エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ゆすら梅

2014年03月31日 | ポエム
我が家のゆすら梅が咲いている。
花が終わって、結実する。

赤く熟すと食べられる。
甘酸っぱくて美味しい。



何回も同じことを書いて恐縮だけれど、人に食べられるために咲く花は愛おしい。



そう思うと、何故か後ろ姿すら美しい。



季節はいま、桜。
しだれ桜は、たおやかだ。

ぼくは、春風となって桜を抱きしめたい・・・。



視線を下ろせば、草木瓜の花が紅白入り乱れて咲く。
その、コントラストの絶妙な事。
自然の造形は流石であるとしか、云いようもない。

見上げれば桜、見下ろせば草木瓜。



視線の中庸は、連翹。
日差しを浴びて、気持良さそうである。







「ゆすら梅点々枝を装えり」







我が家のシンビジューム。
もう10年以上咲いてくれている。

愛おしさが、ひとしおである。
「今年も咲いてくれて、ありがとう。」

毎年そのように声をかける。
その平凡な幸せがある。



      荒 野人

木蓮の午後

2014年03月30日 | ポエム
今夜、浅田真央選手のフィギアを見た。
何故か、彼女の滑りに落涙した。
彼女は、気高く存在した。

いたいけな少女だったころから、ずっと見守って来た選手の一人である。
自分の生きて来た過去と、オーバーラップする。
だが、彼女の方がずっと進歩している。
それが嬉しいのだ。


さて・・・。
木蓮は鮮やかであるけれど、もの憂い。
そのもの憂さが、木蓮を引き立てる。



木蓮に先だって、辛夷が咲くけれど桜咲き初めたこの頃、木蓮が咲き始めている。
その木蓮の無節操が良い。

なんだって、常に正義を振りかざされると辟易する。
木蓮の無節操さが、愛すべき所業であると合点するのである。







「木蓮の咲き初めし午後額うぶ毛」







いま・・・街は春の気配に、充満しようとしている。



例年、紫木蓮(しもくれん)は白い木蓮よりも遅いのだけれど、今年は歩調を合わせているかのようだ。
その、変に優柔不断が良い。

額の産毛も、そうした視点で見ると可愛い。
そっと、撫でてあげたくなってくる。



木蓮は、何故かそうした優しさを育んでくれるのだ。
優柔不断で無節操だけれど、愛すべき花である。



      荒 野人





まだ伊豆にいる

2014年03月29日 | ポエム
まだ伊豆にいる。
しかし、明日は春の吟行・・・今日には帰京する。
帰って、やるべきこともあるのだ。

心にひっかかっている、幾つかの事柄を整理しなければいけない。



朝日が、海を彩る。
キラキラとして鮮やかであって、暖かい照り返しである。
春・・・なのだ。



山桜は既に満開であって、蕊を残す樹も多い。
伊豆は、やはり暖かいのだ。



波の寄せ来る様も、日差しを浴びて暖かく見える。



朝の海。
潮騒の聴こえる宿は、ここち良い。

母の一頃に抱かれてでもいる、そんな錯覚に襲われるのだ。







「行き一分帰り三分の桜咲く」







山桜が散る遊歩道。
一昨日の雨模様と打って変わって、晴れ間が覗く天気である。

東京の桜も、やはり2~3分咲きとなっているだろうか?
そうだとしたら、嬉しい。

伊豆に来た時、ソメイヨシノは1分咲きだった。
今日はもう、3分咲きになっている。

一気に咲く花である。
従って、散り時も一気なのだ。

そこに、日本人の魂は魅せられたのだ。
桜の、一瞬の季節が来た。



      荒 野人



沈丁花

2014年03月28日 | ポエム
沈丁花に、白と赤があるのは既に知られている。
特段、贔屓目に云う訳ではないけれど、匂いの強さは赤に軍配が上がると思うのだ。

この時期、薄明の街を歩いていて「そこはかとなく」鼻を突くのはやはり赤色の沈丁花のような気がする。



沈丁花の季節、最初は何の臭いかと戸惑ったりする。
数日して、花が目に付きだすと「嗚呼、あの匂いは沈丁花だった」
「そうか…沈丁花」
などと変に合点したりするのである。







「その角の誘い誘わる沈丁花」







この匂いは、鼻孔を甚(いた)く刺激する。
まるで、女が男を誘うような・・・そんな甘美で猥雑な匂いである。

けれど、決して卑猥に堕してはいない匂いである。



沈丁花の花言葉は・・・。
「栄光」「不死」「不滅」「歓楽」「永遠」である。




文部省唱歌 朧月夜





名前の由来は香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられた。
学名の「Daphne odora」の「Daphne」はギリシア神話の女神ダフネに因むし「odora」は芳香があることを意味する。


朧月夜こそ、この匂いは相応しい。
ギリシア語で月桂樹の意味を持つ、高貴な花なのである。



      荒 野人

貝母の花

2014年03月27日 | ポエム
貝母・・・バイモである。
初春の花であって、茶花としても珍重される。



正しく「素」とそして「凜」と咲く。
大好きな花である。

別名「アミガサユリ(編笠百合)」ユリ科バイモ属の半蔓性多年草である。
原産地は中国。







「貝母咲き素にして凜の行燈の」







花言葉は「謙虚な心」である。



茎頂に2つほどの花を下向きに咲かせる。
花被片は淡緑色で6個ある。
花径約3cmで鐘状花であり、内側に黒紫色の網目状斑紋を持つ。
地下に鱗茎を持ち、梅雨頃から休眠する。
鱗茎は二枚の厚い貝状の鱗片が相対しており、貝母の名のもととなっている。



この花、古来から薬草としても珍重されていたのである。
そもそも、日本には薬用植物として入ってきた。
鱗茎をせきどめや止血、解熱などの薬用に利用するのである。

有用で有る無しに関わらず、素敵な花である。



    荒 野人

実は、昨日から伊豆に来ている。
春を探しにきているのである。
温かな気候に癒されている。
潮騒を聞く、宿にいる。
海鳴りを聞きながら寝た。
今日も明日も、伊豆にいる。
帰ったら「からまつ」の春の吟行である。