エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

木犀に噎(む)せよ!

2014年09月30日 | ポエム
木犀の薫りは・・・君の吐息のようだ。



花言葉は「謙虚」である。
春の沈丁花、夏の梔子とならぶ薫りの気高さである。







「金木犀花の隙間の風染むる」







この季節でしか感じ得ないのが、追憶という深奥の孤独である。



木犀は、孤高ではない。
周囲を圧倒する訳でもない。

ただ静かに咲き、やがて零れていくのである。
その佇まいが良い。

あくまでも謙虚なのである。



馥郁と香るとか、甘い囁きだとか言うけれど・・・。
ぼくの記憶には、青春時代と刻まれている。







「木犀の薫りは君の吐息かな」








あの甘い、甘すぎる初恋の記憶である。
とりわけ・・・君が甘い。




       荒 野人

土井たか子死す!

2014年09月29日 | ポエム
まずもって「土井たか子」さんの逝去を悼む秋である。







「たか子忌や頑ななまでの戦わず」

「この角を曲がってはならぬたか子の忌」




「山が動いた」
駄目なものは駄目!
断断断固として、国政に望んだ。

彼女は、時として教条的なまでに筋を通したのであった。
9月20日は「たか子忌」として彼女の死を悼む事とする。



この報にふれた時、滂沱として流れる涙があった。
柔らかな秋の光の中で安らかに、と言うしかない。

土井たか子は、ある意味で同志でもあった。
土井たか子は、憲法九条の守護神であり美神でもあった。

土井たか子の死によって、ぼくたちの時代が終わる。
文化も、政治も、そしてアイデンティティさえも失ったような空虚さである。
滂沱として流れたものは、その追憶だったのかもしれない。

土井たか子よ、安らかに時代を抱きしめ成仏せよ!
黙祷!




     荒 野人

猿の惑星:新世紀(ライジング)を観た

2014年09月28日 | ポエム
取り急ぎ観た・・・そんな感じである。
敢えて、時間を作って観るまでも無いかもしれない。



チャールトン・ヘストン主演の、第一作目のインパクトが強く印象にあるからである。
煎じ薬も、ここまでシリーズを重ねるとやはり陳腐化し味が薄まる。



敢えて、猿の惑星とする必然性も無い。
そんな感じである。



映画『猿の惑星:新世紀(ライジング)』予告編




とまれ、映画は観た。







「この星の過去と未来と今の秋」







示唆するものは、地球の未来。
猿の強烈な意思。

けれど、猿の惑星になり人類が滅亡するとは感じられない。
結論も曖昧である。



そろそろ、結論づけてシリーズは終わりにしたら良いのではないか。
ライジングと称する割に、旧態依然の地球が描かれるのである。

けれど、特殊メイク技術の向上は素晴らしい。




     荒 野人

秋桜2

2014年09月27日 | ポエム
国立昭和記念公園のコスモスが見頃を迎えている。
けれど、丘を埋め尽くす花はまだ満開となっていない。



今の満開は、みんなの原っぱの西花畑と東花畑である。
だが壮観だ。



秋桜





秋桜は、さだまさしの楽曲である。
山口百恵も良いけれど、さだの歌も格別に聞こえる。



こもれびの丘のコスモスは、視線を覆い尽くすのだけれど、その状況はもう少し時間を置かなければならない。
それでも、咲き始めの初々しさ気配である。

幼稚園児たちの集団が多かった。
園児たちも花の美しさに歓声を上げる。
けれど、列を作らされて行儀よく観察するさまは少しばかり哀しい。

自由に遊ばせてあげたいものだが・・・。



従弟と二人して出かけたのだけれど、昼食はジンギスカン・フェアのレストランでジンギスカンを楽しんだのであった。



久しぶりの羊肉。
美味しく頂けたのであった。



従弟は焼奉行と言いつつ、焼き役に徹しつつぼくの皿に焼き上がった肉を載せてくれる。
ドラえもんの指と、ぼくがからかう従弟である。
ねっ・・・指が短いでしょう!

とまれ、美しい休日となった。







「コスモスの下に子どもが隠れたよ」







この花は、東花畑の白系のコスモス。
可憐であった。



帰り際、出入り口の花壇にチョコレートコスモスがあった。
砂糖のたっぷり入った、甘いカカオの匂いがした。



      荒 野人

秋桜

2014年09月26日 | ポエム
今日は、巾着田のコスモス畑を紹介しよう。
満開は、まだ先の事である。



概ね、二分咲きといって良いだろう。


秋桜



ぼくの大好きな歌である。
とりわけ「あなたの優しさが沁みてくる」という感性に涙する。
母を思い出すのに充分な言葉である。



この時期になると、母の膝に寝転んで耳を掃除してもらった記憶が蘇る。
優しい母であった。
その母は、コスモスと一緒に旅立った。







「葉の下の息づくほのお秋桜」







たおやかに揺れる秋桜こそ、秋の風情である。



女性が、コスモスに近づいて写真を撮っている。



彼女の息使いが、コスモスをさらに美しく見せる。
コスモスにとっても、至福の時間であるに違いない。

花は、声をかけられたり・・・あるいは愛されると更に輝きを増すものだ。



暫くは楽しめる巾着田のコスモスである。




      荒 野人