エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

フォロ・ロマーノ

2012年07月25日 | 日記


伝承ではロムルスとレムス兄弟に率いられたラテン人がローマを建設したのは紀元前753年頃とされる。
正に、フォロ・ロマーノの整備は紀元前6世紀頃に始まるのである。

フォロ・ロマーノが現在の輪郭になったのは、ガイウス・ユリウス・カエサルによる西側の大改装の結果である。
すでにそれ以前から、フォロ・ロマーノを整然と計画されたものにする努力は行われており、カエサルの計画は、いわはその集大成であった。
その計画は彼の暗殺によって、初代ローマ皇帝アウグストゥスへと引き継がれる。


正に悠久の歴史が、ローマ市内に横たわっているのである。
この遺跡のメイン通りは、カエサルも又凱旋した記憶として残っているであろう。

ぼくの頭の中で、音楽が鳴った。
ショスタコヴィチの第5番第4楽章・アレグロ・ノン・トロップである。

誇らしげに、カエサルが従者を従え戦車上にいる。
勇壮なイメージである。





にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へにほんブログ村
  荒 野人

桂枝雀を聴いている

2012年03月31日 | 日記
このところ、改めて桂枝雀を聴いている。
西の爆笑王とも言われた噺家である。

彼は自殺して果てたのであった。
人を笑わせる仕事の彼が鬱であったのだ。



それも深刻な鬱であって、自殺の危険が医師からも告げられていたのであった。

1999年3月に自殺を図り、意識が回復する事なく4月19日に心不全のため死去した。
59歳没。
同世代の噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称されていた。
奇しくも二人共自殺であった。

正統派の志ん朝も大好きであった。
枝雀の、しかし破天荒な話が最も好きであった。

愛宕山を聴いている。
時うどんを聴いている。

腹の底から面白い。



多くのCDが出されているけれど、DVDで彼の所作、表情を見ながら聴くのが最高である。
だがしかし、Ipodに入れて聴いている。
生前の彼を知って知るから、所作や表情が充分に想像できる。

枝雀の何処が良いのかって?
それは・・・以下の聴き応えである。
①言葉のリフレイン、繰り返しによる滑稽味
②所作のリフレイン、繰り返しによる面白さの増幅
③所作の大きさ、高座に収まりきれない大きさ
④表情の百面相的変化、類い稀なる顔の筋肉の強さ
⑤圧倒的な括舌、その言葉回しの早さ、早口が早口で亡くなる見事さ
⑥理論に裏打ちされた噺の展開、時代時代の人の存在感
⑦声調の豊かさ、その声量も豊かである
⑧声音の豊かさ、声で表現する能力の確かさ
などなどが挙げられるのである。
ただし、これはぼくがそう思っているだけである。

桂枝雀は落語の真髄は笑いであり「笑いは緊張の緩和である」を原点にして生涯、笑いを追求し、論理化し続けたのであった。
従って、深く深く彼は笑いの緊張に身を委ねてしまったのだと思う。
ふっと、緩和すれば良かったのにと思わざるを得ないのである。

ごめんなさい。
今日は俳句は1句のみ。
枝雀に哀悼の意を表したいのである。




       悲しさも笑いで包む雀の子         野 人




枝雀の出囃子は「昼飯(ひるまま)」である。
出囃子とは、三味線や太鼓などで噺家を送りだす音曲である。
落語家が高座に登場する時の音楽の1フレーズなのである。

言ってみれば「ちゃんちゃん!」と音楽が終わった時に座布団に座っていて、頭が垂れている状態から頭を上げ、客席を見て「え~っ・・・」と噺が始まるのである。

出囃子で有名なのは以下の通りである。

梅は咲いたか:3代目春風亭柳好・6代目柳家つば女・9代目春風亭小柳枝・立川志の輔
越後獅子:古今亭志ん輔
老松:3代目古今亭志ん朝
お江戸日本橋:3代目三遊亭遊三
木曽節:6代目月の家圓鏡
金毘羅船々:4代目桂米丸・3代目柳家権太楼
佐渡おけさ:林家こん平
さわぎ:春風亭小朝・桂歌春
大漁節:桂歌丸
鳩ぽっぽ:三遊亭らん丈・立川志らく

上方落語では・・・。

ああそれなのに:月亭可朝(または『芸者ワルツ』)
夫婦万歳:月亭八方
元禄花見踊り:5代目桂米團治(3代目小米朝時代)
軒簾(のきすだれ):桂三枝・5代目桂文枝(3代目小文枝時代)
春はうれしや:笑福亭鶴光
円馬囃子:桂文珍

といった具合である。
出囃子から噺は始っているのである。
枝雀はその出囃子すら笑いにしたのであった。

本当に面白く、魅力的な噺家であった。

合掌





にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へにほんブログ村
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
      荒 野人

3.11が巡ってきた

2012年03月11日 | 日記
「3.11」が巡ってきた。
復興にはまだまだ時間がかかる、それほどの災厄であった。

復興を阻む「トリレンマ」は、原発、政治、そして風評被害である。
壊されたのは、人の絆である。
トリレンマ・・・三重苦である。

本当は、格好良く「被災」「原発」「経済」などと言っておけば差し障りも無く、大方の共感を得るのだろうと思う。
だがしかし「原発事故」「政治の貧困」「風評被害」であると言いたいのである。
それは人災であると言う事に他ならない。

