エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

蜜柑(みかん)

2010年01月31日 | 日記
蜜柑が食べられることもなく「たわわに実って」いる。
家の近くである。

このまま春を迎え、また冬に向かう。
例年の習いである。





       蜜 柑


    季節はずれの蜜柑が夕陽を照り返している
    誰がもぎ取るわけでもないのに
    こうして実をたわわにつける

    鳥も食べず
    人も食べず
    だがしかし
    豊かに実りの季節を迎え
    人知れず終わりを告げる蜜柑

    見向かれない寂しさをひっそりと
    たたえて
    蜜柑は孤高の精神を満腔に詰め込んで
    夕陽を照り返すのだ

    蜜柑は恥ずることもなく
    決して怯(ひる)まない
    蜜柑の孤高の精神は
    誰も気づかない
    誰も一顧だにしない

    それでも蜜柑は
    蜜柑であって
    美しい唇に齧(かじ)られることを渇望している

    誰も食べようとしない蜜柑にこそ
    美が在って
    甘美な時間をたたえている

    それは
    まるで時空を閉じる瞬間のように





今日昼ごろの雲である。
冬の雲ではないような・・・。

ところで、この蜜柑いつもある夜に掻き消える。
誰が収穫しているのか、それは知らない。
公然の秘密である。




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                        荒野人

なごり・・・という美しい言葉

2010年01月31日 | 日記
今日の日差しは、陰っている。
風はひんやりとしているけれど決して寒さは感じない。
この日差しはもう春へのランディングを目指しているのである。

明日は東京も雪がぱらつくらしい。

してみると明日の雪は「なごり雪」であろうか。



欅の葉は完全に落としきった。



木芙蓉の蕾から、種子はほぼ飛び去った。
新しい芽ぶきの準備は終わっているのである。



まゆみの実がカラカラに乾ききっている。
澄んだ空の色に溶け込んで、季節の気配をより一層高めているのである。

季節の気配・・・それは自然の摂理であって、いまなら冬の気配である。



やはり乾ききったススキの穂である。
真綿の部分は殆ど飛び去っていて、細身に変身してしまっている。

時間という季節が削(そ)ぎ落としたのである。



真っ赤な南天の葉が、逆光に身を晒している。
より鮮やかな赤が現れるのである。

その赤さは、本当に難が転じられるかのようでもある。



桜の枝がそろそろ赤みを帯びてくる。
遠めからこの空間は少しだけ赤みを感じられるのである。

春を待つ気持ちがそう見せているのかもしれない。

今日の散歩の道すがら、ぼくはイルカの歌う「なごり雪」を口ずさんだ。

     汽車を待つ君の横で
     ぼくは時計を気にしてる
     季節外れの雪が降ってる
     「東京で見る雪はこれが最後ね」と
     さみしそうに君がつぶやく
     なごり雪も降る時を知り
     ふざけ過ぎた季節のあとで
     今 春が来て君はきれいになった
     去年よりずっときれいになった

この歌は、伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲である。
1974年、かぐや姫のアルバム『三階建の詩』の収録曲として発表された。
翌1975年にシングル発売されたイルカによるカバーバージョンが大ヒットしたのだった。
以降、日本の早春を代表する歌のひとつとして歌い継がれているのである。

今日の散歩は気持ちが洗われたのである。

きみは、春になるときっとより一層綺麗になっていると思う。





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チョゴリという山

2010年01月30日 | 日記
チョゴリザとはバルティ語で「大きな山」という意味である。
抜けるように白い雪に抱かれた山である。

1892年、イギリス人W・M・コンウェーは、この秀麗な山を見て「ブライド・ピーク」(花嫁の峰)と名づけた。



なるほど白い峰である。
カラコルムにはこうした「白きたおやかな峰」が連なっている。

ちなみに北杜夫の「白きたおやかな峰」はディラン峰である。

エピローグにコメントを寄せていただくちょごりさんのハンドルネーム「ちょごり」はこのチョゴリザがそのルーツであると聞いた。
ちょごりさんは、必ずや花嫁のように初々しい存在であるとおもっているのである。

勝手な解釈であるけれど、ちょごりさん・・・それで良いですね!



今日の午前中、NHKのアーカイブスで世界の百名山を白川義員さんの写真とともに再放送していたのである。

画面に魅入られてしまった。
とりわけ、チョゴリザは美しい山である。

カラコルム山脈中央部、上部バルトロ氷河の南にそびえる高峰である。
標高7654メートル。
古く、インド測量局のモントゴメリーにより「K6」と記録された。

チョゴリザ、花嫁の峰である。

ちょごりさんが、イ・ビョンホンさんを「美しい人」といつも表現するのだけれど、ご自分のハンドルネームと重ね合わせた表現であるのだと合点したのである。



ちょごりさんは、今もなお眼の具合がよろしくないのだと推測する。
早い全快を祈るのである。




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グアムの虹三昧

2010年01月30日 | 旅行
南の島はスコールが来る。
それはとても気持ちの良い風と涼やかな冷気とともにやってくる。

道路も歩道も水浸しになるけれど、その後の虹が期待できるのである。
ぼくは一旅行者にすぎず、従ってどの方向に虹がかかるのか予想もできないけれど楽しみなのである。



この虹の下は、もう雨など忘れ果てているのである。
波がたゆたい、時間がゆっくりと流れているのである。



信じられないではないか。
空には虹がかかり、ついさっきまで大雨が降っていたのである。

この波打ち際は、ちょうど波が引く時である。

寄せる波より、引き潮の美しさは比類無きものである。
キラキラと輝くのである。



このように、あまり大きくしてしまうと虹の気配は失われて、たんなるニジになってしまうのである。
やはり、空にかかる橋のように眺めるのが良い。



消え入る虹の姿である。
豊かだった一瞬の輝きが徐々に失われていく時、ぼくはその時も大好きだ。

盛者必衰である。
太陽は必ず落日の時を迎えるのである。

しかし、また必ず昇ってくる。
輪廻転生こそ真理である。
そう信じたいのかもしれない。



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ある夕景・・・記憶の彼方

2010年01月29日 | 日記
ある夕景である。
この空は、東京の空ではないのである。
空気が清浄なのか美しい夕景が広がっているのだ。




         ある夕景


      美しく澄んだ大気を
      胸いっぱいに吸い込んで
      あなたは
      どこへ翔けていくというのだ

      タッタッタッと
      あなたの足音の波動がぼくの鼓膜を叩く

      この夕景は
      叙情でなく
      実情であるのだ

      ぼくは
      あなたを追いかけて
      茜色の彼方へと
      駆け抜けていく

      ぼくの足は
      腫れ上がり
      いたいけな涙を
      流すに違いないのだ

      あなたは
      ぼくの涙を
      拭って言うに違いない

      夕景に
      捧げよ
      と
      全身全霊を賭けて
      翔けつづけよ
      と

      そこに
      甘美なうなじが待っているから
      と





夕景に家々のシルエットはより美しく変身するのである。



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