坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『私』が決めつける

2007年10月23日 | 坊主の家計簿
 10月23日

 食類  かずのこ        100円
 雑費  さくらん        105円
     戦国の軍師たち     105円
     銭湯          390円
 外食  穴子蕎麦        378円
     とんこつ        600円
 飲み代 焼鳥         3210円

 合計             4888円
 10月累計         77277円

 惜しい。。。何故『77277円」なのだ。。。これが『77777円』なら何となく目出度いではないか。。。別にパチンコはせえへんけど。

 今日は公文の提出日。1週間分のテキストは昨日までにやってしまったので今日は提出のみ。
 「娯楽!」っちゅう事で銭湯へ。後に先日教えて貰った焼き鳥屋へ。噂に違わず美味しかった。特にスナズリの周囲を集めた『ズリスジ』は逸品やな。
 帰りに、とんこつラーメン。いや、スープ茶漬けを食べようと思ったら閉店やったし。銭湯で体重を量ったら65キロやし。2キロ減。どうりで寒いわけや。ウエストは毎日のチャリでなんとかなってるし、ウエストさえなんとかなったら別にエエし。冬場は脂肪がないと寒い、寒い。

 出かける前に『間宮兄弟』を観る。
 関西で云う所の『大阪ほんわかテレビ』とか『ちちんぷいぷい』とかのジャンルの映画やな。ずっとレンタル中の人気作なのも解る。

 焼き鳥屋のお伴には漫画『さくらん』。映画の方が気になってて、焼き鳥屋近くのブックオフでお伴を探してたら売ってたのでゲット。

 夏休み旅行の新潟ツアー。三条別院っちゅうのも行って来た。早朝の法話が聞きたかったので、宿も近くに。
 毎度の飲屋街を探してたら、結局三条別院っちゅう寺の近くが一番の飲屋街。
 私は行かなかったけど、スナックとかラウンジとかも一杯あった。客引きの兄ちゃんも居ったし。
 昔は遊郭みたいなのもあったらしい。

 ふと、想像する。昔の真宗坊主と、昔の遊女との出会い。
 
 『遊女』『女郎』『売春婦』。余り良いイメージではない。おおらかだった性風俗の時代でも、今程キツくはないにしても。
 でも、そういう生き方をしている人達が居る。今も居る。
 仕事に貴賤もなければ、生き方に貴賤もない。ただ、そういう仕事であり、そういう生き方なだけの話。
 でも、誰かが決めつける。誰か『人間』が作り出したもので、生きている生身の人間を縛る、支配する、差別する。
 人間が作り出した宗教、思想、道徳等で。

 「おおきな御世話じゃ!ボケ!」

【 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。】(スッパニパータ 並ぶ小編より)

 当然、私も決め付けの激しい愚者である。智慧の劣った者である。
 賢者は人を裁く事を問題視しない、出来ない。だから賢者である。
 賢者を裁ける資格は愚者にはない。何故なら愚者とは賢者の中にしか存在しえないから。賢者が慚愧した『時』だけが愚者であるから。
 愚者が賢者を裁くのなら、それは愚者でなく賢者である。
 同じ人間である。
 賢者は愚者を『同じ人間』として見出せない。
 だから、差別も偏見も『当たり前』になる。
 
 でも、賢者も同じ人間である。苦しまないわけがない。
 苦しむ事がないのは逆に反差別運動の中で『正義』を振りかざす事に精一杯の状態の人達ぐらいだろう。『精一杯」だし、そんな余裕はない。

 漫画『さくらん』。当然、漫画である。誰かが書いたもの。作者の精神世界。
 一人の遊郭で生きる女性を描いた漫画。

 どんな生き方をしても、人間は人間。
 「あいつは人間ではない」と、どんな立場であっても云ってしまったら、云った本人は人間を忘れて居る事を正直に告白しただけ。
 そんな哀しい生き方をするのも人間。
 辛い時は人を踏みつけるし、暴力だってふるう。
 でも、大丈夫。
 人間だし。

 人間だから痛みを感じる。絶対に。

 私が誰かを同じ人間として見出せない状態、『敵』を作る。
 だからこそ、私は
 【私はあなたを決して軽蔑しない。何故ならあなたはいずれ仏に成られる御方だから】
 と。
 それは、私がその人を『間化』していたから。尊敬出来ないから。
 でも、共に『同じ人間』として尊敬されているから。
 それが嬉しいから。
 だから、軽蔑する事は間違いだし、尊敬するしかない。
 そういう道。

 こうやって毎日、酔っぱらってウダウダと書き込んで居る。
 でも

【あたかも牢獄を逃れるごとく 人はみな自己の前を逃れんとすれども
 世に一つの大いなる奇跡あり 我は感ず「いのちみな生きらるべし」】(リルケ)

 だからエエねん。