不祝儀があって、ここ数日留守にしていたのである。
昨夜遅く帰宅し、いまPCに向かったところである。
従って、ブログも更新する余裕が無く放置していたと言う訳である。
さて・・・。
被災地では人の悲しみとは無縁であるかのように、桜花が咲いている。
とりわけ「三春町」では日本三大桜の「三春滝桜」が咲き誇っている。
花が滝のように枝垂れるのである。
因みに三大桜とは「根尾谷淡墨桜」国指定天然記念物・所在地 : 岐阜県本巣郡根尾村
「山高神代サクラ」国指定天然記念物・所在地 : 山梨県北杜市武川町山高2763
そして「三春滝桜」国指定天然記念物・所在地 : 福島県田村郡三春町大字滝桜久
である。
これは、根尾谷淡墨桜である。
これは、山高神代サクラである。
いずれも枝垂れ桜であって、見事な枝ぶりなのである。
桜もそうだけれど、花は季節を忘れない。
自然の摂理のままに咲き競うのである。
人間がその自然の摂理を無視し続けてきた。
否、むしろその摂理を乗り越えられると錯覚し続けてきたのではなかったのか。
ノアの箱舟は、するどくその傲慢を警告し続けていたと言うのにだ。
先週の不祝儀の前、ぼくはこの神代桜を見に出かけたのであった。
先週の神代桜である。
この神代桜のそばに、やはり一本桜で「神田の大糸桜」がある。
木がかなり弱っていて、風避けネットが張られていた。
しかし、満開に近く素敵に咲いているのであった。
丁度八ヶ岳の麓は桜の季節であった。
神代桜の傍にある、桜並木である。
今を盛りと咲き誇っているのである。
東京の桜花は、葉桜へと移行する時期であるけれど、この八ヶ岳の麓はまだまだ桜花吹雪も無く、静謐な咲き方であった。
二年前はチューリップ畑であったけれど、今は水仙畑になっている。
チューリップ畑のままで楽しみたかった!と地元の農家の方が言っているのだけれど・・・。
実は鹿が球根を食べてしまうのだそうである。
やむを得ず、水仙に切り替えたと残念そうであった。
しかし、枝垂れ桜の下で咲く水仙は見事である。
ここは一ノ宮の桃畑である。
季節は新緑の色彩から、徐々に万緑へと移ろうのである。
季節を忘れない自然の在り方に、今ぼくたちは何を学びとらなければいけないのか!
傲慢な死生観を抱え続けてはいけないのだ・・・と。
人の死生を前にして、そうした事を考えさせられた不祝儀の数日間であった。
にほんブログ村
荒野人
昨夜遅く帰宅し、いまPCに向かったところである。
従って、ブログも更新する余裕が無く放置していたと言う訳である。
さて・・・。
被災地では人の悲しみとは無縁であるかのように、桜花が咲いている。
とりわけ「三春町」では日本三大桜の「三春滝桜」が咲き誇っている。
花が滝のように枝垂れるのである。
因みに三大桜とは「根尾谷淡墨桜」国指定天然記念物・所在地 : 岐阜県本巣郡根尾村
「山高神代サクラ」国指定天然記念物・所在地 : 山梨県北杜市武川町山高2763
そして「三春滝桜」国指定天然記念物・所在地 : 福島県田村郡三春町大字滝桜久
である。
これは、根尾谷淡墨桜である。
これは、山高神代サクラである。
いずれも枝垂れ桜であって、見事な枝ぶりなのである。
桜もそうだけれど、花は季節を忘れない。
自然の摂理のままに咲き競うのである。
人間がその自然の摂理を無視し続けてきた。
否、むしろその摂理を乗り越えられると錯覚し続けてきたのではなかったのか。
ノアの箱舟は、するどくその傲慢を警告し続けていたと言うのにだ。
先週の不祝儀の前、ぼくはこの神代桜を見に出かけたのであった。
先週の神代桜である。
この神代桜のそばに、やはり一本桜で「神田の大糸桜」がある。
木がかなり弱っていて、風避けネットが張られていた。
しかし、満開に近く素敵に咲いているのであった。
丁度八ヶ岳の麓は桜の季節であった。
神代桜の傍にある、桜並木である。
今を盛りと咲き誇っているのである。
東京の桜花は、葉桜へと移行する時期であるけれど、この八ヶ岳の麓はまだまだ桜花吹雪も無く、静謐な咲き方であった。
二年前はチューリップ畑であったけれど、今は水仙畑になっている。
チューリップ畑のままで楽しみたかった!と地元の農家の方が言っているのだけれど・・・。
実は鹿が球根を食べてしまうのだそうである。
やむを得ず、水仙に切り替えたと残念そうであった。
しかし、枝垂れ桜の下で咲く水仙は見事である。
ここは一ノ宮の桃畑である。
季節は新緑の色彩から、徐々に万緑へと移ろうのである。
季節を忘れない自然の在り方に、今ぼくたちは何を学びとらなければいけないのか!
傲慢な死生観を抱え続けてはいけないのだ・・・と。
人の死生を前にして、そうした事を考えさせられた不祝儀の数日間であった。
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