エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

小金井公園の縄文遺跡

2014年08月31日 | ポエム
昨日の空。



完全に秋空である。



気持ち良い季節が巡ってくる。
けれど、来週からは暑さがぶり返してくると云う。
それでも、熱帯夜は無いと云うのが予報となっている。

御同輩、同慶のかぎりである。

さて・・・小金井公園には、縄文中期から後期の住居遺跡がある。
江戸時代から近世に至る建物が移築されていて、縄文遺跡を初めとすると悠久の時間が表現されているのである。

楽しい公園である。
ただ誠に広いのであって、歩くのはかなり疲れる。
疲れるけれど、目が疲れさせはしない。



まず、アプローチからして楽しい。
風船かずらと、ゴーヤの緑のトンネルが待っている。

行かれたら、必ず潜ってほしいトンネルである。



このトンネルは、夏季限定なのだろうけれど暑くなったらミストを出してくれる。



ぼくは先ず、縄文遺跡を尋ねた。



住居跡である。
この遺構だけが、レプリカである。

以下の遺構は、周りの保護枠以外は全てオリジナルと思われる。
レプリカと云う表示は無いからである。







「石を積む大地と人の花野かな」







こうして石を積む行為は、敬虔である。
石を積む事によって、縄文人はテリトリーを明確にした。



埋め戻しをしていないから、石が風化していく。
あるいはまた、倒壊していってしまう。

それで良いのだ。
縄文人は、堅牢であってしかし積み変えやすく構築しているからである。



        荒 野人

国立の絵画展

2014年08月30日 | ポエム
そもそも国立駅周辺は、ギャラリーが多いのだ・・・と云う。
文化の香りが高いのである。
歩いている人は、お洒落な雰囲気が匂う。

なるほどである。



駅から徒歩2分。
ギャラリーに着く。

この絵画展は、ぼくの古い友人が所属する団体が主催している。
年に二回お披露目となるのである。



友人の作品である。



最初に比べると、随分と腕を上げた。
だがしかし、ここ三年ほどは仏を描く事が多くなった。

ぼくと遊び歩いた若かりし頃を、懺悔しているのだろうか?
遊ぶと言っても、新宿歌舞伎町界隈で一晩中飲み明かしたりした程度である。
クラブで夜明けを迎え、其処から仕事に行ったりした。
もちろん、仕事が終わるとそのクラブに帰るのである。

少しふしだらかもしれない・・・。



友人は、こうして仏を描いている。
ぼくはと言えば、相も変わらずふらふらと出歩いている。

友人は近頃、切り絵に開眼したらしい。
穏やかな雰囲気を漂わす切り絵である。

帰り道、五日市街道を玉川上水沿いに走った。
途中に小金井公園がある。

その一角「江戸東京たてもの園」がある。







「蜩の声に会いたし午後の森」







立ち寄ったのである。
ここには、時代を感じさせる建物が移築されているだけではなく「縄文時代の住居跡」遺跡もあるのだ。

楽しい公園である。



      荒 野人

メタセコイヤの森に

2014年08月29日 | ポエム
メタセコイヤの森は静かに在るのだ。
すっくと立ち上がった木々の緑に、太古の匂いがする。

メタセコイヤは、今を生きる化石の樹と云われるのである。
昨日に続いて、やはり水元公園の一角に在るのだ。







「縄文の森につながる夏木立」







並木の向こうから、人のさざめきが聞こえてきた。
縄文の人々だろうか。

縄文人のさざめきは、静謐を構成するかのようだ。
今改めて、縄文時代のエコが問い直されている。

例えば、地産地消の思想だとか環境問題へのアプローチなどだ。
縄文人は、ずっとずっと現在より進んでいたとされるのである。



         荒 野人

みずもと公園の吟行

2014年08月28日 | ポエム
20数名での吟行であった。
千代田線金町駅南口でバスに乗り換える・・・程なく「みずもと公園」である。



広い都立公園である。
四季を通して楽しめる「水の郷」と言って良いだろう。

メルクマールは、幾つもある。
今回の吟行では、行けなかったけれどメタセコイヤの森は見事である。



そして、いまの見どころは「オニバス」の花である。



今回の吟行は、このオニバスの花を見たかったのである。
句友のT・Kさんのお薦めである。



オニバスの池は、地図で見ると右上の端である。
広さのあまり、公園の全体を見られない訳だ。

この公園は、行く時々の目的を明確にしないとつまらないかもしれない。
けれども、ただ水の風景と一体化したい場合はフラリと行けばよい。



釣り人が糸を垂れる横で、ダイサギが釣果を待っている。
なんとも不思議な共生である。



待ちくたびれた鷺は、池の上を遊弋して過ぎ去っていった。







「浮草やピース一つが欠けており」







これはヒシである。
遠目からは、コウホネに見えたけれど良く浮葉を見ると「菱」の形である。

機会があったら紹介したいと思うけれど、近くに「しばられ地蔵」がある。
願をかけた善男善女の藁紐で、がんじがらめにされた地蔵である。




        荒 野人

万緑の女神

2014年08月27日 | ポエム
今週は涼しいけれど、蒸し暑い。
だがしかし、今日は肌寒い。
この数日間は、夏の終わりを感じる。

秋隣に、万緑の女神が何であるのか?
を思うのだ。



木洩れ日をかいくぐって走り去る、女神か。
あるいはまた・・・。



季節を遅れて咲く「姫女苑」か。
彼女は風にたおやかに揺れる。

如何にも、ありそうである。



ベンチに寄り添って、新書を読みふける女神か。







「滴れり女神の笑みの騒ぐ胸」







女神が、犬の散歩で通りすがる姿か?
曰く、不可解である。




       荒 野人