エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

フキタンポポ、冬の花ワラビなど

2012年01月31日 | 
蕗蒲公英(ふきたんぽぽ)と書く。



この花である。

日本へは明治時代に入って来た。
原産は中国〜ヨーロッパの広範囲に亘る。



花期は1〜3月。
タンポポに似た黄色い花を咲かせ、葉がフキに似ていることがフキタンポポの和名の由来となっているのである。

花言葉は「公平な裁き」である。
なかなかお目にかからない珍しい花である。

だがしかし、もっと珍しい花をお目にかけよう。



クリスマス・ローズの原種である。
いまや、クリスマス・ローズは投資の対象にすらなっているのである。

どう交配していくのかなど、秘中の秘であるらしい。
現に、ある花屋の温室でクリスマス・ローズがあって写真を撮ろうとしたら断わられたことがあった。

密かに育てて市場に出すらしいのである。



これをご存じだろうか?
「冬の花ワラビ」というのである。
これが名前なのである。

「冬の花ワラビ」である。

変な名前だけれど、直接的で分かりやすいではないか。



これは言わずと知れた「寒椿」である。
大木であったけれど、一輪だけ咲いていた。

えもいえぬ風情があった。
朱でもなく、ピンクでもなく、ほの赤い花であった。

控えめで楚々としている。
こうした色合いは美しいではないか。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

一月最後の日曜日

2012年01月30日 | 日記
早いものである。
今日を入れて残り二日で二月である。
暦上は、4日には立春だ。

一月は睦月というけれど、ほかに幾つもの言い方がある。
正月、祝月、王月、首春などざっと30個以上はある。

さて、今日の空は爽やかに晴れ渡った。



雲が鮮明に見えるのであった。
冬のうららかな気配に満ちた一日であったけれど、風は冷たかった。

冬麗(とうれい)、あるいはまた「春隣」といった気配であった。



空を見上げて、心を静かに瞑想をした。
本当は座禅でも組みたいけれど、その静謐は無い雑木林である。



池にはわたりの鴨が数十羽遊弋している。



      浮寝鳥水たおやかに抱きすくむ        野 人





水仙も日向ぼこをしている気配である。





      侘助の一輪落つる葉影かな          野 人



白い花弁に朱が混じっている。
いや差してある、というべきか?



我が家の福寿草である。
黄色が目に優しいのだ。
そっと鼻を近づけると、春のいきれがした。



木蓮の芽が膨らんできている。
胸にほっこりと暖かさが芽生えた。



ススキの穂が枯れきって、絮になって舞った。



      ススキの穂枯れて舞いたる絮一つ        野 人







      肉置の豊かな影や寒牡丹            野 人



寒牡丹は、藁で覆われている状態を言う冬の季語である。
藁囲いで守られているのである。

立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・美女の姿形を言ったものである。

寒牡丹の影は、どっしりと映る。
その姿を肉置が豊かだ!と云い現わしたのである。



さて、そろそろ水温むのかもしれない。
そうあって欲しい。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

六義園に色あり

2012年01月29日 | 日記
いま六義園では色が無いのだろうと勘違いしておられる方が多かろうと推測する。
いやいやそうでもありませんぞ!
冬枯れの庭園にしか無い色だってあるのである。



まさに季節は「冬ざれ」であるけれど、だからこその色探しだってあるのだ。



蝋梅に積った雪が氷となっている姿である。
これだって、耐える蝋梅。
春を待つ気持ちが募るではないか。



これはおそらく千両である。
この植物は、一両から十両、百両、千両、そして万両と種があるのである。

素人のぼくたちにはその判別は確然としきれないけれど、近々にその種別に花と木を紹介しようと思っている。



梅の蕾がここまで膨らんできている。
梅の開花は間近であると言って良いだろう。

この赤味が期待を持たせてくれるではないか。



かたや桜はこんな状態である。
梅は咲いたが、桜はまだかいな!と唄った日本人の心は優しい。



これは南天。
雪ウサギに使った。

青い葉はウサギの耳。
紅い実はウサギの目である。

子どもの頃、雪が降ると母が作ってくれたものだった。
母にかかると、雪に命が吹き込まれてウサギが跳ねてくるかのようだった。
母の手は魔法の手であった。

とまれ、これらの色は六義園にある色である。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

冬の夕焼け

2012年01月28日 | 日記
冬夕焼(ふゆゆやけ)である。
何日か前に「まるで涅槃に入るようである」と俳句にした。

      音もなく涅槃に入りぬ冬夕焼      野 人

いかにもそうである。
冬の夕焼けは、赤く静寂を演出するのである。
佇(たたず)まいが冬であるのだ。





      冬夕焼灯明一本足しにけり      野 人





シルエットの向こうに、希望も燃え出るのであろうか。
この冬夕焼、被災地では見られない筈である。
大雪に喘いでいるからである。

それにも拘らず、国会では相も変わらず不毛の議論が重ねられている。
自民、公明という両大野党の質問は過去に拘っていて、未来を志向していないからだ。

今の国会は「虚しい」。



ダボス会議に、あの元総理・管何某が出席して福島原発の事故報告をしたそうである。
彼が総理時代、そうした原発事故に関する政府の会議では議事録が記録されていないのだと言う。
そもそも議事録を残さなかったというのである。

管何某は、どんな記録とどんな記憶に基づいて話をしたのだろうか?
彼は「不作為の罪」で投獄されるべき犯罪者であると言うのにである。



今日ぼくは、この冬夕焼を見ながら、思わず学生時代に歌った「国際学連の歌」を口づさんでいた。

   学生の歌声に
   若き友よ 手をのべよ
輝く太陽青空を
再び戦火で乱すな
われらの友情は 原爆あるもたたれず
闘志は 火と燃え
平和のために戦わん
団結堅く・・・

と続くのである。
何故この歌がぼくの口をついて出たのかは分からない。

いま、この政治不在の時代。
学生たちに怒りは無いのだろうか?

不思議な国である。
だがしかし、夕焼けの綺麗な国である。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

六義園の気配

2012年01月27日 | 日記
柳沢吉保の下屋敷である。
柳沢吉保とぼくは甲斐の国を通じて支配・被支配の関係にある。

彼は、天領としての甲斐の支配者であったからである。
甲府勤番の大名でもあったわけだ。

従って、甲斐の国には民謡が無いといっても大袈裟ではないのである。
「粘土おたかやん」が密かに唄われていたくらいである。
それも、精々ぼくのおばあちゃんが知っていたくらいの民謡である。



ぼくが小さかった頃、おばあちゃんに唄ってもらった記憶があるけれど、その歌詞は殆ど覚えていない。
父に教えて貰った微かな記憶によると、柳沢吉保を忌み嫌った内容である。
確かに、歌詞の中に「柳沢は嫌だよ、ありゃせ、こりゃせ」というのがある。



さて古い記憶はここまでにしよう。



六義園の雪景色は格別に宜しいのである。



中島へ渡る橋である。



雪吊りも大きいものから小さいものまで多種である。
これは大きいもの。



こんな按配である。
このコントラストが素敵である。



金沢の兼六園も素敵だけれど、六義園も劣らず素敵である。



舟遊びの小船も舫ってある。



街のど真ん中である。
だがしかし、静謐な空間なのである。



午後、陽が陰ってしまってこんな風になった。
この雪景色も素敵である。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村
 荒野人