エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

夕食が終わった~満腹である

2009年10月31日 | 旅行
夕食が終わった。
いまは満腹である。
もう食べられない・・・と思っている。



最初はこれ。
フェイントである。

サザエが地物で天然物と聞いた途端!のことである。



火にかけてしまった。

これはさすが天然物だけあって、中には完全に火が通っているにもかかわらず、実を硬くして人の力では決して開けられないほど閉じてしまっているのもいるのである。

改めて、火あぶりの刑に処するも開けられないのだ。
これが天然物たる所以(ゆえん)であるというのである。

なるほどである。

ついで鍋が二種。
寄せ鍋ときりたんぽ鍋である。



これは寄せ鍋である。
下味が旨い。



きりたんぽ鍋である。
手前がきりたんぽである。

鍋は湯気の向こうに愛情が見える食べ物である。

これで、ビールを飲み焼酎を飲み歓談をしているのである。

つまみは?って。

うん、これである。



石舟庵のゴマ団子である。
買い物袋の中に、こんな印刷物が。



小粋なプリントである。
亭主、なかなか工夫している。




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                     荒野人

伊東温泉に到着!

2009年10月31日 | 旅行
朝7時半自宅を出でて、東名高速に向かった。
環状八号線はいつものように混雑・渋滞である。
東名も海老名を中心に渋滞。
ほぼ厚木あたりまで渋滞であった。

しかし信号の無いのはやはり素晴らしい。
厚木・小田原道路から熱海まではスイスイ、そこから山を越え網代、宇佐美、伊東と順調に行った。

暖かな日差しであったけれど、海は泡だっている。



釣船が幾艘も海に出ている。
釣果はどうなのか?健康的な趣味である。



海を見下ろす丘につわぶきの黄色の花が満開であった。
この季節のシンボル的な花である。



伊東まで降りてくると、波が荒いのが良く分かる。
テトラポットに波が砕けていた。

伊東駅の手前に「道の駅」がある。
ここには日本一を標榜する長い足湯がある。



ぼくもめったに漬からない足湯に漬かってみたのである。
丁度良い湯加減で、海を眺めながらの足湯は最高であった。

宿に向かう途中、ここ伊豆地方だけで店舗を構える「石舟庵」で和菓子を買い求めたのであった。
ここのお菓子は秀逸であって、とりわけ季節の和菓子が旨い。
いまなら、栗の銘菓である。



宿に向かう道すがら、沖には烏帽子岩が荒波の中に立っていた。



その姿は烏帽子そのものである。
自然の創作は妙なる調和をかもし出すのである。

もうぼくは温泉に入った。
3時半から風呂に入り、いまこうして記事を書いている。
今、5時少し過ぎ。
6時から夕食である。

今夜は海鮮バイキング。
明日は部屋食で、やはり海鮮懐石である。
太らないようにしなければならないのであるけれど、それが難しい。

美味しい料理の数々は改めて紹介しようと思っている。




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                     荒野人

ペルーの指人形再び

2009年10月31日 | 日記
謎のペルー人は無事仕事を終えてリマに帰った。
今日、メールがありあすからジャングルに行くという。
ナマズビジネスの手配である。

また、作家の夢枕 獏氏の取材のアテンドも依頼されているという。
忙しい日々である。

彼がお土産で持ってきた指人形を再び紹介しよう。



姿かたちはコンドルのようであるけれど、頭にトサカが付いているから、ニワトリのようでもある。
なんとも不思議な指人形である。



たぶん水鳥だろうと思う。
色彩が面白い。

ただおしなべて、目が怖いのである。



ライオンである。
可愛らしいけれど、やはり目が怖いのである。



海賊だと思う。
独眼竜の海賊だ。



これはピエロである。
色使いはさすがにインカの末裔である。
カラフルだ。

でもなかには、不気味な指人形もある。
みんなで話したけれど、誰もそれが何か?は分からなかった。



身体にイボイボがあり、真っ赤な下を出している。
イグアナのようでもあり、トカゲのようでもあり、何だか分からないのである。
はっきりしているのは、不気味であることだけだ。



これは人魚姫である。
顔が人間的でよろしいではないか!
ちゃんと尾ひれもついていて面白いではないか。



ぼくが一番気に入ったのは、これである。
ペルーの通貨2ソル硬貨である。

デザインとしてナスカの地上絵「ハチドリ」が描かれている。
ぼくはこれを小銭入れに入れている。
「ハチドリのひとしずく」である。

環境とエコへの問題意識を忘れないように!と思っているからである。

周りが山火事で、みんなが逃げてしまってもハチドリはその小さな嘴(くちばし)で一滴一滴水をかけつづけているのである。

崇高な精神である。
謎のペルー人が、このことを意識したかどうかは不明だけれど・・・ぼくは彼の中に日本の行き過ぎた環境破壊の横暴を非難する心が潜んでいると確信しているのである。

ハチドリに改めて学ばなければいけないと思うのだ。




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備考 ぼくは明日から伊豆方面である。
   美味しい食を夜にはアップ出来ると思う。
   乞うご期待!

今日の空と花

2009年10月30日 | 日記
今日ぼくは芝浦に出かけた。
午後である。

田町駅を出て、海岸側に歩いていくと最初の交差点に花壇が設(しつら)えてある。

サルビア、マリーゴールドなど色彩豊かである。
管理は大変だろうけれど、色の少なくなるこの時期続けて欲しいものである。



その脇を運河がゆっくりと流れている。



三島由紀夫の「午後の曳航」という小説が思い起こされたのである。
芝浦はそういった文学的な匂いが漂っている。
江戸の市井を描いたり、運河沿いの人の歴史だとか、あるいはまた海と人との関わりなどが想起されて楽しいのである。

空は、掃いたような雲が遊弋(ゆうよく)している。



右下に飛行船が浮かんでいる。
「ダイワ・ハウチュ」の広告船である。



駅で降りて左側を見たら山茶花が咲き競っていた。



白とピンクのコンビネーションが可愛らしかったのである。






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秋は夜にあり!

2009年10月30日 | 日記
昨夜の帰宅は日暮れてからであった。
8時過ぎだったのだけれど、植え込みに秋を見つけたのである。



ススキの穂先が目にも鮮やかである。
こうした気配は心の目を澄まさないと見えてこない。




            秋の寝床


        秋の寝床は帳(とばり)が下りてから幕開く
        秋の夜は人肌の温もりがたまらなく沁みてくる
        秋の恋は密(ひそ)やかで秘めやかな抱擁であるのだ
        きみの光輝く額の汗が
        ぼくのたるんだ贅肉(ぜいにく)に一滴の刺激を与えてくれる
        秋の寝床は美しくも悲しい物語を紡(つむ)いで横たわっている






まゆみの葉っぱである。



まゆみの実である。
もう少しすると、この実がパクッと割れて真っ赤な種子が顔を覗かせる。

さて、夜の秋はモノクロであるだけに印象は鮮烈である。
ストロボで色彩を蘇らせたが、やはり夜の女王は微笑んでくれないのである。
自分の心眼で見ることが肝要であるのだ。

山はぜを下から見上げてみた。



誰が架けたのかビニール傘が枝に下げられている。
赤い葉と未だに青い葉。
共存する美しさもあると改めて知った。

この密集した山はぜの葉が、逐次紅葉して落ちていく。
そのプロセスをしばらく楽しめるのである。

夜の散策も楽しいかもしれない。
ただ、ストロボを無闇に発して誤解を受けないようにしなければならないのである。
その配慮が・・・面倒くさい。

この社会、安心して自分が思うように生きていけないのである。



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