エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

また再びの道~ムクゲの花へ

2009年08月01日 | 日記
ムクゲの花が・・・どの木も順調に咲き続けている。

ぼくの浅学菲才のせいなのだけれど、ムクゲは日本でも古くから鑑賞されていたことを、つい最近知った。



たとえば・・・。

八坂神社の粽(ちまき)の御守りの代用の花、御茶事の花、生け花として、もとは源氏の武士の間で鑑賞されていた。

みなさん御存じのように、今では一般に広く栽培されている。



この花は、前にも書いたが韓国の国花だ。

花名の表記も様々だ。
たとえば日本だけでも、木槿、舜、蕣、朝槿、朝蕣、朝鮮。ハングルでは木槿(モックン)、無窮花(ムグンファ)、と標記される。

ぼくは韓国の「無窮花」という標記が好きだ。
この漢字を使った時代の背景が見えてくるから!
寂しげで、苦しさの中でこの花を愛でた韓国の人々の心が見える。

そのようにこの花を見た韓国の人々の苦しみの原因を作ったのは、かなりの部分で日本がその責めを負っている。
ぼくはそう思っている。



ムクゲの花と樹皮は、古来漢方の生薬として活用されていた。

樹皮を乾燥したものは木槿皮(もくきんぴ)、槿皮(チンピ)という生薬である。抗菌作用があり胃腸薬や水虫など皮膚炎の薬に配合される。

花を乾燥したものは木槿花(もくきんか)という生薬である。皮膚炎、胃腸炎、下痢止め等に用いる。

常に人々の間で活かされた花だったのだ。
知らなかったぼくの不明を恥じるばかりである。



さまざまに咲き誇る「無窮花」。

ぼくがその歴史を知ろうが知るまいが、この花は静かに咲き続けていくに違いない。

花に歴史があって、人はそれを知らなくても美しく感じる。
花に自分の人生も投影できる。

人々の苦しみ、悩み、そして悲しみ。
それらのすべてを呑み尽してくれる。

嬉しい。

人々の喜び、楽しみ、そして幸せ。
それらのすべてを共有してくれる。

嬉しい。



よしんば、ぼくが生を全うしたあとも咲き続ける花に、あらためて快哉を叫ぶ!





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食べられる実が結ばれた

2009年08月01日 | 日記
我が家のブルーベリーはもう食べている。
黒く熟した実は旨いのだ。



今までは一日一粒のペースであった。
これからは暫らく待つようである。

オリーブの実。



色づくのは当分先のことである。
ここ東京では、空気を肌寒く感じる頃であろうか。

間もなく食べられるのは、これ!
冬瓜(とうがん)である。



あと1~2週間で収穫できる。
みそ汁に入れても美味しいし、ふろふき風に煮ても柔らかく美味しい。

また細の目に刻んで薄塩をまぶし「浅漬け」にしても旨い。
その時にはミネラル豊富な岩塩を使ってほしいものである。

畑では、ナス、キューリ、隠元豆、枝豆と豊かな収穫が約束されている。
また、苦瓜なども旬である。


畑で丹精込めた野菜が収穫できる喜びは、何物にも代えがたいものである。








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ボリビアの雑穀

2009年08月01日 | 日記
現在香港シリーズ編集中。
しばらくお待ちあれ!


山懐に抱かれたアマランサスの畑である。



中南米は雑穀の故郷である。
キヌア、アマランサス、もちろんトウモロコシもである。

純朴な農民・・・耕作者だ。
大体が家族でやっている。



ぼくたちの周りでは最近「雑穀米」が一種のブームとなっている。

粟や稗、豆類がうまくブレンドされていておいしくいただける。

煮上がる時間は、まちまちなのだろうが上手く出来ている。

大体が「5穀」から始まり「16穀」までパターンはそれぞれである。

国産の大豆や麦などは別にして、南米からの輸入雑穀は食物としては上質であるとぼくは断言する。

ボリビアの農家の収穫の模様である。



あくまでも天日干しが基本である。
ここの農民たちは自然の恵みとともに生きている。

だだっ広い農地・・・痩せた大地で収穫している。



もちろん化学肥料などを施しようもない。
農民は貧しい。

だから、自然の恵みのまま収穫し、それをいただくのである。

自然のままだし、神の思し召しのままなのだ。



こうして収穫される雑穀は痩せた大地からしっかりとその栄養分を吸収し育ったのである。

まさに昔から・・・おじいさんのその又おじいさんも、そうして生きてきたのだ。
そう誇らしげにかれらの顔は語っている。

ぼくは、こうして収穫した雑穀を使っている商品をこれからも使い続けようと思う。



なによりも雑穀米は、その熱々のご飯の上に卵をかけても美味しいし、おかずを載せて食べても美味しくいただける。


ぼくたちが子どもだった頃、ご飯におかずや汁物をかけて食べると出世しないなどと言われたものだ。

だがしかし、ごはんになにかのおかずを載せて食べるというのは美味しいのだ!






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