エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

マシンがトラブル!

2015年12月24日 | ポエム
メインのウインドウズのマシンがトラブっている。
従って、更新が出来ずにいる。

もう少し、ウインドウズをからかってみるつもりである。
駄目なら、サブで使用しているマックに切り替えてしまおうと思っている。
ただしその場合、使えないソフトも出てくる。

思案中なのである。



この写真は「草紅葉」である。
土手である。







「草紅葉斑に染まる土手の先」







枯れ尾花と草紅葉。
早く冬らしさがほしい、ものである。



川には、冬景色が広がっている。
そろそろコハクチョウも多く飛来しているだろうか?

今年二度目の出会いを・・・
早く会いにいきたいのだ!

ブログの本格的再会は、もう少し時間を頂きたいのである。
許されたい!



      荒 野人

ドウダン紅葉

2015年12月18日 | ポエム
満天星・・・である。
白い可愛らしい鼻が付くのは、春である。
桜の満開の頃は、そろそろ花が終る。
そんな季節感の花である。



今は、紅葉が鮮やかなのである。
灯台躑躅、満天星、学名Enkianthus perulatus)は、ツツジ科ドウダンツツジ属の植物である。
「ドウダン」は、枝分かれしている様子が昔夜間の明かりに用いた灯台(結び灯台)の脚部と似通っており、その「トウダイ」から転じたものである。



また、「満天星」の方は中国名に由来する。







「情念の限り満天星紅葉かな」






今が見頃、である。
垣根のドウダンも赤く、鮮やかである。

あなたの街のドウダン躑躅。
どんな発色していますか?



      荒 野人


欅黄葉

2015年12月17日 | ポエム
激しく欅黄葉が時雨て、間もなく裸木になってしまう。
それもまた、季節の移ろいである。



欅黄葉は、木の個性が現われる。
まことに結構、としか言いようがない。



いわゆる紅葉は、華やかに季節を彩る。
欅黄葉は、しっとりと季節を彩るのである。







「そぞろ行けば欅黄葉の散華かな」







赤かったり、黄色であったり、茶褐色であったりする。
その彩りが良いのだ。

ぼくは、欅黄葉が大好きである。

時として、日の当たり具合で色が変化する。
木肌の黒とのコントラストも見事である。



欅黄葉は、柔軟さが素敵なのである。



      荒 野人

暖冬らしさ

2015年12月16日 | ポエム
全国各地で、やれ「桜が咲いた」だのやれ「梅が咲いた」だのと喧(かまびす)しい。
さもありなん、エルニーニョの冬なのだ。
しかも「ウルトラ」なのだから。

地球全体が、暖かい。
「まさかな!」と思いつつ、近くの梅林公園に出かけてみた。
見事に剪定がしてあって、裸の枝が空を指しているに過ぎないのであった。

だがしかし・・・毎年甘い匂いを漂わせてくれる一画が怪しい。



近づいてみると、匂いこそ淡いのだけれど�椈梅が咲いているではないか!



なんと云うことであろうか。
嬉しい誤算である。

普通は、1月に入ってから咲き初めるのである。



鼻を近づけると、仄かに甘い匂いが漂っている。
漂っているし、淡淡と咲いているのであった。






「いずこより命与えられ椈梅」







�椈梅では句が詠めない。
確かに、気候変動の異常である。



帰り花と云うには、可笑しい。
�椈梅で「無理矢理」詠んでみた。

だが、身近に感じる温暖化は何故か恐ろしい。
COP21の、効果と結果に期待したいものである。

けれど、CO2を大量に排出している国が「したり顔」で環境問題を論ずる不自然さに慄然とする。
「まず隗より始めよ!』と云いたいのである。



      荒 野人

いつもの・・・

2015年12月12日 | ポエム
いつもの散歩道が、季節の移り変わりを教えてくれる。
それが、自然の営みの素直なところなのだと思う。



このユリの木の下のベンチは、ぼくの定点である。
走り去る人をおってみたり、犬の散歩を楽しむ人を眺めたり、時に空を見上げる。

楽しい時間の積み重ねを楽しむのである。







「定点の過ぎゆく風や秋深む」







部分的ではあるけれど、紅葉が目を刺激する。
それも楽しみである。

もう一カ所の定点観測の場所。
オープン・カフェの丸テーブルの横には、オリーブの実が熟している。



オリーブの葉裏は、白い。



その白さが目に沁みる。



     荒 野人