エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

初雪

2017年12月31日 | ポエム
大晦日、である。
朝から曇天だけれど、おかげで初雪が舞った。

午後の三時、陽があたり始めた。
明日の初日の出は、きっと鮮やかであろうと思った。



視線の位置に、枇杷の花があった。
鼻を近づけて匂いを嗅いでみた。
甘やかな、それでいて大気を突き破るかのような華やかさがあった。
人に食べられる為に咲く花、である。
生命力が横溢して、然るべきであるのだ。



初雪は、降りて忽ち水滴になってしまう。
その儚さが、初雪の宿命であるのか・・・。



山茶花が赤々と大気を破っている。
そのインパクトこそが、冬の厳しさである。







「初雪や小櫨の目立つ君の足」







明日は、元旦。
今夜は、テレビで観るべきものとて無い。

紅白が国民的な番組であった時代は、とうに終っている。
番組としての質の変遷が、陳腐であるからである。

いっそ、格闘技でも観て年を越そうかと思っているのである。


     荒 野人

水仙

2017年12月30日 | ポエム
水仙の名所になりつつあるのは、葛西臨海公園の観覧車の下。
越前から、水仙の球根を寄贈されたものである。



葛西臨海公園駅を降りたら、公園の右側にあるのが観覧車。
孫たちは、この観覧車が大好きであるらしい。



高所恐怖症のぼくは、苦手である。
一度乗ってみたけれど、血液が冷えてゆくようでもう二度とは乗らない。



この水仙の植栽は、もちろん日本水仙もある。
あるけれど、まだまだ咲き揃ったようには見えない。

漸く,咲き初めた気配であった。
これからである。



だがしかし、この程度の咲き具合も宜しい。
満開になると、噎せ返るような水仙の匂いが立ちこめる。

人によっては、臭い!
としか云いようも無い。

咲き始めは、仄かで良いのである。







「気紛れの風の囁く黄水仙」







小径から少し遠い場所の水仙、である。
数カ所、こうした咲き方をしている。

管理しておられる女性にお聴きしたのだけれど、来月の半ば頃が見頃だと云う。
また出かけなければなるまい。


      荒 野人

富士山

2017年12月29日 | ポエム
日本人が大好きな・・・富士山だって!
夕景の富士山を見ながら、そう会話する中国人夫婦がいた。

そうですよ、富士山は大好きです。
日本のシンボルですからね!



とりわけ、夕景に佇む富士山のその居住いに感激するのである。
この富士山は、東久留米のイトーヨーカドーの屋上からのものである。
通常は、屋上駐車場は閉鎖している。
けれど、ダイヤモンド富士の時と年末年始は開放する。

東久留米駅は、富士山の望見スポットとして有名?である。
一本の駅前道路が、富士山にまで続いている。
見事な見せ方である。

駅には、付属施設として「富士見テラス」がある。








「電飾の富士に連なる冬の街」







今年、ダイヤモンド富士を見に行った。
凄い人出であった。

富士山の頂上に日は落ちないけれど、取り敢えず富士山にかかって落ちてゆく。



富士山の大きさがしみじみと分かる、のである。



連なる山々の稜線が、鮮やかに浮かび上がってくる。
その美しさには・・・「富士山が大好きな日本人」その通りである。


      荒 野人

冬の海

2017年12月26日 | ポエム
冬の海に出会いたくて・・・。
小春日和に誘われ、葛西臨海公園に出かけたのであった。

昼前には公園駅に到着。
海は、満ち汐の時間帯であった。



冬の海は、光を集めて煌めく。



航跡のような光の帯が見事であった。



家族連れが多く、小春日和を愉しんでいる。
豊かな、それでいてゆったりした時間が流れる。

ぼくは、公園の端から端までをひたすら歩いた。
松ぼっくりが落ちていて、それが朽ち果てようとしている。

名物の水仙は、まだまだである。
けれど、まだまだの水仙こそが楚としている。
明日お見せしよう!







「冬の海光集めてたゆたへり」







帰る頃には、徐々に茜が強くなっていた。



足元の渚は、強い波が打ち寄せている。
名残を惜しみつつ、車内の人となったのである。


       荒 野人

赤い冬薔薇

2017年12月25日 | ポエム
昨夜はフォイヤーヴェルク管弦楽団の、定期演奏会に出かけた。
このオーケストラの賛助会員となって、もう数年が経過している。
最初は、ブログの友からのお誘いであった。
けれど、近頃ではオーケストラとしての成長を聴くのが楽しみになっている。

昨夜のプログラムは・・・。
スメタナ 歌劇「売られた花嫁」序曲
ハイドン 交響曲第92番「オクスフォード」ト長調Hob.1:92
ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 Op.70
である。
件のブログ友のご子息が、ドヴォルジャック7番のコンサートマスターであった。

心地良いイブを過ごす事が出来た。



さて、赤い薔薇である。
冬薔薇は、蕾のまま枯れてゆく事も多い。
その風情、居住まいの床しさが冬薔薇の真骨頂である。







「冬薔薇真っ赤なルージュと目深帽」







ぼくが時々、文章の推敲の時に出かけるカフェがある。
そこのカフェで、いつも出会う女性がいる。

人を寄せつけない雰囲気を纏った女性である。
真っ赤なルージュを引き、深々と帽子を被っておられる。
その雰囲気は決して、嫌いではない。

何か、原稿を書いておられる。
極細な文字のペーパーを見ては、文章を組み立てていく。
デティールを大切にしているのだろうか。

ほぼ毎日来ているらしい。
時々、顔を上げて空気を吸う。

怪しい居住まいの、魅力的な女性である。

      荒 野人