エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

時ならぬ雪

2012年02月29日 | ポエム
如月の最後の日、朝から雪が降り積んでいる。
雪が降っているから、寒くは無い。

雪国育ちで無いぼくは、こうした雪が嬉しい。
雪国で雪を相手に格闘されている皆さん、御免なさい。



しんしんと降る。
雪の降るさまを描写した言葉である。
美しい表現である。






      間断もなく降る春の雪淡く          野 人

      髪乱し駆け行く君の雪の渦         野 人








      降るさまはしんしんと落つ春の雪       野 人





とまれ、明日は気温が上がると言っているから、あっという間に溶けるに違いないのである。
時ならぬ雪は見ているだけなら楽しい。





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      荒 野人

「天山」という中華料理屋さん

2012年02月29日 | グルメ
今日は朝から時ならぬ雪模様である。
昼過ぎまで、降り続くのだと予報されている。



お隣さんとの境目である。
かなり積りそうである。




      音を消し気配を吸って街の雪         野 人




さて、今日の俳句はここまで。
俳句と離れてグルメというカテゴリーのまま日記を綴りたい。

「天山」なかなかにインパクトのある店である。
さしずめ、今日ならこの場所には辿りつけない。
雪に遮られてしまうからである。

きっと、天山のプレハブにも雪が降り積んでいることだろう。
幸い、天山は水曜日が定休日である。



道端にある看板はこれだけである。
向こう側から来た車は多少は分かるかもしれないけれど、こちら側から来る車には何の看板なのか判然としない。

不親切な看板である。



この路地・・・そう路地を曲がるのである。
この路地を曲がると、ようやくこの看板が目に入ってくる。

なるほど、ここで良いのだな!
と合点がいくのである。



これがお店である。



プレハブ作りの店構えである。
変哲もない、と言えばその通りである。

店内は、カウンターのみ。
七つほどの止り木がある、といった風情である。

周囲は、竹林と雑木林のみ。



花と言えば枇杷の花がこっそりと入口の横にさいているのみ。
なんという殺風景であろうか。

だがしかし、出てくる料理は本格派であった。



これはウンペイロー。
「雲白肉」と書く。

味は自家製のラー油の辛さが鮮烈であって、ニンニクの辛味も加わって、深い辛さの刺激が口腔と脳を直撃する。
ペロッと平らげてしまった。

下にレタスが敷いてあるのだけれど、それとの相性もなかなかに宜しいのである。
複雑な辛さにレタスの新鮮なシャリシャリ感が合っているのである。



次いで、チーマージャンを核としたスープのない麺である。
坦々麺とは似て非なるものである。

とにかく辛いのだけれど、暫くすると「深い至福の味覚」が訪れる。
徹底的に、かつ良くかき混ぜる。
すると美味しさが一層増してくるのである。



辛さに飽きたら、少し酢を投入する。
味が変わって、またまた美味しく頂けるのである。

せん切りのネギが鮮烈な印象を味蕾に働きかける。
そういった味である。



最後はこれである。
鶏肉と塩のスープソバである。

澄んだスープである。
混ざりっ気の無い味である。

鶏の淡白な味わいと塩のシンプルにして奥行きのある味わいの出会い・・・そんなスープである。
鳥も臭味なく処理されている。

パッと載ったワケギが目にも鮮やかな演出となっている。
しかも味を引き立てると言った按配である。

按配と言えば、こうした漢字表記もある。
「塩梅」
である。

塩味が上手に配分、あるいは配置してある様を言う。
味の追及者・中国人は専(もっぱ)ら、この「塩梅」を使うのである。





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      荒 野人

勿忘草とイチゴ

2012年02月28日 | ポエム
寒さが戻った日、我が家に勿忘草とイチゴの苗が来た。
イチゴは「とちおとめ」と「あまおう」である。

勿忘草は、最近物忘れが多くなったぼくを戒める意味もある。
勿忘草と言えばイタリアのカンツォーネにも歌われている。

ぼくの大好きな歌である。
過ぎ去りし過去の愛をいとおしみつつ歌うのである。
男の純情がせつせつと歌われる。



考えようによれば「めめしい」男の未練の歌ではある。
ところで「めめしい」は、漢字で書くと「女々しい」となる。

従って、変換した瞬間「やばっ!」と思って平仮名表記に変えたのである。
男だって「めめしい」場合があるからである。



世の女性群よ、男優先社会の悪しき風習に及ぶであろうところの、漢字表記を御許しあれかし。



「あまおう」の花である。
俳画に書くと見栄えする花である。

もっともそうでなければ、蜂が受粉の手伝いなどする由もないではないか。




      鉢植えのいちごの花は春田かな        野 人






これは「とちおとめ」の花である。
花を愛でているだけで唾液が出てきそうである。

あぁ・・・たっぷりのスキム・ミルクをかけ、底の平べったいスプーンで、丹念に潰して食べたいものである。
ぼくたちが子どもの頃には「エバミルク」と言ったっけ!

懐かしい食べ方である。
いま我が家でこの食べ方をするのは、ぼく一人である。

かつて品種改良も進んでおらず、イチゴは酸っぱい果物だった時代の名残である。






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      荒 野人

梅も咲かず・・・寒返り

2012年02月27日 | ポエム
梅は咲いたか
桜はまだかいな

と、江戸の俗曲を唄いたいのに、梅も咲かない「寒返り」である。



梅林の白梅はこの通り。
蕾が少し綻んできたかな!
といった風情である。



紅梅が開きつつある。
やはりほの白い梅が咲かなければ、梅の季節到来とはならない。




      梅もまだ咲き揃わぬか春浅し         野 人




ぼくは近所の梅林を散策しながら、少しばかりガッカリしたのであった。



水場のある一画に出向いたのである。
多くの尾長が水浴びをして戯れている。



しかも翡翠までが水面を飛翔しているのであった。
人が感じる気温はまだ寒さ厳しいと思えるのに、小鳥たちにはもう水が温んでいると感じられるのであろうか。





      寒返り池で遊べる尾長かな          野 人





これは先日もお見せしたけれど、三椏(みつまた)の花である。
木の皮が、和紙の原料として珍重される灌木である。
この公園に咲いている。

日本のお札にも、ちょこっと入っている。
「こうぞ、みつまた」の三椏である。




     三椏や枝分かれして花が咲き        野 人




皮を剥くと、白い木が顔を見せる。
枝別れの部分が、正確に三つに分かれているので、生花の材料としても使われているのである。






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      荒 野人

冴え返る・・・だから温室

2012年02月26日 | 
冴え返る。
寒さが「ぶり返す」のである。

今日もそうだけれど、明日も寒そうである。
とりわけ明日は最高気温10度以下と予報されている。

せめて暖かいハイビスカスをご覧あれ!



蕊が「アッカンベー」をしているようであるけれど、実は恥じらい多き花である。
シャイな花であるのだ。



黄色の花弁である。



下向きである。
だから・・・恥らっていると言うのである。



かてて加えて、仏の桑の花「仏桑花」と言うのである。



これはピンクである。
ほのぼのとしたピンクである。



花弁の色は違えど、花粉の色は黄色である。
そこは、共同戦線を張っている。
「種の保存」は共通の課題なのである。

光を浴びたハイビスカスは美しい。
温室で咲き誇るハイビスカスたちである。







      温室のガラス一重や仏桑花         野 人







比較的小ぶりの花である。
コケティッシュな感じである。

日本語には「こつまなんきん」などという言い得て妙な言葉がある。
原産地がどこであろうが、その肢体は同じであって、咲き誇るさまも同じである。

で、花言葉が上品な美しさなのである。




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     荒 野人