再確認したいという『思い』もあるが、それ以前に、親父は私の中でありありと生きている。
 親父が死んだとしても、生き続けていく。
 限定された『私』等ない。『私』の中に親父の影響があり、その他、様々な人達の影響があり、それでもって今日の私が『ある』。間違いなく、『ある』。

 「みんな仲良く」なんぞはサザエさん一家に任せておけばエエ話であって、そんな幻想に振り回される必要はない。
 どんな関係であろうが、関係している事実の方が先である。
 『思い』がさまよっているだけ。