エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

奇跡のリンゴ

2013年05月31日 | ポエム
試写会に出かけたのである。
「奇跡のリンゴ」である。



ベストセラーを記録したドキュメントの映像化だ。
同時に、このドキュメントは、日本の農業へ大きな問題提起も投げかけたのであった。

著者の木村秋則(きむら あきのり、1949年11月8日 - )は、世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功した日本の農家である。

映画は、リンゴ農家の挑戦を淡々と描いて秀逸である。
主演の阿部サダヲが良い。
その妻役の菅野美穂も良かった。



だがしかし、圧倒的に山崎努が光った。
年輪を重ねた男を、いぶし銀のように演じきった。
さすがに、名脇役である。

映画は、泣かせようともせず、笑わせようともせず時系列で無農薬栽培の困難を描いていく。
観客は、息を呑んで成功を見守る。
ただそれだけである。
それが良い。

パンフレットの安っぽいコピー「妻への愛」が空虚に感じられたのである。




「作物の生きる証ぞ花林檎」


林檎の花の季節がエンディングであった。
この写真は、御本人の木村さんである。

林檎の赤い実を背景に、満面の笑みである。
生き物と生きる人の、満足の笑みである。



           荒 野人

「交響曲第1番」佐村河内 守を聴く

2013年05月30日 | ポエム
佐村河内 守は、障害と闘っている。
彼は、音を聴き取る事が出来ない。



だがしかし、このシンフォニー1番は、壮大な曲想であって緻密な音の重なりで荘重にして繊細な音楽を紡ぎ出している。
現在のベートーヴエンと称される所以である。



「交響曲第1番」より 第3楽章 佐村河内 守作曲




  佐村河内の一番を聴く
「カリヨンの織りなす生命梅雨に入る」



梅雨入りの昨日、ぼくは改めてこの1番を聴いた。
滂沱として涙が止まる事が無かった。

3.11以降、この曲は震災地における鎮魂の交響曲となっている。
佐村河内 守は、震災地を歩きレクイエムも発表している。
聴こえないけれど、聞こえている。
彼の耳の中で、ゴーゴッーと轟く耳鳴りは彼を苦しめ、一層の懊悩を彼に与える。

けれど、彼は音を紡ぐ事を止めない。
寝る事も出来ない苦痛の中で、佐村河内 守は五線紙に向き合っている。
絶対音感で、音を紡ぎ出している

この交響曲の初演の棒を振ったマエストロ・大友 直人は「細部の一音一音にまで魂のこもった音が書き込まれている。」「作曲家の、深い「祈り」と「希望」の音楽とも言えるでしょう。」と書いている。



「シャコンヌ」と題したCDもリリースしている。
シャコンヌとは、3拍子の舞曲の一種である。
バロック時代にはオスティナート・バスによる変奏曲の形式として盛んに用いられたのである。

かつて交響曲の歴史的役割は終わったといわれた。
オペラも同様であった。

だが、いま改めて交響曲のブームとなっている。
著名な作曲家は競って交響曲を書いている。

ハンデを負って曲を生み出し続ける佐村河内 守は、崇高でさえあるではないか。
魂の作曲家なのである。



CDは一枚、2,980円。
価値ある一枚である。
大友直人 指揮  東京交響楽団 である。

作家、五木寛之は、こう言っている。
「佐村河内さんの交響曲第一番<HIROSHIMA>は、戦後の最高の鎮魂曲であり、未来への予感をはらんだ交響曲である。これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。」

季節は梅雨。
雨に降り籠められたら、このCDを静かに聴いて欲しい。

あなたの人生のステージが一段上がること、請け負える一枚である。



       荒 野人

第九回彩の国秩父俳句大会レポート

2013年05月29日 | ポエム
第九回彩の国秩父俳句大会が開催された。
場所は、秩父神社参集殿であった。



ここは拝殿である。
参集殿は、裏手にあってイベントなどで使われる。
当日は結婚式も行われていた。

日時は風薫る五月、梅雨入りの気配が満ち始めた二十六日である。
主催は、実行委員会(委員長・稲葉明日香)である。



実行委員会を支えるのは、俳句結社「紫の会」山崎十生主宰である。
「からまつ」由利雪二主宰は、選者として関わりを続けている。
一昨昨年は、講師として講演もされたお聞きしている。
俳句大会の発展を願う由利主宰の気持が分かる、今回の参加であった。

