エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

河骨の

2012年06月30日 | ポエム
河骨の黄色い花が満開である。







 「河骨や花の嵐の水鏡」







本当にかそけき花なのだけれど、ここまで群生していると見事tとしか言いようが無い。
睡蓮とは違って、花弁は単色で単調な花であるけれど、池や沼あるいは又緩やかな川の流れにあると一際生彩を放つ。

睡蓮の脇役に見られがちだけれど、こうして群生していると主人公である。
不思議な水生植物である。







 「河骨の群舞したるも収まらず」




河骨の花言葉は「崇高」「秘められた愛情」である。



コウホネ(河骨、川骨)の名の由来であるけれど、浅い池に咲くのは良く見かけるけれど、流れの緩い小川に出現することもあり根茎が骨のように見えることからである。

河東碧梧桐に下記の句がある。




 河骨の花に集る目高かな
        河東碧梧桐




明治28年の作。
河骨の花に目をやり、その下の水に目を凝らせば、目高が集まって生き生きと泳いでいるのがわかる。
人の目を通すことによって、河骨の花と目高との関係が必然の関係となって、夏の涼しげな沼沢の景色となった。

という鑑賞がある。
良く観察した結果の句である事が分かる。
だがしかし、メダカが少なくなって絶滅が心配されている昨今である。



今、花の下には何が蠢いているのだろうか。
生き物を記録する事の難しさが伝わってくる俳句である。





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  荒 野人

トマトの花と茄子実る

2012年06月29日 | ポエム
トマトの花が咲いているけれど、実も大きくなっている。
色づけば収穫できるサイズである。







 「未熟なるトマトの列のカーブかな」







人に食べられるために咲く花であり、実である。
何と嬉しい事だろう。

自然の営みに感謝である。







 「つやつやのなすびのおもき光かな」







茄子は見事に生っている。
瑞々しくもあり、甘味が感じられるのである。



夕食は、茄子の煮びたしを頂いた。
イカ飯を焚いた汁で煮込んだのであるけれど、匂いが充満して左翼欲をいたく刺激した。

いつもは、一つ食べれば満足なのであるけれど二つも食べてしまった。
秋茄子は美味いけれど、やはり旬の茄子はいけている。

旬を詠うのは楽しい。
駄作であっても、素直に読めるのが良いのである。
食い物の俳句は捻ってはいけない。
味が伝わらないのである。



雨の予報に突入した時間。
夕方の空である。





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  荒 野人

軽鳧の子とカタバミ

2012年06月28日 | ポエム
軽鳧の子(かるのこ)がいつ親離れするのか、興味深々である。



この池は湧水では無いだけに、水が少しばかり汚れてしまっている。
軽鳧の親子は、寄り添うように泳いでいる。
池の一部に葦原が設えてあって、カラスから身を守る事が出来る。

他の池では、カラスに子鳧が襲われてしまったといった話を聞くけれど、この池には二組の親子が棲息している。
嬉しい生き物であり、可愛いさがひとしお募る生き物である。







 「軽鳧の子のか細き生命愛おしく」







軽鳧の池では、亀が多数棲息している。
晴れた日など、甲羅干しに余念が無いのである。

我が家の鉢にいつの間にか「カタバミ」の花が咲いていた。







 「カタバミの血潮が透ける可憐かな」





淡いピンクのグラデーションが良い。
少しばかり季節遅れだけれど、精一杯愛でてやりたい花である。



何だか知らないけれど、松の緑が神々しく見えた。
こうした若葉ですら、季節を謳歌する。
ましてや、人が謳歌しない筈が無かろう・・・。





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  荒 野人

朝の露

2012年06月27日 | ポエム
今朝は、昨朝と同様好天の気配である。
正に「梅雨の晴れ間」といった風情である。



朝の日差しは、だがしかし真夏のカンカン照りとは違って「穏やかで」「柔らかい」のである。
ぼくは、今朝もあたかも漂泊者のように朝日を浴びに出かけたのである。

青嵐も、優しく微笑んでいる朝であった。







 「万緑の朝の陰影染まりいく」


 「漂泊す万緑の中珈琲呑みぬ」






緑が濃くなっていて「万緑」の朝である。



缶コーヒーを飲む人は「出世」しないとか・・・。
そんな戯言のような書籍があったっけ!!

どうだって良い。
散歩中の缶コーヒーは、乙なものであるからだ。







 「朝の露涼しき君に捧げたり」






朝の散歩中、実に、実に、実に久しぶりに朝露を愛でた。
朝露を愛でた日・・・言いかえれば「昨日」の事であるけれど、日本の政党政治が大きく綻んだ。

政局の予感が、悪寒のように過(よぎ)ったのである。
朝露の清涼な気配を、だからこそ君に捧げよう。




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  荒 野人

ベートーヴエンとスカイツリー

2012年06月26日 | ポエム
機会に恵まれて「フォイヤーヴェルク管弦楽団」の定期演奏会を聴いた。
コンダクターは鷹羽弘晃氏。
プログラムは・・・。



である。



ここは、錦糸町駅前通りである。
会場は「墨田トリフォニーホール」大ホール
スカイツリーのお膝元、錦糸町駅から徒歩2分の場所なのである。







 「豊かなるヴィオロンの響き水中花」







閉演後のステージである。
演奏中や演奏前に撮影するのは、憚(はばか)られた。
遠慮申し上げたのである。
従って、この映像でご勘弁いただきたいのである。

この楽団は、結成してからまだ十数年の歴史を刻んだに過ぎないけれど、なかなかに良い音を出している。
大学生と社会人の混成である。
大学は東京大学、東女、一橋、慶應などである・・・。

演奏会のプログラムの感想は・・・。

ロッシーニはロッシーニらしい雰囲気が良く出ていた。
モーツァルトの第39番の二楽章は、繰り返し出てくる主題が良くこなれていて、心地良く聴けた。
ベートーヴェンも良かった。

管楽器は良く響いていた。
金管楽器の一部に破綻があって、何回か耳に障った。
けれど、アマチュア楽団としてはトップレベルに達していると言える。

次回の演奏会も、チャンスがあったら聴きに行きたい!
そう思わせる演奏会であった。

この演奏会は、ブログで知り合った方の御子息がコンサート・マスターである事から知ったのであった。
ネットでチケットをお願いし、聴きに行ったのである。

知り合いの御子息でコンマスは、凛凛しい青年であると見た。
ぼくは三階の下段の席を占めたのであり、楽団員の顔を眺める事は出来なかった。
けれど、一眼鏡で覗いた結論である。



さて、ここはスカイツリーのお膝元である。
従って、ほぼどこからでもスカイツリーが見られる。







 「スカイツリー高さの極み柘榴咲く」







柘榴である。
今頃は、コケティッシュな赤い花が沢山咲いている。

これは花柘榴(ハナザクロ)であろうか?
花が終わって、結実する頃にはかなりの実が淘汰されてしまう。
おそらく、実を捥(も)いで食べる人はいないのだと思うのである。



スカイツリーは大きいし、背が高い。
日本の技術力の高さには感服するのである。
流石、見上げてしまう。





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  荒 野人