坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

不都合な真実

2007年10月17日 | 坊主の家計簿
 10月17日

 食類  絹あげ            69円
     結びコンニャク       100円
     糸コンニャク2       100円
     おにぎり2         200円
     焼きイカ          100円

 合計                569円
 10月累計           61803円

 親分「おう、お前、内藤組の頭のタマ取って来い」
 子分「解りました。でも、金玉なんかどうするんですか?」

 から始まるネタでも書こうと思って、YouTubeで確認したら「金玉」って云うとるのぉ。。。目え瞑って何度も確認したんやけど。。。それにあの言い方で「打ってもええからな」やし。
 いや、別に亀田家を援護するつもりはないねんけど、大阪で「タマ」云うたら「命」の事やし。
 ついでに大阪で「アホか、お前!しばくぞ、ボケ!」は、「お前はオモロイやっちゃのぉ。。。」っちゅうぐらいの意味であって、決して言葉通りではない。そういうニュアンスの違いを書こうとしててんけど、確認したら、やっぱしちゃうなぁ。。。

 と云う事で、アル・ゴア氏ノーベル平和賞受賞記念『不都合な真実』。
 あ、映画『不都合な真実』に関する、不都合な真実もあるらしい。映画は観てないのだが、関連する報道を観た上での判断なんだが、まあ、『大げさ』なのだ。まあ、啓発映画やし、『大げさ』の方がショックがあって面白いし話題にもなるし、終末論は大切やし。全面核戦争なんぞが『ほぼ、おこらない』と解り始めた今日、違う終末論は大切やし。

 しゃて、紀元会と云う宗教法人でリンチ殺人があったらしい。(http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071016-270215.html
 容疑者は女性らしい。
 「男は暴力的である」と云う事を言いふらす人達にとっては不都合な真実である。
 『男は暴力的である』と云う事に異議はない。ただ、「男だけか?」と言いたくなる。
 また、釈尊もガンジーも『男』なんだが。。。これも不都合な真実なんだろう。

 「こうあって貰いたい」なんぞの妄想は誰だってきっとすると思う。
 「男は暴力的だ」とか云う人達は『男だけが暴力的である』と云いたいのだろうが、事実はそうではない。全くの嘘である。妄想である。
 これは、「日本軍は酷かった」も同じ。確かに日本軍は酷かった。けど、『日本軍だけ』ではない。軍隊なんだし。だからその反動でもって『日本軍は酷くなかった』になる。どっちも妄想でしかない。

 そういう不都合な真実が出て来た時に、事実に対して『見つめようとしない』のか、それとも『しっかりと見つめて自分の事実に気づこうとする』のとでは道が違う。前者は『独りだけ』の世界であり、後者は共に生きようとする道である。ワガママはワガママであり、妄想は妄想である。
 誤りを『誤り』として、『間違って居た』と頭を下げられるのが強さだと思う。信仰の力だと思う。

 ただ、『信仰』と云っても色々な信仰がある。
 当然、それも認める。認めざるを得ない。色々な宗教があるのだから。
 色々な人達が、それぞれの宗教や、文化等の『違い』を生きて居られる。
 それを認めないのが差別である。自分(達)の色眼鏡で観た価値観でもって上下を付けるのが差別である。
 例えそれが、私にとって「ワケ解らん」であったとしても、それは単に私が理解出来ない、理解しようとしないだけの話でしかない。
 仏教は多くある宗教の一つでしかなく、大谷派教団は多くある宗教団体の一つでしかない。
 仏教が絶対正義であり、そこから他を裁き、大谷派教団が絶対正義であり、そこから他を裁くのであれば、釈尊も親鸞も不在ではないのか。

 不都合な真実。他者は他者として、そこに生きて居られる。
 きっと私と同じ『間違いだらけの存在』として。

 亀田家の大毅君は試合の最後辺りには泣いてた。顔が泣いてる顔をしてた。対戦相手の内藤大助君は試合をしてて一番よく解ったのではないのかな?と勝手に思う。
 だから、判決が下りたら許した。虐められっ子だった過去もあるみたいやし、『弱い人間』に共感出来たのかも知れん。亀田家イジメに『元虐められっ子』としてイヤな想いを受けたのかも知れん。「声をかけたい」と云ってはったし。

 『毅』。『毅然』の『毅』と『大助』。
 単なる語呂遊びなので、当然意味はない。