エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空と雨上がりの花たち・・・挽歌

2010年09月30日 | 日記
今日は乾燥した空気と、鮮やかな空の青。
そこに描かれた雲たち・・・。



この青は、ローマのヴァチカン市國のシスティーナ礼拝堂、ミケランジェロ作「最後の審判」の壁画の背景の色である。
ぼくは、この壁画を洗う前に見たのである。

洗った結果に驚いた世界中の人々の感動を共有することができる
なぜなら、洗う前のくすんだような、しかし重厚な色彩の壁画を知っているからである。

今日の空は目にしみるように汚れなき青であった。



混み入った電線の上に広がる青い空。
寂しい人工的風景ではある。



雨上がりの野ボタンの花である。
鮮やかな紫色が疲れた目を慰めてくれる。



甘い香りに視線を上げた。
花ミョウガの白い花が咲いているのである。

甘い梔子(くちなし)のような匂いを放っている。



白いヒガンバナが咲いている。
あえかなピンクがポイントになって、煽情的な色彩でもある。



小ぶりで簡潔な咲き方のヒガンバナである。
こうした小さな花でも、鮮やかな赤が花を大きく見せるのである。

埼玉の幸手にある権現堂のヒガンバナが満開だという。
巾着田のヒガンバナも満開であるという。

ヒガンバナは、明日の雨でより一層鮮やかに咲き誇るに違いない。
ああ・・・、会いたいのである。

雨滴を装う姿はさぞ可憐であろうと思うのである。





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                     荒野人

雨上がりの午後・・・PAでいただく昼食は?

2010年09月29日 | グルメ
昨日は朝早くから甲斐の国に向かった。
雨の中央高速道路はカーブも多く運転には神経を使うのである。



さすがは甲斐の国「ヴァンフォーレ甲府(J2チーム)」応援の幟(のぼり)が公園の周囲に林立している。
しかもヒガンバナが咲いているのである。

甲斐の国は、つい先頃のB級グルメで「トリモツ煮」がグランプリを取った。
確かにぼくが子どもの頃から、このトリモツ煮は食卓にも上っていた。
この年になってからも、年に10回以上は食卓に並ぶのである。

既に「トリモツふりかけ」などが商品化されている。

午前中で予定した案件が終わり、昼食は境川PAで認(したた)めた。



丼合戦!
の幟が立っている。



合戦に参戦している「富士桜ポーク辛油ブタ丼」である。

このレシピはおそらく・・・厚切りの三枚肉を焼き、その上に食べるラー油を乗せるだけだと思われる。

ただし豚肉は旨い。



合戦のポスターである。
因みに、ぼくはラーメンをいただいた。



しょうゆタレのあっさり味である。
ぼくはやはり中央高速道路下りの石川PAのラーメンが好きである。



このラーメンに、ぼくは小鉢のモツ丼を注文した。
モツ丼も甲府のB級グルメである。

トリモツ煮が蕎麦屋にあるように、モツ煮はラーメン屋さんにあるのが甲府である。
この色、この味である。

あつあつのモツ煮にたっぷりの葱、そこに七味を振りかける。
牛蒡の味が隠し味である。

店によって味が違うのだけれど、あっさり味派とこってり味派に分かれる。
モツ煮の汁がご飯に沁み込むと、何とも言えない味わいなのである。

わざわざ甲府に行って「トリモツ煮」に出会えなかった方に提案!
その時には「モツ煮」をラーメン屋さんで召しあがったらいかがであろうか?

きっと満足出来るに違いないのである。






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萩が咲き紫式部が色付くころ

2010年09月28日 | 日記
萩は赤と白があるのだけれど、初秋には赤が良く似合うと言いたいのである。



金槐和歌集の歌である。

   道の辺の 小野の夕暮 たちかへり
        見てこそゆかめ 秋萩の花
                 源 実朝

俳句である。

  一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月
                 松尾 芭蕉

   萩の風 何か急(せ)かるゝ 何ならむ
                 水原 秋櫻子



白萩である。
清楚な印象である。

萩の花言葉は「柔軟な精神」「過去の思い出」「思案」「前向きな恋」「想い」
      「内気」「物思い」である。
思索をベースとする花言葉である。

物思いに耽る秋らしいイマージュである。



コムラサキシキブである。
紫式部という場合の花とは少しだけ違うのだけれど、一般的にはこれが紫式部である。

花言葉は
    「愛され上手」
    「上品」
    「聡明」である。



あなたのイメージと合っている。
充実した紫の小粒と、秋の陽を跳ね返す粒の張りが・・・である。




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ご近所のヒガンバナが咲くとき

2010年09月27日 | 日記
いつの間にかヒガンバナが咲いていて、涼風が身にしみてくるのである。



都会の花であっても形正しく咲くのが植物の生命力なのだけれど、最近は突然変異で奇形の植物も増えてきた、と聞く。
例えば、葉の数が違うとかの例が報告されているのである。



ヒガンバナは全草有毒な多年生の球根性植物である。
散形花序で6枚の花弁が放射状の舌状花をもつ。

誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にまでいたる。
可憐な花であるけれど、毒性は強いのである。



昨今は、バイオ技術の飛躍的な進歩によって花の色は様々である。



しかし白い花だけは突然変異の為せる結果だという。

花言葉は
  「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」
  「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」
である。

赤い花からの連想である。



   つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華
                   山口誓子

ヒガンバナは、別名・曼珠沙華(マンジュシャゲ)と言う。
この表現はサンスクリット語 manjusaka の音写である。

因みに、韓国ではヒガンバナを「サンチョ(相思華)」と呼ぶ。
「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味からである。

美しい呼び方である。



今日は午後から晴れて青空が覗いた。
ここのところ雨の日が多く、緑が鮮やかになって来た。

日高市にある「巾着田」のヒガンバナの早咲き地点では、ここ数日で満開を迎えるという。



3年ぶりに訪ねてみたいと思っているのである。





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マツタケご飯をいただく

2010年09月26日 | グルメ
季節は進んでいるのであって、もはやマツタケの旬はその盛りを過ぎたのだと思われるのである。

今日は、散策をしながら上を仰いだのである。
雨上がりの空の色は鮮やかであった。



そうしたら、桜の木があって鮮やかな空に枯れ果てた葉をチラチラさせているのである。
これでは、桜の木の紅葉は期待できないな!と嘆息をつくしかなかった。



誠に残念である。
しかし空は汚れなき色彩で広がっているのであった。



たまたま見事なマツタケが手に入った。
定番の杉の葉の上に鎮座しているのである。

3本入手。
これでは嫁いだ娘の所に持って行くのには不足である。



小ぶりのマツタケを3本追加。
おおぶりに、かつ厚めにカットして釜にぶち込んだ。

味付けは・・・ぼく!
シンプルに、かつ薄味にした。



ポイントは上質の味醂(みりん)である。
あくまでもマツタケの香りと歯ごたえを尊重した味付けである。

マツタケが薫っている。

口に運ぶと、マツタケの香りが口中に広がり鼻に抜けていった。
至福の時間が流れたのである。



間もなく柘榴の皮が割れる。
すると赤い小さな・・・そうルビーのような実がこぼれ落ちそうになる。

味覚の秋の盛りである。

あっ!そうそう。
サンマをこんがりと焼いた一尾、汁物にはサトイモの入った豚汁。

マツタケご飯には、これが付き物である。






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