エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

満天星の花

2012年04月30日 | ポエム
満天星躑躅・・・ドウダンツツジである。
晩春の季語だ。



いま丁度満開になっている。
白いお星様の様な花であって、しかも楚々と咲いているのである。

「私、目立つのは嫌いよ!」
そんな声が聞こえて来そうな咲き方である。








       満天星躑躅


    葉影から
    そっとこちらを伺うのは
    小顔の白い顔

    密やかでいて
    春の陽を貪欲に吸い尽くす

    満天星の白い花は
    晩春の
    ブラック・ホールだ

    と

    誰かが言った











      満天星の葉影に咲きぬ白き顔         野 人


      ドウダンや葉影にあって尚白く         野 人


      満天星の思慮深げの小顔かな         野 人







ドウダンツツジとカタカナで書くと何の変哲もないけれど、満天星躑躅と表記すると、急に花が生き生きとしてくるから不思議である。
これが、日本語の魔術であるのかもしれない。
言いかえれば「象形文字」の極致なのかもしれないとぼくは思っているのである。

だからこそ、俳句なる座の文芸が産まれたのだろう。



恥ずかしげである。
今朝、空を見上げたら飛行雲が走っている。







      飛行雲新緑の空つんざきぬ        野 人


      春光の埋め尽せぬか人の影        野 人






なんとも宜しい風情である。

追伸;ここ数日スランプから抜け出ようともがいている。
   どうにも俳句が詠めず、苦しんでいるのである。
   スランプは、4月の句会以降始まっているから、そろそろ1か月である。



   昨日、花梨の花を愛でた。
   この花に、ぼくは優れて官能的な情感を覚えたのであった。




      虚ろなる花梨の花の炎かな        野 人




   なんとなくスランプから抜け出られるのかもしれない、そう感じ始めているのである。






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      荒 野人

花梨の花

2012年04月29日 | ポエム
花梨の花は晩春の季語であるけれど、往々にして春の盛りには花が零れてしまう。
淡いピンクの花は、煽情的でさえある。

エロチシズムの極致と言っても良いだろうか。
肉感的であり、攻撃的であったりする花である。








       花梨の花誰にも寄らず咲きにけり        野 人


       甘やかな花梨の花の火陰の色          野 人







この花は、ブラック・ホールのようにぼくを誘い、そして沈殿させていく。
沈殿したぼくの魂は、壊死していく。





       花梨の花に寄す



   その重さに
   ぼくはたじろいだ
   きみをかき抱いた
   あの記憶が
   まざまざと蘇ってくる
   と
   云うのだ

   そのあまりの重さは
   記憶の総量をかけて
   ぼくを苛む

   官能的な
   優れて官能的な
   うたかたの印象よ

   花梨の花の
   ただ一人の存在よ

   ぼくは改めて
   きみの膝下に跪こう

   なんの躊躇いもなく






秘すれば花。
上花の精神世界にぼくは耽溺していく。

限りなく耽溺していく。
俳句の575という限られた言葉で、どこまでこの狂おしい心象風景が表現出来るというのだろうか。

きみよ・・・秘すれば花なのだ。
きみよ、ぼくの前では秘する事勿れ。





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      荒 野人

緑立つ候

2012年04月28日 | ポエム
緑立つ候である。
そもそも、この緑立つは松の芽を言うのである。
若緑とも言う、春の代表的な季語である。

桜は散り、花筏を流し、やがて八重が咲き今は葉桜となった。

なんたる変遷の鮮やかさであるのか。
桜を、あくまでもしゃぶり尽くさんとする日本人の桜好きが、ぼくにも理解できるしDNAの中に連綿として流れているのである。



毎年「ギンナン」を拾う銀杏並木である。
拾いきれないギンナンは、自転車や人に踏みつぶされて異臭を放つ。

臭いは美味いのである。






       咲き急ぐ花の盛りの気ぜわしく         野 人






花の季節は、急くように過ぎ去ろうとする。そして若緑の候へと進んでいる。



サツキの花のスロープだけれど、主人は誰なのか?
と問いたくなる風情である。



良く良く目を凝らすと、ずっと下の目線に軽やかな花が色彩を主張する。
そう、密やかな、しめやかなな花たちがいる。
その花たちは、いじらしいほど愛おしい。



カラスノエンドウのピンクの花である。
良く見ると、肩を寄り添うように群れていることも多い花である。



ドウダンツツジの花である。




      
       満天星(どうだん)の花白々に眠りたる        野 人




ドウダンツツジの花は白い。
まるで白い妖精たちのようでもある。
そしてその形は、スズランのようでもある。

その咲き方は、殆どが若葉の下に隠れるように咲く。
思慮深げであって、奥床しいのである。



ドウダンツツジの若葉である。






       ハナミズキ幾層重ね咲きにけり         野 人




今、空を見上げるとハナミズキが彩っている。
淡く、時に鮮やかに、しかして鮮明に取り取りに咲いて目を楽しませてくれるのである。

若き緑が深まると、万緑となる、
白、という色が誰にも似合う季節が近づきつつあるのだ。





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      荒 野人

デジブック 『春のチョンゲチョン』

2012年04月27日 | ポエム
ソウル市内を貫く、再生した川の流れ。
チョンゲチョンである。






      曇天のソウルの春は浅き哉         野 人


      外気切る灯火の宴ソウルかな        野 人


      夕暮れや灯連なれる春ソウル        野 人









デジブック 『春のチョンゲチョン』







この川は、この間まで高速道路の下に埋められていた。
暗渠を流れていたのである。



それを現在の、イ・ミョンバク大統領がソウル市長の時代に決断して再生工事が始まったのである。
いまや、イ・ミョンバク大統領の信頼は下降気味であるけれど、チョンゲチョンは悠々と流れソウルっ子の憩いの場となっているのである。



都市の再生。
そのテーマは今こそ進めていかなければ・・・と思うのである。





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      荒 野人

チューリップという巨花

2012年04月26日 | ポエム
そのケレンミのない姿は、一個の天体である。



白いからといって侮ってはいけない。
光線の具合によって、微妙にその肌合いが変化するのである。

しとやかな女性の耳たぶを「甘噛み」するように、豊かな情感をもって愛でよ!








       チューリップ妖しき裳裾閉じており          野 人








オランダがもっとも生産量の多い国であることは言をまたない。
そのオランダに残されている、古い言い伝えがある。



ある美しい少女に3人の騎士が求婚をした。
一人は黄金の王冠、もう一人は剣、最後の一人は財宝をもって愛をささやいた。
しかし、三人の騎士から求婚されたものの誰とも選べぬ少女は悩んだ末に花の精霊に願い、自分を花の姿に変えてもらった。
結納であった王冠は花に、剣は葉に、財宝は球根になった。
花の姿に変えられた少女の名から、その花はチューリップと名付けられた。

といったものである。



チューリップを国花とする国は多い。
アフガニスタン、オランダ、トルコ、ベルギー、ハンガリーである。








       誰もみな上向きの面チューリップ        野 人







トルコを原産とするチューリップは外貨獲得のために主力輸出品として活用しており、オランダでは代表的な風景の一部として風車とともに紹介されているのである。
チューリップは、古くより経済に影響を与えた重要な花の品種なのである。






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      荒 野人