坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

非人間化

2008年06月17日 | 坊主の家計簿
 6月17日

 外食  ちゃんぽん      660円

 合計             660円
 6月累計         55516円

 法要終了。夜の部ヘロヘロで、読み慣れたはずの5ー12の御文も噛み噛み。舌が廻らん。
 けど、法要が終わって門徒さん達と酒を飲んでたら元気が出て来るとは現金なもんや。

 アルカイダの友達の友達が、また死刑執行のハンコを押したらしい。
 さすがはアルカイダの友達の友達である。正義があれば人を殺す事を躊躇しない辺りはそっくりでないのか。まあ、別にアルカイダの友達の友達だけでなく、アルカイダの敵であるアメリカも同じなんだろうが。
 っちゅうか、別に『アルカイダの友達の友達』だから死刑執行のハンコを押したわけではなく、単なる個人的な思想なんだろうが。。。

【瞑想は社会から離れ、社会から逃げだすことではなく、社会への復帰の準備をすることです。
 これを、私たちは、「行動する仏教」と呼んでいます。】(ティクナットハン『ビーイングピース』(中公文庫68ページより)
 
【行動する仏教は、社会的政治的問題を解決するために仏教を役立てたり、爆弾に抗議したり、社会における不正義に抗議することだけではありません。
 まず第一に、仏教を私たちの日常生活のなかにもたらさなければなりません。】((ティクナットハン『ビーイングピース』(中公文庫80ページより)

【ある日、私たちは、小さな舟の上で、タイの海賊に強姦された、若い娘についての手紙を受けとりました。彼女は、わずか十二歳でしたが、海に飛び込んで溺れ死にました。
 はじめてこのようなことを知ると、まず、あなたは、海賊にたいして怒りを覚えます。当然、娘の側に立ちます。
 さらに深く考えるにしたがって、違った見方をします。娘の側に立てば、ものごとは容易です。銃を取って、海賊を撃つばかりです。
 しかし、私たちには、それはできません。
 もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】(ティクナットハン『ビーイングピース』(中公文庫91ページより)

 私は死刑廃止の意見を持っている。多分、ガチガチの死刑廃止論者である。故に、どうしても鳩山邦夫法相を間化してしまう。
 でも、それは違う。鳩山邦夫法相も同じ人間であり、私が彼になったかも知れない。そういう事をティクナットハン師の言葉を読むと感じる事が出来る。
 生きて来た人生が違う、立場が違うだけの話である。
 生きて来た人生が違い、立場の違う人を如何なる理由であっても間化するのはおかしい。

【親鸞聖人が、弾圧するものに対して、晩年のお手紙にもございますけれども、念仏をさまたげるものをけっして憎んではならないと。そのもののために祈れ、といっておられます。念仏をさまたげるものは、外道性において生きておるという点では私も一緒だと、なんにも変わらない。われわれは、すぐにそれを敵とする。そうではなしにまったく一緒なんだと、ただそのことにナンマンダブツしておるか、していないかの違いだけなんだと。じつは、そのことが、決定的な違いなんですけれども、しかし、自己の外道性ということについては、なんら変わらんのです。】(和田稠『出離その期なし』186ページより)

 法要。仏事。
 念仏申すのは他の誰でもなく私。仏道を歩むのは他の誰でもなく私。
 そんな、ごく当り前の事を忘れていた。