坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

誓いの言葉

2009年04月03日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 4月3日

 会議、会議。んが、仕事で30分ぐらい遅刻。議論が白熱したので終了時間1時間オーバー。

 終了後に住職になる為の研修(?)の書類に関して諸々聞く。不明な点は徹底して聞いておかんと。。。
 んで、それが終わったら会議後恒例の飲み会の為に居酒屋で待って居る人たちと合流。居酒屋にしてはチョイ高かったけど、美味かった。。。今度ヨメはんと行こ。

 居酒屋帰りに、祝儀のお返しの件でタンガクラブの三浦さんに相談。何が『本業』なのか知らないが、大丸の仏事ギフトの社長さんやし。

 っちゅう事で、心配だった2つの問題消える。後は時間との戦いでんな。動け、動け。

 そういや、居酒屋で飲んでた時に、恩師から教えて頂いた「2歩進んで3歩下がる」っちゅう言葉を紹介したら、みょうにウケる。まあ、全員真宗坊主やし。
 歩みを始めたが故に、自分を深める事が出来る。罪悪深重煩悩具足の凡夫である身の事実が明らかになった。

 んで、もって、意味なく、っちゅうか、私の仏前結婚式での『誓いの言葉』をコピペして寝よ。





      誓いの言葉  新郎 釈学生

 「個人になっとらんか?」
 この言葉は 私が大谷専修学院の 共同生活の僧伽において 何度も声をかけられ 指摘された言葉です。
 個人 すなわち 共に生き 共同生活をしている場においてさえ いや 共同生活をしているが故に 私は個人になり 「私さえよければ構わない」と。
 そして 私はその場の支配者になろうとし 心の中で あるいは実際に 共に共同生活をしている人を排除し それが上手く行かなければ その場から 逃げ出そうとばかりし続けました。
 私にとって都合の悪い人に対して 「あいつさえ居なければ。。。」と 何度思った事でしょうか。
 しかし そういう私に対して 先生たちは決して見捨てる事なく 「個人になっとらんか?」と声をかけ続けて下さいました。

 私 釈学生 俗名○○○は、釈尼○○ 俗名○○○○ と結婚するにあたり ますます私自身の煩悩の深さを 思い知らされます。
 この結婚式をするにあたり また それまでのお付き合いの中で 私はどれだけ これから夫婦として 共に生きて行く 大切な人を支配しようとして来たのでしょうか。全く 恥ずかしい どれだけ謝罪しても 足りない程の 罪を犯して来ました。
 しかし それが 悲しいかな 私自身であります。
 そして それが私自身である以上 これからの夫婦生活の中でも 変わる事があり得るとは思えないのです。私は変わらずに 傲慢な支配者で かつ 支配出来ない場からは 逃げだそうとする事でしょう。

 だからこそ 私は 今 如来聖人の御前にて また 親兄弟を始め 有縁の方々が居られるこの場において 夫婦として生涯を生ききって行くと 私が選んだ 釈尼○○ 俗名○○○○ との夫婦生活の中で そういう罪深き私自身を決して見捨てずに問うて頂いた 南無阿弥陀仏という歴史の中で 生きて来られた 諸仏としての恩師たちの教えを聞き続け 「悪いのはあいつの方や」と 私自身から逃げるのでなく 私自身の選びとして 私自身の課題として 如何なる事があろうとも この生涯を釈尼○○ ○○○○ と共に 夫婦として 生ききって行く事を誓います。