その最も悪しき苦の根源は「政治の貧困である」と断定せざるをえないのが・・・悲しい。



ここは吉里吉里地区である。
かの井上ひさし氏の小説「吉里吉里国」の舞台である。



吉里吉里地区の海岸である。
悲しいスクラップの山である。






      長雨の定め冷たき春の海        野 人

      美しき海去年の怒りは今も尚      野 人

      菜種梅雨想いを馳せり被災の地     野 人






今日一日、被災地を考える時間を持った。
まだまだ咲き綻ばない梅林を歩きながら・・・。

梅の香は、満開で無いけれど「そこはかとなく香って」きた。
身体も心も柔らかくなるような香りであった。



ここまで破壊された被災地の人々の心が本当に軟化するのには、まだまだ時間を必要とする筈である。



スクラップの山も、上の方は崩れていく。
早く処理しなければ、このスクラップが人を内側から苛む。
粉末となって、人の内臓を汚染し、破壊するのだ。



重機が決定的に不足している。



この地区では多くの被災者が無念の最期を遂げた。
だがしかし、今日の氷雨はこの地では雪となって降り積んだ筈である。




      雨上がり滴をとどめ梅開く        野 人




東京では、そろそろ梅が見頃を迎えるだろう。
被災地では、まだまだ重たい雪が降り積んでいるのだろう。
だがしかし、東北でも必ず梅は咲くのだ。
その時が待ち遠しい。

あの山、あの海、あの川、あの街・・・。
美しくもたおやかな人々の生活。
強靭な意志を持った人々の生活。

早く取り戻せますように。

哀悼の誠を捧げつつ。
合掌!






にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へにほんブログ村
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
      荒 野人

葛西臨海公園の海

2012年02月11日 | 日記
葛西臨海公園から望む海は東京湾である。
海ホタルも、横浜のランドマーク・タワーも、最近竣工したブリッジ(二匹の恐竜が向き合っている)も、見えるのである。

空も広いし、海も綺麗である。



とりわけ、夕景は見事である。
この公園は、例えば今なら水仙、もう少したって桜だとか、あるいはまた水族館などが売りになっているけれど、干潟もあるし海もあるし景色が一番の売りだと思うのである。



時には「レンブラント」の絵画の世界に浸ったりできるのである。
この光線の具合は、まさにレンブラントである。



恐竜だって見える。



風力発電の風車も見える。
このたたずまいこそがご馳走なのである。





      春潮の彼方におぼろ風車かな      野 人





海へのアプローチの途中、こんな景色があって「えっ!海が近いのに」
と、思わせる場所もあるのである。

今日から、ブログ村のポイントを「俳句」にも割り振った。
俳句をテーマとしたブロガーとの出会いもあって良いな!と思ったからである。





にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へにほんブログ村
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人

馬酔木の花

2012年02月08日 | 日記
馬酔木(あしび)である。
馬がこの葉や花を食べると、酔ったようになることからこの名前が着いた。
不思議な語感の言葉である。

含有成分「アセボトキシン」は人間にも有毒で、足がしびれたようになることから「アシシビレ(足痺れ)」が「アセビ」になったとも言われているのである。

この花卉は、万葉集にも詠み込まれ日本人とは縁の古い花なのである。



いまは蕾がこんな状態である。

   池水に 影さへ見えて 咲きにほう  あしびの花を 袖に扱入(こき)れな
                               万葉集 大伴家持

   磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど  見すべき君が ありといはなくに
                               万葉集 大来皇女

   わが背子に わが恋ふらくは 奥山の あしびの花の 今盛りなり
                               万葉集

   河蝦(かわず)鳴く 吉野の川の 瀧の上の 馬酔木の花ぞ 末(はし)に置くなゆめ
                               万葉集

和歌である。



今日の馬酔木は雨上がりである。
水滴が輝いて春浅き気配をシンボルしているようであった。

また「馬酔木」は俳句の世界では特別な意味を持っている。



      馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ       秋桜子



「馬酔木」の創刊は大正七年、当初は「破魔弓」という誌名であった。
大正三年七月、誌名は「馬酔木」となる。

水原秋桜子が主宰として俳句の新しい世界を目指すのである。
このときの同人は、水原秋桜子、増田古手奈、日野草城、佐藤眉峰、山口青邨、富安風生、大岡龍男、佐々木綾華である。



花が数輪開いていた。
白とピンクが鮮やかである。

昭和六年、秋桜子は「ホトトギス」の写生が瑣末描写に傾いていくことを批判して「ホトトギス」を離れる。
「自然の真と文芸上の真」と題する論文を掲げて『ホトトギス』を脱退し、新興俳句運動を興したのである。

ぼくが所属する「からまつ」の祖も又、ホトトギスから決別して第三の道を進むのである。
すなわち「俳句道即人間道」を呼称する臼田亞浪である。




      赤味ます馬酔木の花の炎かな        野 人




言い忘れたけれど、馬酔木の学名は「 Pieris japonica 」である。
Pieris(ピエリス)とは、ギリシャ神話の「詩の女神」のことである。

花言葉は「犠牲」「二人で旅をしよう」「清純な心」である。



レッド・ロビンの葉が、雨に濡れ赤々と輝いた。
ぼくの孫の名前は「ロビン」である。
この木は、彼のシンボル・ツリーである。



名残の山茶花である。

少し飛躍した。
間もなく、春が謳歌出来る。
今日からぼくのポケットの歳時記は「春」になった。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人