エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

平林寺の紅葉

2014年11月30日 | ポエム
昨日の暖かさからは、少しばかり後退。
日差しは、時々であったけれど平林寺の紅葉の見頃であった。



錦秋と口に出していけない佇まいである。
平林寺と云う「古刹」の居づまいに襟を正す、そんな風情なのである。



ここには、松平伊豆之守(知恵伊豆)一族の墓所がある。



苔むした石の灯篭が歴史の重さを語る。



とりわけ、この松平家の墓所から先が紅葉の名所である。







「葉の先の白き壊死から冬紅葉」







平林寺は、禅寺である。
従って、こうした公開された寺院には珍しく「年中無休」である。

寺院境内には、野火止用水が通っている。



「野火止塚」である。
斜面に映える紅葉は、見事である。



野火止塚の前の径である。



養生池に映る紅葉の赤が、一層見事である。



寺院内の用水路には紅葉が散って、水の色を変えているのだ。
その、メリハリも良い。



見上げれば・・・見頃なのである。
見頃、ということは色の退化が始まっているのである。

白き壊死、と捉えたのである。




       荒 野人

落葉一葉「オリーブ」

2014年11月29日 | ポエム
熟すと、黒く変色するオリーブの実。
艶々として、お日さまを跳ね返している。

地中海のキラキラした陽光と、白い壁の家々を連想させる。




「オリーブの一葉咥え鳩の口」




今頃、東京ではオリーブの実が黒く熟している。
その黒さは、冬日を映しつつ且つ光を反射させる。

黒々としたその光は、鋼のようにも見えて逞しい。
ぼくは、いつもお気に入りのオープンデッキのカフエでその実を眺めている。
小宇宙のようでもあり・・・その意味では食欲は湧かないけれどイタリアンをちょっとだけ脳裏に浮かべる。

楽しい時間である、



       荒 野人

落葉一葉「櫨」

2014年11月28日 | ポエム
櫨は、うるし科に属する。
だから、あれほど赤いのである。

万緑の季節、紅葉の季節と実に豊かな葉を茂らせる。
山𥽜、南京𥽜と二つの種ががいろじゅとして植栽されている。

どちらも、見事な紅葉である。
同時に紅葉前の、豊かな葉の茂りには感嘆するしかない。




「はぜもみじ内に光の棲家かな」




𥽜の紅葉は、何故かしら内側から始まる。
緑の葉の茂る奥に、ほっこりと赤い葉が生まれる。

そう・・・まるで炎のように晩秋を告げるのだ。
そう・・・夜目には、まるでほむろのように妖しげに見える。
きみのように、妖しく蠱惑的ですらある。



       荒 野人

氷雨

2014年11月27日 | ポエム
この二日間の雨は、山茶花梅雨とも山茶花時雨とも云う。
日中から気温は上がらず、凍えてしまった。

けれど、こんなチャンスはなかなか無い。
そう思って、雨の日景色を探しに出かけた。
寒いけれど、カフェに入りこんだりして凌いだのであった。



水たまりの水の輪が凍えている。
そんな風に見えるのだ。



雨に叩き落とされてしまった赤い葉は、欅の枯葉である。
欅紅葉も、雨に濡れるとより鮮やかに見える。



風景の霞み具合も、宜しい。
このホンワカした風情が、良いのである。







「広々と画板染めゆく氷雨色」







ベンチに敷き詰めた銀杏。
誰も座らないけれど、客を招いている。



山茶花の濡れ具合も、好きである。
花と葉と、それぞれが個性を発揮するのは雨の降っている時だけである。

この風景に出会えるのは「僥倖」なのである。




       荒 野人

平林寺そろそろ見頃

2014年11月26日 | ポエム
昨日、今日と雨に降り籠められている。
湿っぽい空気、そして世間の暗さ・・・秋の長雨が返って来たのである。

さて、平林寺がそろそろ見頃を迎えようとしている。
京都にも負けない「赤」が際立つのである。



赤と翠。
今の未成熟な季節を表して、妙なる調和を醸し出す。
若さのシンボルとでも云おうか・・・。



こうした、混沌たる様は見ていて気持ちが良い。
明日の素晴らしい成熟が予想できるからである。







「紅葉まだ不如意と云えり透過光」






けれども、既に赤が完成している木々もあるのだ。



シチュエーションにもよるのだろうが、
対象となる、屋根や壁などが引き立てるのである。



けれど、こうして既に完成している赤もあってぼくたちを酔わせる。
深みのある「赤」は紛れも無く、成熟した女・・・である。




       荒 野人