エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

病葉・・・わくらば

2015年06月30日 | ポエム
わくらば・・・夏の季語である。
情緒に溢れた言葉である。

梅雨の晴間に、林の中を彷徨った。
漂泊と云うより、彷徨ったのである。



風は爽やかに吹き渡って、肌はさらっとして気持ちの良い一日であった。
ただ意味も無く、散策することは大好きである。
彷徨う、その意味である。

左隅に写っているベンチで、しばらく木々の緑を眺めていたのであった。







「病葉や漠たる思い捨てきれず」







木に・・・枯れた葉があった。
遠からず落葉する。
これも又、病葉である。



   荒 野人

梅花藻

2015年06月29日 | ポエム
白く可憐に水の中で揺れる。
梅花藻は、清流でしか咲かない。
6月初旬には、花の盛りを迎えるのだけれど・・・あった1



落合川である。
湧水を水源とし、東久留米市内を流れる。
東久留米は、湧水の里である。



川全体で云えば、クレソンが蔓延っていて売価もの咲く地域は少なくなっているのである。
クレソンは採って食べられるけれど、いかに清流と言えども少しばかり憚られる。

理由は特に云わない。
しかし、家庭排水といった問題からではない。



白い点々が清流を通して見える。
ゆらゆらと揺れているのである。







「梅花藻や棹さす流れとどまざる」







渡りを忘れた鴨が、大きくなってしまっている。
すっかり安住の川になってしまっている、のである。



だがしかし、梅花藻はおかまいなしに揺れている。
落合川も、黒目川との合流地点手前で咲いている。

間もなく、この花も終る。
今こうして見られるのも、かなりラッキーなことである。

昨年は、見られなかったのだけれど今年は見る事が出来た。
嬉しい!



       荒  野人

アガパンサス

2015年06月28日 | ポエム
東京では、そろそろ終わりを迎える花である。
小さなトランペットを一杯つけている。

ファンファーレも、かなり騒がしそうである。



APG IIIではアガパンサス亜科としてヒガンバナ科にまとめられている。
クロンキスト体系ではユリ科、新エングラー体系ではヒガンバナ科に含められていたのである。

花言葉は・・・。
「恋の訪れ」「ラブレター」「知的な装い」だ。

ギリシャ語のagape(アガペ 愛)とanthos(アントス 花)の2語の組み合わせで、このため花言葉は「愛」や「恋」にちなんだものが多いのである。







「時差という間(はざま)に咲けりアガパンサス」







こうして、花を見られるのは楽しい。
楽しいし、同時に「何時まで見られるのだろうか?」
と、暗澹たる気分になるときある。

露提が、齢を重ねたと云うことであろうか・・・。



自然の摂理に抗えないのは、人の常である。
それはまた、輪廻転生である。



この日、空は雨上がりの明るさを大地に注いだ。
人生曰く不可解・・・その通りである。



      荒 野人

ごめんなさい・・・。
アガパンサスの写真のつもりで、ギボシを使ってしまいました。
午後6時、写真の入れ替えをしました。

捩花(ねじばな)

2015年06月27日 | ポエム
芝生の中に密やかに咲く。
捩花である。
ねじり花、もしくはねじれ花でも良い。

目立たず、かといって存在感が無いのかと云えばしっかりと主張している。



見れば見るほど可憐であって初々しくもあり、妖艶な肢体を見せてくれる。
捩花は、探さなければいけない。

探して出会うから、より愛おしさが増すのだ。

去年・・・。
俳句の師の一人でもある「砂流先生」が土手沿いを歩き、捩花を摘んで来た。
両の手に余るほど摘んで来て下さった。

捩花のブーケ、なんと贅沢なのであろう。







「捩花やテルミドールの予感する」







捩花を見かける頃になると、砂流先生の健康を思う。
同時に、ぼくはあかり先生の健康も気にかかってならない。

あかり先生も又、ぼくの師の一人である。



捩花が「嫋やか(たおやか)」であればあるほど、あかり先生が思われる。
捩花が「ひそやか」であればあるほど、砂流先生が思い起こされる。
捩花の捩れを戻そうと思えば思うほど、誠実であれと身が引き締まるの覚える。

お二人とも、人間的に尊敬できる。
それにしても、捩花はアンチとか反動とかそんな概念が沸き起こされる花である。



        荒 野人

袋掛

2015年06月26日 | ポエム
葡萄であったり、桃であったりするけれど過日に過度に陽が当たったり、虫がつくのを防ぐのである。
袋掛は、初夏の風物詩である。

山梨へ・・・所用があって出かけた時に「一の宮」のピットインで撮った画像である。



一の宮は桃の産地であり、葡萄も甘い。
葡萄は、勝沼と云われるけれど一の宮もまた葡萄と桃のブランド品の産地である・







「袋掛酒に酔い痴れ白拍子」







桃もまた虫がつき易い。
甘味が強いからであろう。

従って、虫がつくほど甘いのである。
その昔・・・ぼくがまだ幼かった頃「虫食いだから甘いよ!」なんていう台詞を聴いたような気がする。



葡萄棚の下は、極めて涼しい。
葡萄は、その木から切り取った時は冷えている。

ヒンヤリした葡萄が食べられるのである。
これはおそらく、シャイン・マスカットという種であろう。

種無しで皮ごと頂ける。
甘さも適度にあって、口中が喜ぶ葡萄である。

昨今、はやりの葡萄である。



      荒 野人