エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空~甲府盆地を望む

2009年08月08日 | 旅行
前の記事が午前7時の写真!
これは、午前10時半の空だ。



飛行雲が右下から斜め上に向かって空を切り取ろうとしている。
左下に高圧送電塔が見えるでしょう!

この場所は甲府盆地を望む「双葉パーキング」。
夾竹桃(きょうちくとう)が赤い花を青空に突き刺すように咲いていた。



明日は、いよいよ長崎の原爆の日である。
今日の朝、早まって記事をアップしてしまった。

ぼくの早とちりである。
お詫び申し上げるものである。

この双葉パーキング・エリアには、栃の実がたわわに実っている。

縄文時代は、この実が常用食であった。
それは、遺跡痕の発掘された土器の内容物などによって立証されている。

近頃では「栃の実煎餅」などがドライブインの売店で売られている。



数本となりの樹は「こぶし」であった。
これにも実がなっている。



実を鞘が守っている。
種の保存が自然に行われている。

翻(ひるがえ)って、ぼくたちヒトは自ら種の保存を行っているのだろうか?

否・・・否である。

一世帯の子の平均は二人を割っている。
これでまず、ヒトは減っていく。

自らの生命を全うする食の文化を守っていない。
これで、悪しき遺伝子を拡大再生産している。

これではヒトの種は守っていけないではないか!

草食系の男が多くなっている、とか・・・。
そうしたくだらない論評に与するものではないけれど、やはり、らしさがなくなりつつあるのは事実であるような気もするのだ。

子どもを産み育てるのは、女と男の共同作業である。
お互いの性を尊重し、尊敬する。



ぼくはその意味で豊かな女性は美しいと思う。
ヒトはその精神こそ問われている。










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雨が上る時

2009年08月08日 | 日記
はっきりしない天気だったけれど、ようやく雨上がりの時を迎えた。

南アルプスの山並みから、雲が上っていく。



とても静かで、厳粛な儀式でもおこなっているような気配が立ちこめていく。
ぼくは不思議な感慨に包まれている。

青々とした稲の穂波が揺れている。



あぜ道に「野蒜(のびる)」の花が南アルプスを背景にしてスックと立っていた。



自然は美しい。
ありのままが美しい!ということに他ならない。

ぼくもそうありたい!と念願する。

山から立ち上って次第に消えていく雲の生涯をもう一度!





ぼくの大好きな風景である。



田舎で眺める山は、ぼくを温かく抱擁してくれるのである。







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ナガサキ~原爆の日

2009年08月08日 | 日記
長崎の平和祈念像である。



ヒロシマに原爆を投下して3日後、今度はナガサキに投下した!

1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分である。

この日も暑い日であったと言う。

実戦で使われた二発目の核兵器である。

この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物の約36%が全焼または全半壊したと言われる。

カンカン照りのナガサキの空には「キノコ雲」が立ち上がり、雲に覆われ街じゅうが一瞬にして暗がりになった。

そして、黒い雨が降って来たのだ。
生き残った多くの人々は、この黒い雨で被爆したのだった。



日本人にとって、決して忘れられない記憶である。
この記憶が風化しようとしている。

戦争を知らない世代のぼくではあるが、繰り返し繰り返しこの記憶を反芻(はんすう)している。

ナガサキにも夾竹桃が咲いていた。



「はだしのゲン」「ほたるの墓」そして井伏鱒二の「黒い雨」など・・・なんでも良い。
この終戦へと導いた時代背景を読み続けてほしい。

子や孫へと引き継いでいきたいものである。





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