満天星躑躅・・・ドウダンツツジである。
晩春の季語だ。
いま丁度満開になっている。
白いお星様の様な花であって、しかも楚々と咲いているのである。
「私、目立つのは嫌いよ!」
そんな声が聞こえて来そうな咲き方である。
満天星躑躅
葉影から
そっとこちらを伺うのは
小顔の白い顔
密やかでいて
春の陽を貪欲に吸い尽くす
満天星の白い花は
晩春の
ブラック・ホールだ
と
誰かが言った
満天星の葉影に咲きぬ白き顔 野 人
ドウダンや葉影にあって尚白く 野 人
満天星の思慮深げの小顔かな 野 人
ドウダンツツジとカタカナで書くと何の変哲もないけれど、満天星躑躅と表記すると、急に花が生き生きとしてくるから不思議である。
これが、日本語の魔術であるのかもしれない。
言いかえれば「象形文字」の極致なのかもしれないとぼくは思っているのである。
だからこそ、俳句なる座の文芸が産まれたのだろう。
恥ずかしげである。
今朝、空を見上げたら飛行雲が走っている。
飛行雲新緑の空つんざきぬ 野 人
春光の埋め尽せぬか人の影 野 人
なんとも宜しい風情である。
追伸;ここ数日スランプから抜け出ようともがいている。
どうにも俳句が詠めず、苦しんでいるのである。
スランプは、4月の句会以降始まっているから、そろそろ1か月である。
昨日、花梨の花を愛でた。
この花に、ぼくは優れて官能的な情感を覚えたのであった。
虚ろなる花梨の花の炎かな 野 人
なんとなくスランプから抜け出られるのかもしれない、そう感じ始めているのである。
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荒 野人
晩春の季語だ。
いま丁度満開になっている。
白いお星様の様な花であって、しかも楚々と咲いているのである。
「私、目立つのは嫌いよ!」
そんな声が聞こえて来そうな咲き方である。
満天星躑躅
葉影から
そっとこちらを伺うのは
小顔の白い顔
密やかでいて
春の陽を貪欲に吸い尽くす
満天星の白い花は
晩春の
ブラック・ホールだ
と
誰かが言った
満天星の葉影に咲きぬ白き顔 野 人
ドウダンや葉影にあって尚白く 野 人
満天星の思慮深げの小顔かな 野 人
ドウダンツツジとカタカナで書くと何の変哲もないけれど、満天星躑躅と表記すると、急に花が生き生きとしてくるから不思議である。
これが、日本語の魔術であるのかもしれない。
言いかえれば「象形文字」の極致なのかもしれないとぼくは思っているのである。
だからこそ、俳句なる座の文芸が産まれたのだろう。
恥ずかしげである。
今朝、空を見上げたら飛行雲が走っている。
飛行雲新緑の空つんざきぬ 野 人
春光の埋め尽せぬか人の影 野 人
なんとも宜しい風情である。
追伸;ここ数日スランプから抜け出ようともがいている。
どうにも俳句が詠めず、苦しんでいるのである。
スランプは、4月の句会以降始まっているから、そろそろ1か月である。
昨日、花梨の花を愛でた。
この花に、ぼくは優れて官能的な情感を覚えたのであった。
虚ろなる花梨の花の炎かな 野 人
なんとなくスランプから抜け出られるのかもしれない、そう感じ始めているのである。
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