坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

日本

2009年04月29日 | 坊主の家計簿
 元所属寺の永代経法要へ。
 んが。。。クタビレ果てて仕事終了後に「30分だけ仮眠しよ」モードだったのだが、クタビレモードが勝つ。よって法要終了後の飲み会だけ参加。

 いや、今居る寺の大法要前だったので行けるかどうか解らん状況だったのだが、え~。。。気分的な余裕がなく、半年前の報恩講時には「もっと光を!」っちゅう仏具の輝きも今は全く気にならない状況であって、「まあ、門徒さん達が仏具磨きしてくれてんし~」っちゅう事で「私は降ろして、並べるだけ♪」っちゅう、まあ、単純に『むっちゃサボリモード』なのであって、そういう状態で放ったらかしにしてて、かつ、本堂の内装(?)もいじったので「え~。。。解りません。。。」っちゅう事もあって、放ったらかしにしてたら昨日本堂に行くと『ニュー本堂』があって、どうやら住職が全部やってくれたみたいなので、ここは甘える。
 
 っちゅうか、後の諸々の片付け&掃除とかを考えると「あ、1日あったら十分や」っちゅう事で、元所属寺の法要に行こうと思てたんだが、せっかく上げて貰った着れる衣の色を着て、嫌がってた『内陣出仕』なんぞもやろうと思てたんだが、すっかりダウン。
 
 元所属寺の法要での飲み会。え~。。。毎度の事ながら、残って居る参加者全員からの自己紹介&意見。それを聞きつつ、何やら法話では『家族』っちゅう事を問題にもしてはったらしい。
 
 『家族』
 家族は大事だと思うが、旧来の『家族』が差別の象徴であった事も確かである。だからといって『家族』から逃げることなんぞ出来るわけもない。『逃げようとする』=『粗末にする』みたいなもんであって、そうではなく、問題がある『場』であるのなら、そこで闘って行くしかないわけであって、それが『家族』がサンガになる『道』だったりと思うのだが。
 『家長の云う事は絶対である』とか、『女は男の云う事を聞かなければならない』とか、そんなもんは単なる差別肯定でしかなく、それが『古き善き日本』なんぞというのは、単なる「天皇陛下万歳!」と何ら変わる事がない。

 『面倒だから逃げる』→『苦悩からの逃避』ではなく、娑婆世間で苦労するのが大乗仏教だろうが。それが、生きてる実感だろうが。
 三法印と、四法印との差は『一切皆苦』があるかないかの話。
 「伯母様の云う通りです」なら、苦悩などない。それは『我慢』でしかない。解放を目指すが故に『苦』である。

 「ああ、世の中こうなってるねんな。。。」は、単なる我慢大会であって、んなもんは単にサウナで「ふっふっふっふ。。。あいつは俺よりも先にサウナから逃げよった」と同じようなもんやろ。
 だから、仕来りとか、ウゼ~我慢大会をしとるねんやろ。

【世のすみうきはいとうたよりなり。人かずならぬ身のいやしきは、菩提をねがうしるべなり。】(念仏法語より)