参加したのは、由利主宰、村越立花、本田野人である。



投句されたのは、村越立花、野田つむぐ、高野ほのか、中原徳子、中村二三恵、本田野人(投句順)である。
徳子さんは4句、他の五人は2句の投句であった。

投句総数は530句である。
選者は26名、25句づつ選句した結果である。

それぞれに点が入った。
従って、からまつの投句者の成績は相対的には良かったと言えるだろう。
惜しむらくは、ベスト10に入らなかったけれど5点句もあった。
1位から4位までが7点句だったことからもそれが伺えるのである。



実行委員長の稲葉明日香さんと、主催奢の紫の会・山崎十生主宰である。



当日の講評を担われた、原 雅子先生(扉 代表)と、しなだしん先生(青山 同人)のお二人である。
とても的確で当意を忖度された講評であって、ぼくもまた学ぶことが多かった。

とりわけ、しなだしん先生からは高野ほのかちゃんへの講評があった。
もちろん、選句されている。
「書初めの墨の匂いの体育館」である。

「あたかも墨の匂いが満ちて来るようであって、自分もまたその場に居るかのように思える。素晴らしい句である。」
休憩時間には、由利主宰のもとに同じくほのかちゃんのこの句を選句された新井富江さんも来られて、お褒め頂いたのであった。
因みに、新井女史は実行副委員長である。

由利主宰が、ほのかちゃんは小学校5年生である旨を告げると、会場にどよめきがあった。
良いお土産が出来た、と由利主宰は顔を綻ばせたものであった。



これは、当日の席題「縞」で投句された短冊の清記風景である。
事務方の苦労が偲ばれるのである。



原雅子先生からは「先達の背の名号に蹤きて春」中原徳子「青峠谺こだまをさそいだす」中村二三恵「春神楽山中の水やわらかく」本田野人の句に講評があった。

席題の「縞」の句でも点が入った。



最後は、表彰式で日程を〆、散会したのであった。
天気に恵まれた良い句会であったし、野人としては実り多き句会であった。
レポートとしては不十分だけれど(秩父の紹介が不足している)、取り急ぎお知らせしたところである。

主宰、立花さん、御苦労さまでした。



        荒 野人

桜の実

2013年05月28日 | ポエム
いま、葉桜となった桜の木には、実が黒く色づいている。
コケティツシュに長い軸の先にある。
小さな小さな実である。



昨日、秩父神社の桜の枝にも生っていた。
そう・・・実は一昨日は秩父神社を会場とする「秩父句会」に出かけたのであった。
秩父は、大気が乾燥していて爽やかな一日であった。
東京まで下ってくると、大気は湿気を帯びベトベトした肌になってしまった。

これこそ不具合!
不条理!
そこまで言うと・・・言い過ぎである。







「さくらの実黒く熟せり食べもせず」







人はこれを食べない。
しかしながら、美味そうに感じるのはぼくだけだろうか?
鳥たちも食べない。
食べているところを見た事が無い。

けれど。これを大きくすると「サクランボ」か。
なんて幻想が広がる。
白昼夢である。



それにしても、美味そうだ。
桜の木の横に、ヤマボウシがみっちりと咲いている。

ここまで密集して咲くと、あの赤く甘い実はどうなるのだろう?
心配になってくる。
もっとも自然の摂理の前では「おおきなお世話」である。




         荒 野人

そろそろ梅雨入り・・・迎え梅雨

2013年05月27日 | ポエム
先週一杯が好天の瀬戸際。
今週からは梅雨入りを含んだ大気が満ち始めるのである。
そのせいだろう、大気が終日湿っている。

既に沖縄では梅雨特有の荒天・豪雨で呻吟している。
沖縄の宿唖ともいうべき梅雨の荒れた気候である。

恵みの雨だけれど、災厄をもたらす雨でもある。



街では紫陽花が色づき始めた。
この色が、花全体に行き渡ると梅雨本番である。



雨は、決して嫌いではないけれどやはり晴天は良い。
紫陽花も雨に濡れる風情も良いけれど、おひさまの下で咲かせてあげたいではないか。

街を歩いていたら、柘榴の花藻咲き始めた。



赤と緑のコントラストが鮮やかである。



もうすぐ梅雨である。
待ち遠しいような・・・それでいて空梅雨だと嬉しいな・・・といった気分が交錯する。



武蔵野の残滓の林を歩く。







「梅雨迎う街の匂いの重かりき」







空も梅雨入り準備に余念が無い。



       荒 野人