エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

車輪梅の実

2017年10月31日 | ポエム
車輪梅の黒い実生が、以外に艶やかであるのだ。
車輪梅の実は、歳時記に記載が無い。
車輪梅の花は、春。



車輪梅の実生は、毒がある。
けれど、樹皮は「大島紬」の染料となっているのである。

今日凩の中で、黒い実生を見つけた。
その黒さはまだまだ熟しきっていなかった。

もっともっと黒くなるのである。







「車輪梅黒き実生に宿る秋」







いくらか、仄紅さが残っている。
その仄紅さは、恥じらっているかのようで好感が持てる。

今年は、奄美大島旅行は控えてしまった。
少しばかり体調が悪かった、からである。

来年は、孫娘を連れて行こうと思っている。


      荒 野人

また台風の週末

2017年10月30日 | ポエム
我が家の玄関に置いてある、鉢植である。
三年前に、お隣さんから頂いた鉢植である。



根気よく毎年咲いてくれる。
楚々とした、花である。

「マッソニア」と云う花だと聞いた。



さて、今日はマッソニアの事ではない。
二週続いている、台風の事である。

この秋は、天候に恵まれない。
気候不順は、いよいよ現実のものとなって人類を襲っている。
この星を憂うるのである。
この星が生きている以上、死ぬる事もあるはずだからである。

その場合、死ぬる場合であるが人類の仕業以外の何物でもない。
人類が、自らこの星に死を賜うのだ。
自らの生の営みを、否定する事なのだ。

「この国の明日への不安冬隣」

先の総選挙の結果もそうだった。
原発推進の政党が勝利した。
戦争法を積極的に推進した政党が勝利した。
国民の問題意識から遠い政党が勝利した。
国民が求める課題を否定する政党である。

しかし、その政党は選挙後の世論調査の結果不支持が支持を上回っている。
なんという不条理だろうか。

この結果を将来した政党の代表は、おめおめと国会議員として地位を保証されてしまった。
誠に、慚愧に堪えない。
モラルハザードは、度し難く進行してしまった。

この星が、危ういというだけでない。
この国がその前に、危うい。

ぼくは、ブログの中で政治的発言はしない事を信条としてきた。
それでも、念に一回くらい我慢ならない時には発言してきた。
だがしかし、今は発言しなければならぬと決めた。
俳句と云えども、社会的地位を占めなければならないからだ。
社会的存在でなければ、俳句に何の意味も無いからである。
社会を映す鏡とならなければいけないと思うのである。

だから、社会的惨事もまた忘れてはいけないのである。
俳句は、花鳥諷詠だけが旨ではないのだから。

そうそう因にマッソニアの花言葉は「あこがれ」だと云うのです。
ぼくは「甘い言葉」としたいな・・・。
花が、まるで砂糖菓子のような印象だから。


      荒 野人

一位の実

2017年10月29日 | ポエム
週末は雨。
然も、二週続けて台風襲来。
皆様、いかがお過ごしですか?
天高し、の秋は遥かな昔の物語。

一位の実である。
晩秋の甘い甘い、味覚の代表格である。
「あららぎの実」でも良い。



ぼくはこの秋、一位の実をおよそ数十粒収穫した。
バス停の傍の生垣なのだけれど、その生垣のある土地は空地なのだ。

だから・・・。
収穫しないと、ぽろぽろ零れるばかりである。

この生垣の一位の実は、もう触れるだけで零れてしまう。
収穫した分と同じくらい、零れてしまっている。
しかも、葉の間に覗いていると云った体である。







「一位の実こっそり笑みて零れけり」







最後に一個を,昨日収穫した。
これは、その場で口に放り込んだ。

晩秋の甘さが広がった。
因に、この種は毒がある。

種は呑み込んではならないのである。


      荒 野人

山茶花

2017年10月28日 | ポエム
山茶花。
ツバキ科である。
「ひめつばき」と表記しても良い。
歳時記には、ちゃんと載っているからである。



細見綾子に、
「山茶花は咲く花よりも散っている」
という句がある。

綾子女史に敬意を表して、ピンクの蕾にした。

ぼくは、山茶花が咲く頃には「産土」が想起されてならない。
何か哀しい思い出とともに、山茶花に韜晦してゆく気分である。







「山茶花の遥かに在りし山河かな」







山茶花は、蘂を隠すように咲く。
少しばかり、恥ずかしがり屋さんなのかもしれない。



きっと、いつまでも乙女なのだろう。



     荒 野人

豆柿

2017年10月26日 | ポエム
ぼくの田舎では、豆柿と云う。
けれど、都会では「アマンド」などとお洒落に云う。



この小さな柿は、もっともっと黒く乾いて、しわしわになるのを待たなければ食べられない。
この時点で食べてみても、ただ渋く不味い。







「豆柿の笑みている空ティータイム」







このアマンド、孫娘の幼稚園の木である。
今日、ようやく幼稚園の運動会が行われたのであった。

今までは、小学校の校庭をお借りしていたので「アマンド」の木があるのは知らなかった。
よく園庭を歩いてみたのだが、ポポーなる果実の木もあった。
ポポーは、南米原産の果実である。
例えれば、ドリアンのような味わいである。



豆柿に、思わず田舎を思い出してしまった。
幼稚園の運動会が昼に終わり、帰宅して昼食を頂いた。
珈琲を飲みながら、このブログを書いている。


      荒 野人